告白――UNCERTAIN FUTURE


 あれから2週間経って、俺達は困難に直面していた。ただ安穏と引き籠っているわけではないのだ。

 俺達はいまや命を狙われるお尋ね者。居場所が分かれば必ず刺客を送ってくるはずだ。


 俺はメアリーを殺さなかった。

 馬鹿なカップルをあざ笑って楽しむはずが、逆に笑われる立場になってしまったのだ。

 依頼は失敗し、実行役が手を引いて逃げた。恥ずかしくて街を歩くことも憚られるだろう。組織の上から下まで、果ては関係ない人間に手伝わせてまで、必死に探し回っていることだろう。


 逃げ隠れし続ける重苦しさを振り払おうと、俺達は何かをして気を紛らわせるようにするが、それがなかなか上手くいかない。

テレビゲームをしようが、映画やドラマを見ようが、いつの間にか現実に引き戻されてしまう。

 俺はともかく、メアリーはそれが顕著だった。ヒステリックになることが多くなったのだ。

 だから二人の間では、言い争いが多くなった。

 メアリーはとにかく帰りたがった。住み慣れた場所に。

 そのたびに「それはできない」と俺は諭すのだが、繰り返しメアリーはその話を持ち出した。

 きっとメアリーも心の中では、自分の望みが不可能であることは理解しているのだと思う。


 この生活がいつまで続くのか? 

 追手が来るのかどうか? 

 生き延びることができるのか? 


 大きな不安がある事は、俺にもよく理解できた。

 いまの安全も保障されず、未来がどうなるかもわからず、ここにいつまでいるかさえもわからない。

 わからないことばかりだからこそ、不安を抱えきれず、無理なことでも口に出して俺に言わずにはいられないのだということも。


 結局のところ、覚悟というか、心の準備というか……そうしたものがあるかどうか、と言うことの違いなのかもしれない。

 俺はこの裏の仕事をはじめた時から、ある意味で人生を諦めている。

 今までの生活が突然終わる――そんな想像はこれまで何度もしてきた。捕まる、殺される、裏切られる……。むしろ、よくここまで続いたと言うべきなのだろう。

 メアリーの場合、表向きは店主で店を切り盛りし、裏といってもせいぜいが贈収賄に係る金庫番だ。俺と罪の意識が違っても仕方がないだろう。

 バレたらそのときと覚悟を持つことよりも、「必要悪だ」くらいな開き直りがあっても自然なことだ。

 贈収賄などというものは贈るほうも、受け取り収める方も当然だと思う意識があるからこそ、それが行われるのだ。悪い事でも正当化される環境にあれば、ほとんどの人間はそれに慣れる。それが当然の行いとして……。

 もし嘘だと思うなら、交差点をしばらく眺めてみればいい。一時不停止の車がどのくらい走っているだろうかと。いや、そんなことをするまでもなく自分自身に思い当たることのあるヤツもいるかもしれないが……。

 みんなやっているという結論を得たら、多くの人はバカバカしくなり、それを悪いことだとは思わなくなる。人間とはそういうものだ。



 俺はメアリーと過ごすことで、人生を諦めることをやめようとしている。

 まっとうでない裏の仕事をやめ、表の世界に戻ろうとした。

 一方でメアリーは突然殺されかけると言うことで、突然に人生から見放され、未来を奪われようとしている。


 いまここで起きている出来事の受け止め方がそれぞれ全く違っても、不思議な事はないだろう。



 その日も同じやりとりが何度も繰り返された。俺達は互いにうんざりし、疲れていた。

 俺が夜半に目覚めると、メアリーの姿はそこになかった。



        ◇



 夜半に目覚めると、部屋は静まり返っていた。

 人の気配がないのだ。


 隣にはいない。

 トイレや風呂を使っている様子もない。

 何かを買い出しに行くような時間でもない。


 暗闇の中で、だんだんと覚醒して行く。


 そして俺は我に帰り、自分を激しく攻めた。慌ててベッドに手を突っ込み、温もりを確かめる。まだそんなに時間は経っていない。俺は車の鍵を探した。鍵、鍵、鍵、鍵は……。俺の財布と共にあった。助かった……つまりは車を使用していないということだ。車を使われていたら後を追いかけることができない。


 メアリーならどうする?

