故郷――HEAVY RAIN――


 公園で続けて2本電話を入れると、俺は車へと戻った。

そこから先は思ったようなトラブルはなく、極めて順調だった。かえって拍子抜けするほどに……。

 市街地こそ神経を張り巡らせていたが、中心市街地を抜けてしまえばそれほど注意するポイントもない。


 目的の施設、孤児院のまわりは田畑が広がり、子供が多少騒いだところで誰にも迷惑も掛からないようなところにある。市街地から孤児院を結び、その延長線上に線を伸ばしていくと1500メートル程の山に続いていく道になっている。

 さほどの交通量でもなく、注意する施設もほぼない。


 助手席のメアリーは時折うつらうつらして眠そうだった。ずっと助手席に座っていれば誰でも眠くはなるだろう。

 ただ真っ直ぐ最短ルートで孤児院へと向かうわけではなかったから、助手席が静かなことでかえって助かった。おかげで頭に入れた地図の通りに間違うことなく進むことができた。

 俺達はいよいよ、目的地に到着しようとしていた。


「メアリー、もうすぐ着くが化粧直しでもするか?」


 そう声を掛け、うつらうつらしていたメアリーを起こす。


「大丈夫、ここでやっちゃうから」


 メアリーはバックからヘアブラシを取り出し、髪を軽く梳かす。それからコンパクトで簡単にチェックする。そうしているうちに、遠くに小さく建物が見えてきた。昔から変わらないコンクリートの建物だ。


 念には念を入れ、500m程手前でいったんハザードを焚いて車を左に寄せた。

車から降りると深く息を吸い、当たりの様子を伺うべく、音に集中する。

 聞こえてくるのは農業用水の水音と、それをくみ上げるポンプのブーンという音ばかりだ。


 そもそも俺達がここへ向かうことを予想できるような情報は、組織にないはずだ。

 あくまでも万一に備えてで、生き残るためのこだわりだと自分に言い聞かせた。


 再び乗り込むと、発進する。入口手前で徐行すると、ヒルクライムにでも向かうのだろう、ロードバイクをやり過してから門をくぐり、入り口の前の駐車スペースに停車した。


 この場所に来るのは一体何年ぶりだろうか? 

 俺はここを出てから、ただの1度も訪れていない。


 時計をチラリと見て時刻を確認した。施設の建物の中に入るのはメアリーだけだ。

 俺自身は施設の中へ入り、思い出話をするつもりはなかった。


 無事にメアリーをここまでおくりとどけることができて、正直ホッとしていた。

 運転の疲れももちろんあるだろうが、朝からずっと緊張状態が続いていたから、さすがに体が硬い。

 体のあちこちが狭い運転席からの開放を求めて訴えている。

 バンの高い運転席から飛び降りるように降りると、首をグルッと回す。パキッと音が鳴り、自然と手で肩を揉んでしまう。


 久しぶりに降り立ったこの場所は、何も変わっていないように思えた。もちろん細かく見ていけば変わっているだろう。

 不思議なことだが、ずっと訪れたくないと思っていたはずのこの場所に、俺はなぜかいま、自分の家に帰ってきたような気になっていた。

 そんな気分のせいか、一巡りしたくなって施設の庭の方に歩いて行く。

 公園で降りたときはうるさいぐらいのセミの鳴き声がしていたが、いまこの場所ではカエルが代わりに盛大に鳴いていた。昼間の暑さからしても、夜には夕立がやって来るのだろう。


 ここの庭はちょっとしたグラウンドのような広さで、いま再び訪れても大きく感じる。その脇に植えられた一番大きな桜の木の陰にしゃがみ込む。ここからは施設が見渡せた。手近にある雑草をいくつか引き抜き、手遊びする。

 懐かしい場所に来ると、自然と昔が思い出される。あんなにも思い出したくないと避けていたのに、『アイツはどうしただろうか?』とか『奴らとケンカして壁にあけた穴はもうないのかな?』などと浮かんでくる。

 ひとしきり思い出に浸ると、グランドのトラックを周回したようにいまの現実に戻り――俺とメアリーのこれからがどうなるのか?――考えてしまう。


 これからメアリーの子供はどんな人生を送るのだろうか?


 今は無理でも、いつかメアリーが「自分が母親である」と名乗り出る未来もあるのだろうか?

