006:切れない絆

 とあるうららかな日の午後。

 色とりどりの花が置かれた、小さな花屋の店先。


「――イテッ!」


 悲鳴を上げたのは、仔猫のような姿をした不思議な黄色い生き物だった。


「マリ、踏んでるよ! しっぽしっぽ!」

「あっ、ごめーーんっ」


 マリと呼ばれた少女は、ひょい、と踏んでいたしっぽから足をどけた。


「もうっ、気を付けてよ!」


 ぷりぷりと怒りをあらわにしながら、パタパタと白い翼を動かした黄色い猫は、ふわりと空中に舞い上がった。

 ”黄色い猫”とはいうものの、その姿は一般的な”猫”とは明らかに異なっている。

 大きさと体つきは仔猫そのもの。

 ただし、胴体ほどもある長いしっぽと白い翼、それに人語を話すところからして、この生き物がいわゆる”普通の猫”でないことは明らかだ。


「そんなところで昼寝してるからいけないんでしょ。ニケもちょっとは手伝ってよ」


 ニケ、というのがこの猫の名前らしい。

 マリと呼ばれた少女はニケと会話しながらも、せっせと店頭に出す花の手入れをしている。

 年の頃は16~18歳ほど。

 手にしているのは、薄紫や藍、ピンクや青など色とりどりのアサガオの花だった。


「やだよ、オレ水に濡れるの嫌いだもん」


 不思議な猫のニケはぷいっと横を向く。


「何よそれ~、役に立たないわねっ」


 マリはそれでも手際よく、今度は別のバケツをかかえて立ち上がり、店の奥へと移動させていた。

 店内に、他の店員はいない。どうやらこの少女が一人でこの店を切り盛りしているようだ。


「えーー、オレだってちゃんと仕事してるぜ? この可愛い寝姿で、道行く奥様のハートをぎゅっとわしわしみ! 看板猫として、このお店を『あっぴーーる』して……」


「そういうことは、一人でもお客さんを呼び込んでから言いなさいっ」


 一人と一匹が、いつものごとくぎゃあぎゃあと他愛のない言い合いをしていたとき……


*


「あの……すみません」

「はいっ!」


 振り返ると、小柄な老婦人が入り口に立っていた。

 人のよさそうな夫人だが、その表情はどこか困ったように曇っていた。


「あっ、ごめんなさい、うるさかったですよね! どんなお花をお探しですか?」


 少し慌てて、マリが店員らしく振る舞う。

 翼猫のニケも店の入り口にふわりと移動すると、小さな置物の上にちょこんと座わり、先ほどまでの口の悪さを微塵みじんも見せず小声でニャァと鳴いて愛想を振りまいた。


(まったく、こういう時だけ調子がいいんだから……)


 ジト目で睨むマリだが、ニケは我関せずだ。


「えぇと、実は……」


 老婦人が悲しそうな顔で話し始めた。


「うちで飼っていた猫ちゃんが……ついこ先日、天に……召されてしまって」


 目に大粒の涙をたたえながら、老婦人が絞り出すような声で言った。


「それは……お辛かったでしょうね。では、その猫ちゃんにお供えするお花をお探しですか?」


 飼い猫といえども、飼い主にとっては家族も同然である。

 その家族が亡くなったというのだから、お墓を作ったり、お花を供えるというのもごく当然な流れだ。

 この飼い主と猫は、さぞ深い絆で結ばれていたのだろう……とマリは思いを巡らせた。


「いえ……違うんです。そちらの猫ちゃんが、うちのマーニャちゃんにあまりに似ていたもので……。もしかしたら、あの子の生まれ変わりなんじゃないかと思って。良かったらその……うちで飼わせてはいただけませんか?」

「えっ」

「にゃっ?!」


 思いがけない話の展開に、思わずマリとニケからおかしな声が漏れ出てしまった。だが、老婦人の眼差しは真剣そのものだ。


「えぇっと……」


 マリは横目でチラリとニケを見た。


(ムリムリムリ! オレ人見知りだから、新しい家とかムリ! だいたいオレ、そのマーニャちゃんが亡くなる前から生きてるし! その子の生まれ変わりなわけないだろ!)