 タクシー?

 それとも駅まで歩きか? 

 あるいは駅までタクシー。

 バタバタと音を立て、慌てて着替えながら考える。そんなザマだから、靴下を履きながらみっともなくもよろけて躓く。

「クソったれめ!!」

 両手で頬をピシャリと叩くとキッチンへ向かい、水で顔を洗い、コップ一杯の水を飲み干す。

 俺は駅から列車に乗るという可能性が一番高いと当たりをつけた。こんな夜中に乗れる列車は当然ない。始発まではまだ時間があるはずだ。

 近くの駅へ向かい探すことに決め、シャツを引っ掛け部屋を飛び出すと車に乗り込み、駅方面へと車を向けた。


 メアリーは何度も何度も戻りたいと口にしていたのだ。こうなる事は簡単に予想できていた。それにもかかわらず、飛び出させてしまった。

 この2週間の逃亡生活で俺も相当疲れていたのだろう。

 普段ならば扉が開く音で目覚めないということなど、俺にとってはありえない事なのだ。

 聴覚が鋭すぎるが故に。いつもは目覚めても、寝ているふりをしてやり過ごす。

 それなのに肝心な時に役に立たず、自分に怒りを感じた。

 俺でさえも普段通りでいられないのだから、一体メアリーの不安とはどれほどだったのだろうか? それを感じ取りケアできていたならば、こんな事態は起こらなかったに違いない。

 だが、何を言っても今更だ。自分を責めても後悔しても仕方がない。

 今はメアリーを探すことだけに集中しよう。間違っても1人だけで戻るなどという、最悪の事態にならないように。


 俺は駅の近くのパーキングに車を止めると、駅の周囲を何度も見回った。何度も何度も繰り返しだ。

 24時間営業の店があれば、すべてに顔を突っ込み探す。

 いくら深夜とはいえ、一度ならばともかく二度も三度も店内を探されては店もかなわないだろう。文句を言いに来る店員もいたが、そんなものは構っていられない。とにかく今は探すよりほかないのだ。


 そうして探し回ること2時間。

 焦って慌てて探し回って、不安になって悪い予想をして、また探して。


 走り回って張り付く服。汗が冷えて気持ち悪い。

 不安や焦りがピークに達して通り過ぎると、冷静な瞬間が不意に訪れる。

 始発で帰るに違いないと思うならば、駅の改札で待てばいいのだ。いや、乗り口ですれ違うということもあるかもしれない。ならば駅が開くと同時に始発のホームへ向かえばいい。始発がハズレなら次発、それもハズレなら次々発の列車だ。

 なんでこんな簡単なことが思いつかなかったのかと、自分が嫌になる。

 冷えた缶コーヒーを自販機で購入すると、駅のロータリーのベンチに腰かけて時間を待った。



        ◇



 ホームで見つけたメアリーは、拍子抜けするぐらいあっさりと俺に従った。

 そのままメアリーを連れて部屋へ戻る。

 先にシャワーを浴びるか? 

 そう促したがメアリーは首を振る。


「夜通しであたしを探し回ってくれたんでしょ? 遠慮しなくていいわ」


 気をつかわれる程に俺はひどく乱れているのだろうか?――そう思ったが口にはせず、遠慮なくシャワーを浴びた。正直なところ、汗でベタつく俺にはメアリーの気づかいはありがたかった。それにメアリーの表情や話しぶりからは弱気や不安定な興奮、俺への不信感……、そう言ったネガティヴなものは伺えなかった。

 メアリーが逃げ出すのではないかという心配は、もう必要なさそうだ。

 

 俺はシャワーから出るとコーヒーを2つ入れ、メアリーと向かい合った。

 そのまま2人でゆっくりとブラックのコーヒーをすする。

 レースのカーテン越しに見る窓の外は白く眩しくて、昨日の夜にはたくさん駐車してあった車も数台しか残っていない。

 すっかり朝の忙しさと無縁になってしまった生活であることを、改めて実感する。


 10分か、いや、それとも15分くらい経ったのだろうか? 逃げ、隠れ、堪え忍ぶ生活は、ときどき時間の感覚が引き伸ばされているような錯覚におちいる。

 