 難しいことだとしても、いつかそうなって欲しいと思う。それが今の俺の願いだ。

 顔も知らないメアリーの子供が大人になって、メアリーと家族の会話を交わして、何気ない時間を親子二人で笑って過ごすのだ。

 一緒に買い物に行ったり、彼氏を紹介されたり、誕生日にプレゼントを贈ったり……。そんな想像にしばらく浸ったあと、自分勝手な想像だなと苦笑する。

 手の中でいじり続けた雑草の汁と根についた泥で、手が汚れた。


 じゃあ、いったい俺はどうなるのだろうか? 俺は自分の覚悟を自らに問いかけた。ここ数週間、問いかけない日はない。


「もう動き出したことだ。俺は俺のできることをするだけだ」

 あえて口に出し、自分に言い聞かせた。

 それから手を叩いて汚れを払い、時計を見ると3時半になっていた。


 俺は立ち上がり、空を仰ぐ。

 ここから見る空は十数年ぶりだ。

 街や人は変わっていく。けれども見上げる空はきっと何年たっても変わらない。何十年前という過去も、何十年先という未来も……。俺がこの先どうなろうとも、ここから見上げる空はきっと何も変わらないのだろう。


 視線を下へと戻し、入口の門の方へ目をやる。その先の道の向こう側から何人かの子供がこちらへ向かってくるのが見えた。子供のはしゃぐ甲高い声が風に乗って聞こえてくる。

「もしかしてあの中にいるとすれば、メアリーはまだ会えていないのかもしれないな」

 するとメアリーが玄関から外に出ようとしているのが見えた。


 俺はメアリーの子供に会うつもりはなかったが、そろそろ時間が長くなってきている。あまり長居するわけにもいかないし、時間は有限だ。

「感動の再開に立ち会うのも、悪くはないかな?」

 俺はメアリーの方へ歩き出した。

 歩き出した俺の後ろから、ゴーッとロードバイクが坂を駆け下りていく音がしている。


「メアリー! あの中にいるのか?」

 近づきながら尋ねた俺の呼びかけに、メアリーは頷いた。

 メアリーの隣まで歩き着くと、門の方を見やる。

 20m程先の門の影に、いつの間にかサイクルジャージの男がしゃがんでリュックを覗きこんでいた。

「パンクでもしたか?」

 そう思った瞬間、カチャリと音がした。

「まさか!!」

 撃鉄の起きる音に違いない。

 完全に予想外だった、まさかロードバイクの刺客など予想していない!!


 すぐさま横へメアリーを突き飛ばし、全力で男の方へ走り出す。

「伏せていろ!」

 立ち上がり振り向いた男の手に、リボルバーが握られている。

 次の瞬間、銃声が響いた。


 サイクルジャージの男は、振り向いた瞬間に俺が走り出しているなど予想していなかったのだろう。明らかにうろたえた様子で一発目を外した。

「ウオオオッッ!」

 威圧するように大声で叫び、加速しながら突っ込む。

 ――クソッ、まだ距離がある――

 一発目は外した男も覚悟を決めたか、腰を落としてリボルバーを構えなおす。2発目の銃声がして左肩に痛みが走る。

 あと数歩! 右拳を固め振り被る。そのまま勢い任せに体ごと飛び込んだ。

 俺の拳が男の顎を撃ち抜く。そのまま覆い被さるよう、勢いのまま倒れ込んだ。顎に入った拳のせいか、倒れ込んだときに頭でも打ち付けたのか、男は気絶し銃は男の手からこぼれた。男を抑えたまま、俺は銃を掴んで遠くへと放り投げる。