 冷や汗をかきつつ、ニケが必死に何やら訴えている。


「えっと、この子、こう見えても凶暴なので、ご迷惑をおかけしてしまうのではないかと……。あと、見てのとおり普通の猫でもないですし……」


 実際のところニケの念がマリには届いているわけではないのだが、小さな首を必死に横に振るニケを見て、マリは老婦人に向き直った。

 だが、老婦人も一歩も引かない。


「そこをなんとか、お願いします。お礼はいくらでも差し上げますので……!」


 深々と頭を下げられ、マリは思わず応えにきゅうした。


「で、では……、一晩だけ考えさせていただけませんか?」


 老婦人の勢いに押され苦し紛れに出た言葉は、単なる時間稼ぎの回答だった。


「わかりました、良いお返事、お待ちしております……」


 目頭をハンカチで抑え、マリとニケに深々とお辞儀をしてから、老婦人はヨロヨロとした足取りで帰っていった。


*


「ちょっと、どうするのよニケ。仕方がないからあのお婆ちゃんの悲しみが癒えるまで、しばらく一緒にいてあげたら?」


 その日の夜、店を閉めた後に二人の作戦会議が始まる。


「いやいや……嫌だって。それにマリ、お前オレがそばにいないと死んじゃうぞ?」

「なぁに言ってんのよ~、気色悪っ!」


 あはは、とマリがニケの冗談を笑い飛ばす。


「ニャんだその言い方はっ! お前、まさか覚えてないのか? オレと会った時のことを……」

「えっ、始めて会った時のこと?」


 そう言われて、マリは昔の記憶に想いを馳せる。


*


 ――あれは、ある雨の日のこと。


 薄暗い夕闇の中、雨合羽あまがっぱを来た子供が隣街から帰宅を急いでいた。ふと横を見やると、道端に弱った仔猫が倒れていた。


 行き交う馬車にかれてしまったらしいその仔猫は、体から血を流してまるで瀕死のあり様だった。

 周りを見回しても、親猫らしき猫は見当たらない。このままではこの小さな仔猫の身体から雨で体温が奪われてしまう。

 そう思った子供は、仔猫をそうっ抱きかかえて自分の家まで連れて帰ることを決めたのだった。


 傷口の止血をして、ミルクと暖かい毛布を与えてもなお、仔猫は弱々しく震えていた。

 あまりの痛々しさに心を痛めた子供は、仔猫にそっと口づけをしながら願いを込めた。


『この命を半分あげる。だからどうか元気になって』


 その子供の祈りが通じ、仔猫は徐々に元気を取り戻した――


*


 久しぶりに昔の記憶を思い出したマリは、感傷に浸る気持ちを振り払いながら強気に言い放つ。


「この私が、あんたを助けてあげたんでしょ。ちょっとは感謝しなさいよね」

「えっ、ニャんでそうなる?」

「なによ、仔猫だったあんたを救ってあげたのは、私でしょ」

「……はぁ。もういいよ」


 ニケはそう言うと、ねてキッチンの窓際で丸くなって寝てしまった。


(何よ、変なニケ……。人見知りなところもそろそろ少しは治さないとね。あのお婆ちゃんには、しばらくニケを預かってもらおう。うん、きっとその方がいいわ)


 ベッドに入りながら、マリはそう考えていた。

 寝室の丸窓から見上げると、真ん丸とした満月が、夜空に浮かんでいた。


 見上げているうちにゆっくりとまぶたが落ち、そして夢を見た――


**


 激しく降りしきる雨の中、マリは道端に丸くなって倒れていた。


 すぐわきを馬車の車輪が通るたび、水飛沫が全身にふり掛かる。

 けれど、通りを行き交う人々は誰一人としてマリを助けてはくれない。

 それどころか、倒れるマリに気付く者すらいないようだった。


(寒い……私、どうしてこんなところにいるの……?)


