決断――WEIGHT OF THE LIFE


 そして事件から二ヶ月過ぎた今日、俺達は孤児院へと向けて車を走らせていた。


 俺達には区切りが必要だった。どのみち住み慣れた街に戻って暮らし続けることなどできない。かといってこのまま永遠に隠れ住んでいるわけにもいかない。遠く離れた場所へと逃げて、新しい暮らしを始める必要があった。

 メアリーをあの手この手で説き伏せて、逃げだした遠くの地でひっそりと新しい暮らしを始めることもできただろう。けれどもそんな生活がうまくいきそうな予感がなかった。

 どうしてかは、はっきりとはわからない。ただメアリーの心残りを少しでも減らせるのならば……。


 1度だけ孤児院に行き、子供と会うことで、それを区切りに新しい生活を始める――そう二人で約束して予定を立てたのだ。


 結局のところ俺にメアリーを強く引っ張っていく自信がないだけではないか?

 一度でも戻るなど、甘いのではないか?

 何度も何度も自問した。

 人目を避け、外出を控える暮らしだから、考える時間はそれこそ腐るほどあった。


『リスクには対策が立てられる。けれどもメアリーの心残りを強引にどうにかすることは難しい』

 それが俺の結論で、やるべきことだった。



 孤児院へ向かうことを決めてから、メアリーはいままでの不安定さが信じられないほど、落ち着いた。

 ハッキリとした予定があるということは、精神に安定をもたらすようだ。

「これが最後になるのね」

 思い残すことがないようにと、メアリーは準備をはじめた。

 もともと手先が器用で自作のアクセサリーの販売からはじめたメアリーのことだから、ちょっとした材料があれば十分だった。子供たちのためにとブローチや髪留め、ネックレスなどをつくりはじめたのだ。

 さすがにメアリー自身が満足するほどの凝ったものはつくれないようだが、色とりどりのそれは、子供たちにとっては宝石のようなものになるだろう。ましてや頻繁に顔を出して、一緒になって遊んだりしていたメアリーからプレゼントされたなら、きっと喜ぶに違いない。


 その一方で俺は計画を立てることに集中した。

 交通機関や時間といったスケジュール、用意するものなど、どれだけ考えても考え過ぎることなどない。

 一番危険な場所に飛び込もうとしているのだから。


 まず列車は問題外だ。

 駅は場所柄、やはり人目につく。

 同様にバスも駅を中心にして動くものだ。安心できる手段とは、ならないだろう。

 どうせ到着してから車で移動するなら、はじめから車を利用する方法にしたほうがいいに決まっている。

 そもそも俺が組織の人間なら、そういうことも予想して先回りするだろう。駅員でも運転手でも、何なら浮浪者でも、小遣い銭と写真を用意するだけで監視の目が増やせる。誰でもできる簡単なことだからな。

 ……ということは、車で出発するという選択肢、一択だろう。


 逃亡先のこの土地で、今の移動はレンタカーを利用している。コンパクトカーだが、そのままそれを使用するかどうか?

 検討した結果、当日は今の移動に利用しているコンパクトカータイプではなく、別の車にすることにした。

 大型の商用ワゴンタイプだ。

 このタイプの車なら、溢れるほど走っている。配送に建築関係、送迎……。


 万が一を考えると小回りの効く車にしたい、いや、馬力があって加速力がある方が……。

 そんな気持ちもあったが、そもそもその発想自体が見つかることを前提にしている。


 それよりも交通の流れと景色に溶け込んで見つからないことを優先にした。

 運転席も高めだから、バンやファミリーカータイプよりも座席を覗き込まれにくくなるはずだ。覗きこまれにくいということは、実際に見つからないという実利だけでなく、俺達の気分を落ち着ける効果も高いだろう。ビクビクとしていたら、人目を引いて不審がられてしまう。

 このタイプのエンジンは排気量もありパワフルだ。ほぼ空荷だから踏み込めばコンパクトカーよりも反応はいいだろうから安心感もある。


 あとはルートか……。

 地図を見ながらイメージする。

 俺達の住んでいたアパート、俺の表の仕事の会社やメアリーの店の近くは当然ながら走行禁止だ。2ヶ月経ったから警戒はゆるくなっているとは思うが、あくまでも事件直後よりもゆるい程度だろう。