 銃が男の手を離れたことで俺はひと安心し、力を抜いて男の上に遠慮なくのしかかり体重を掛けた。


 すんでのところで確保に成功した。一瞬でも遅かったら、迷ったら、やられていたに違いない。

 いきなり突き飛ばされ呆然としていたメアリーは、動かなくなった二人の方へとおそるおそる近づいてくる。

「ブラッド、大丈夫よね? ブラッド」


 突然の出来事にビビってしまったのか、こちらに向かう姿も腰が引けている。


「ねえ、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ、安心してくれ」

「良かった、大丈夫なのね」

「ん、一つ頼まれてくれないか?」


 俺はノックアウトした男をうつぶせにし、自分のシャツを脱いで腕を背中に回させて縛り付ける。


「なに?」

「裏門に刑事がいるはずだ、待ち合わせしている」

「……え? どういうこと?」

「……逃げ回ってばかりもいられないということだ。

 大丈夫だ、今回の騒ぎの無実を証明するだけだ、その方が今後に都合がいい」

「……だって、そんな打合せしてないわよ」

「大丈夫だよ、いずれにしてもコイツをこのままにしておけない。子供の前で暴れられてもかなわないしな。頼むよ」


 メアリーは事情が呑み込めずに不安気な様子の表情を浮かべている。


「……わかった、後で説明してね」


 メアリーは裏門の方へ小走りで駆けて行った。俺はそれを見ながら立ち上がり、肩の傷を調べる。いまは興奮しているからたいしたことはないが、後になると痛みそうだった。


 そんなささいな傷より今は、メアリーに告げたことの方が心に刺さる。

 ――すぐに嘘はバレる――

 そのときメアリーは俺をなじるだろうか?



 いつの間にか門のところでこわごわと様子を伺っている子供達に向かい、右手で玄関を指示しながら大声で告げる。


「今のうちに建物に入れ!! 早く!」


 メアリーが刑事を連れてくれば、また一騒ぎだ。あまり子供に見せるようなものでもない。

 子供たちはそれぞれに持ったり背負ったりした荷物をバタバタとさせながら、玄関へと走っていった。その中に一人、メアリーと同じ亜麻色の髪をした娘がいた。

「あれか……」

 もうそれだけで、十分な気がした。ここに来た甲斐があったと。

 もし、俺とメアリーに子供ができていたなら……。

 それだけが心残りか……。

 

 メアリーの娘を一目見たからか、興奮が薄れていき、疲れを感じる。

 いつの間にか、雷鳴が聞こえている。

 今夜の夕立は、激しくなりそうだ。


 しばし感慨に立ち止まった後、先ほどの刺客のところまで戻り、拘束を確認する。


「ブラッド!」


 建物の奥から呼びかける声がする。どうやら刑事と行き会えたようだ。

 そちらへ向き直すと、右手を軽く挙げて――俺は平気だと――アピールした。



        ◇



 俺は夢を見ているのだろうか?

 信じられない声が俺を呼ぶ。


「よお、兄弟!! 気分は最高か?」


 ベージュのパンツにブルーのシャツ、やはりベージュのボルサリーノのパナマハットの男が、俺の後ろに立っていた。

 いつもの余裕を感じさせるノリのいい声と違って、今日は声に張りがなく、空元気(からげんき)のようなワザとらしい響きだった。


「後から近づく俺に気がつかないなんて、やっぱり殺し屋も辞めどきだな、ブラッド」

「刑事もそこまで来てるんだぜ? 刺客もこの通りノックアウトだ、そりゃ終わったと思うだろ、ニック。

 追加イベントなんて、俺は聞いてないぜ」


 いまも伸びているサイクルジャージの男を指さしながら俺は、『ニックがどうしてここにいる』と問うた。

 情報が洩れるなら、状況的に刑事から以外は考えられないだろう。


「俺も今回の問題の責任を取る必要があるそうだ。

 そうしないと……、俺の大事な身内が詰められるとな。つまりそういうことだ……勘弁しろ」

「奴らの考えそうなことだな、バカな上司を持つと苦労する。そうだろ?」

「ああ、まったくだ」


「……早くしろ、ニック」

「……俺も後から行く、先に待ってな」



 わずかのあいだに、二発の銃声が、悲しく響いた。

 今夜は激しい雨に違いない。






「ブラッド! ブラッド!」


 メアリーの呼ぶ声がかすかに聞こえてくる。心配するなと笑いかけたいが、もはや難しい。


「メア……リー……あい……し……て……。

 ……バッグ……刑事……わたせ、しょう……こ」

「もういいから、しゃべらないで!! 救急車がくるから!」


 最後の最後までメアリーを泣かせるとは、クズは最後までクズか……。

「……自首す……るつも……りだっ……。……ゴメ……ン」


 メアリーの腕に抱かれながら、俺の記憶は閉じられた。

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