 凍える背中を丸めてぎゅっと腕を体に回すと、てのひらが生暖かいに触れた。

 鈍い赤色をしたそれは、マリの体から流れた血だった。

 その色を見たとたん、マリの脳裏に、馬車に跳ねられた時の重い衝撃が蘇った。


 途絶えそうな意識の中で道路の向こうを見やる。と、黄色い雨合羽を来た小さな子供が近付いてくるのが見えた。


*


 次に気が付いた時、マリは暖かい部屋の中にいた。

 先ほど雨合羽を着ていた少年が、おぼつかない手つきで甲斐甲斐かいがいしく世話を焼いている。


 マリの腹を包帯でぐるぐると巻き、暖めたミルクを飲みやすいように差し出してくれる。

 だが痛む傷のせいで、そのミルクすらマリはほとんど飲むことができなかった。


 それを見て、少年が悲しそうに溜息をつく。

 それから決意したように顏をあげると、何かの呪文を唱えた。


『僕の命を半分あげる。だからどうか元気になって』


 少年はそう呟くと、そっとマリの口元に口づけをした。


**


 ガバッと音を立ててマリがベッドから飛び起きた。

 既に朝日が昇り、窓に薄い光が差し込んでいる。


(あの夢って……)


 思わず唇を触り、夢の感触を思い出す。

 柔らかな口づけの感触は、決してまぼろしではなかった。


 そのまま寝室から飛び出ると、キッチンにいるであろうその子の元へ向かった。


 予想通り窓際で丸くなって寝ていた彼を見つけ、抱え上げて抱きしめる。


「ニケ、ごめんね。本当はニケがあの時、私の命を助けてくれたんだ……」

「ニャ~、マリ、痛いよ」


 不貞腐ふてくされた声でニケはうなるが、マリは構わず撫で続けた。


「ごめんね、ニケ。どこにも行かせないからね」

「……」


 ニケは黙って、マリの腕の中で満足そうにゴロゴロと喉をならしている。


*


「あの、すみません。昨日のお話しなんですが……やっぱり」


 開店後、昨日の老婦人が再び訪れると、マリは言いずらそうに切り出した。


「あ、昨日は本当にごめんなさい。私ったら取り乱してしまって……。昨日ね、私のマーニャちゃんが夢に出てきたの。一面のお花畑の中で楽しそうに走り回って、”こっちは暖かいし、友達もいっぱいできたから心配するな”って言っているようだったわ」


「マーニャちゃんが、夢に……?」


「えぇ。私がいつまでも悲しんでいても、あの子が心配するだけですものね。なにより、あの子の変わりはいないってわかったから……。だから、昨日の猫ちゃんのお話しは、なかったことにしてください。……今日はね、あの子のためのお花を買いに来たの」


 どことなくスッキリしたような面持ちで、老婦人がそう語った。


「そうですか! それはきっと、マーニャちゃんも喜ぶと思います」


 マリもほっとして、ようやく顔がほころんだ。


「あ、このお花がいいわ。あの子が小さい時、よく庭の鉢植えのそばで昼寝していたから……」


 そう言って老婦人が指さしたのは、色とりどりのアサガオが咲く鉢植えだった。


「いいですね。そういえば、アサガオの花言葉ってご存知ですか?」


 マリは大事そうに鉢を持ち上げる。


「『固い絆』――って意味があるんですよ。マーニャちゃんとお婆さまにぴったり」


 ニッコリ微笑みながら渡すと、老婦人の顔も雪解けのようにほころんだ。


「素敵ね……これ、いただくわ」


*


 花をプレゼントとして包み終え、老婦人が去ると、マリはニケを膝に抱きかかえて、店のベンチにゆったりと腰かけた。


「アサガオの花言葉はね、『固い絆』――『はかない恋』『愛情』。ニケ、ずっと一緒にいようね」


「……ニャ~」


 聞こえているのかいないのか。ゴロゴロと喉を鳴らしたニケは、満足そうに一つ欠伸あくびをして、再び眠りにつくのだった。

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