 大型のモールやスーパーの近くも極力避けるべきだ。人が多ければ組織の人間がそこにいる確率も高まる。

 市街地の地図を印刷し、ポイントに赤を入れていく。避けたい場所さえ落とし込めば、勝手にルートは決まるものだ。


 こうしてほかにも、日にち、時間、服装、持ち物など、細かく選定していった。

 もちろんメアリーには、訪問予定は連絡するなと言ってある。そんなことをしたら、子供が巻き込まれるかもしれないからと。

 子供が巻き込まれるなど現実的には考えにくいことだが、情報とは漏れるものだ。

 ただ「話すな」と禁止するより、子供の危険をチラつかせたほうがメアリーには受け入れやすいだろうから。


 俺たちは少しずつ、確実に、その日のために準備を整えていった。



        ◇



 当日の朝、空はどこまでも青かった。

 必要なものをまとめ、ワゴンに積み込む。もともと仮の住まいだから大した荷物など無い。メアリーは段ボール箱に詰め込んだ宝石たちを、大事そうに抱えて積み込んだ。

 たった数回往復しただけだが、汗が吹き出る。暑い日になりそうだった。


 ダークブラウンの革靴にネイビーのスラックスを履き、同じくネイビーのジレで統一感を出す。

 ワイドカラーの白シャツを着て、紺地に白い小紋のネクタイを締めて清潔感たっぷりだ。

 どこから見ても、折り目正しそうな営業に見えることだろう。

 真面目なビジネスマンのように名刺やノートパソコンなんて持ち歩いていない、ハッタリビジネスマンではあるが。


 おなじようにメアリーにも、営業パートナーに見えるように装ってもらっている。

 バーガンディのパンプスを履き、ネイビーのスカートに白いブラウス、首元に大きな花柄の艶間のあるスカーフを巻いている。


 いかにも営業用の白いワゴン合う、昼の仕事にふさわしい服装に変装した。

 ついついサングラスを掛けたり、髭を生やしたりしたくなるものだが、そんなことをしたら見た目が怪しくなる。

 ――どうぞ警戒してください――そう宣伝するようなものだ。

 映画やドラマの逃亡者は、あくまでも演出にすぎない。



 持っていけない荷物はこのまま置いていくよりほかない。俺達は置き手紙を残し処分費としていくらか封筒に入れ置いていく。

 この街に来る事は、もう二度とないだろう。



 孤児院へ向かう車中、俺達はあまり言葉を交わさなかった。

 俺もメアリーも緊張しているのだろう。

 途中きっかり1時間に1回休憩を挟む。

 静かな車中にFMラジオの小さな音が流れていた。

 空調の効いた車内は快適で、外の暑さと隔絶された静かな時間が広がっていた。出かけるときはどこまでも青い空であったが、かなり移動してきたこともあるのだろう、山際に入道雲が鮮やかに、幾重にも高く積み重なって見えた。

 たくさん話したいことがあるような気がしたが、上手く言葉にならない。そんなもどかしい時間でも車は進み続け、確実に街に近づいていく。


 念のため1番近い出口を避け、2つ手前の料金所を抜けて下道に降りる。

 ドライブスルーでハンバーガーを買い、公園の駐車場に止めてゆっくり昼飯にする。昼飯を兼ねた休憩後はノンストップで向かうだけだ。

 俺の頭には入っているものの、もう一度地図を取り出しルートの再確認をする。

 孤児院で待ち伏せされる恐れは無いはずだ。メアリーには子供が孤児院にいると言うことを知っている人間が他にいるのかどうか、何度も確認した。

 知っているのは管理者であるシスターだけ、他にはいない、絶対に――そうメアリーは言った。

 そのことに嘘はないと俺は思う。もしメアリーの子供がいるなんてことがバレているとするならば、何度も孤児院から着信が入っているはずだ。けれどもそうした事実は無い。だから孤児院そのものは安心していいだろう。

 むしろ警戒すべきはそこへ向かう道中だ。この公園を出発したら気が休まる瞬間は1度もない。俺は覚悟を決めた。


「メアリー、ちょっとトイレに行ってくるよ」


 駐車場に止めた車からトイレへ向かう。売店のところを左に曲がり公衆電話の横を通り過ぎた所がトイレだった。

 そこへ向かうだけのことなのに、駐車してある車が、売店の店員が、その客が、すべて疑わしく見えてしまう。

「さすがにびびりすぎだぜ、ブラッド」

 俺はトイレの鏡に映る自分の顔を見ると、自嘲してつぶやいた。

 

 売店のベンチに腰かける。

 わずかな時間休んでいるだけでも、あまりの暑さに汗が流れ出る。

 暑いとはいえ、昼どきの公園には様々な人達がいた。


 木陰で寝る人。

 水道のまわりではしゃぐ子供とその親。

 走るランナー。


 俺は目を閉じて公園のざわめきに耳をすましてみる。


 うるさいほどのセミの声。

 売店の客と店員のやりとり。

 子供と母親の会話。

 鳥の鳴き声や葉っぱのこすれる音。

 流れる小川のせせらぎ。

 犬の鳴き声。

 学校だろうか? 遠くから聞こえるチャイム。

 幹線を走る救急車のサイレン。

 かすかに聞こえる飛行機の、ゴーーっという音。

 ふと我に帰れば、自分の心臓の音、胃腸の活動音だって聞こえてくる。


 こうして聞こうと意識すると、本当にたくさんの音で溢れている。

 普段だったら聞き逃してしまうような音も、たしかに存在している。

 そこには自然があり、生命があり、誰もが懸命に活動している。

 そして俺自身も、間違いなく生きていて、その様々な音の一部だった。


 立ち上がり、グーッと一伸びし、軽く体をほぐす。

 そして俺は自分が正しいと思うことをしようと、改めて決意した。

 ゆっくり一つ深呼吸をすると、ひどく冷静な自分がそこにいた。

 

 公衆電話に向かうと、受話器を掴んだ。

「久しぶりだな、ニック」

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