 沈黙が続いた。

 

 そして、ようやくメアリーは語りだした。


「あなたの言う通りにするわ。でもね、一度だけ、一度だけでいいから戻りたいの。あの孤児院に」

「……」

「あなたとの間には、これまで子供ができなかったわ。だから、なんというかその……とても、話しにくかったの」


 メアリーは俺の反応をチラチラと見ながら、ためらいがちに話した。


「あたしの子供が……実はあの孤児院にいるの。もちろんあなたの子供じゃないし、あなたと付き合う前の、まだあたしが若くてバカだった頃の話よ」


 俺はメアリーの予想外の告白に、なんと言葉を返していいかわからず、固まったままだった。

 その姿を見たメアリーは、話を続けていいと判断したようだ。


「あたしね、夢を見ていたの。

 歌手になりたくて、なりたくて、なりたくて……。そのために有名な先生のレッスンに通えば、お金はいくらあっても足りない。歌う仕事がやっともらえても、ボランティアに毛が生えた程度の仕事……。

 そんなときエリーが現れたの。夢が叶わず、お金がなく悶々として、とにかく不安で一杯のあたしのもとへ。あの人は歌の仕事っていう夢とお金を、一緒に揃えて持ってきたのよ。そんなこと信じられる? 

 そうなったらもう、その人は神様と同じよね」


 自嘲気味に乾いた笑いを混ぜながら、訥々と語られる若かりし頃のメアリーの姿。


「でもね、結局女の子を誘い込んで使うことに慣れてるのよね、あの人は。『芸術にはパトロンがいるもの』なんて上手く吹き込まれて、歌の仕事のために断れなくなる。愛人という仕事をね」


 そこまで話すとメアリーはしばらく黙り込む。コーヒーカップをじっと見つめていたが、覚悟を決めたように俺と視線を合わせ、また話しはじめる。


「利用したのはあたしも同じ。そしてちゃんと線を、一線を引けなかったのはあたしの責任でもあるわ。愛人と割り切るつもりでも、いいように言われて……。奥さんでもないし彼女でもないから、することだけして子供ができれば逃げられてしまう。ひどいけど、きっと、どこにでもあることよね。

 それにあたしも男のことを悪くは言えない。あたしだって、お金も頼る人もいないから自分で育てられなくて、あたしと同じ孤児にしたのよ」


 何だか掛ける言葉が見つからず、テーブルの上のメアリーの右手を両手で包み込んだ。


「それでもやっぱりあたしの子供なの。だから名乗り出なくても遠くから見ているだけでよかった。子供を見守るためには、孤児院の活動を支援することが1番だわ。だからあたしは立派じゃなくて、私利私欲の、偽善の、慈善事業家よね。勝手で、卑怯で、わがままで……。

 あなたにも嫌われたくなくて、言い出せなかったの。あたしの子供を引き取りたいなんて……」


 俺は立ち上がりメアリーの隣に移動すると、そっと頭を引き寄せた。


「わかった、もういいよ」


 そう声をかけたが、メアリーはかぶりを振ると話し続けた。


「あの子の顔がもう見られない。それが受け入れられないの。だから、だから何度もあなたに、言っても困らせるだけなのはわかっているのに、どうしても言わずにはいられなかったのよ。馬鹿な女よね」

「メアリーは強いな」

「どうして?」

「俺など、過去に近づきたくないという、その一念しかなかった。孤児院に行く、子供に会うということは、自分の過去と向き合えるということだよ。けど、俺はそれを避けてきた。裏の仕事に手を染める俺には、子供の姿など眩し過ぎて向き合う資格もない」

「そんな……ただ心残りでみっともなくも会いたいだけよ」

「……わかった、どうなるかわからないが……、覚悟も必要かもしれないが……、考えてみよう」

「本当にいいの?」

「ただしすぐには無理だ。準備も必要だしな」


 俺は自分がボスのマイケルに言い放った言葉――不確定要素のあるヤツ――を思い出す。

 今まさに自分が昔と違い、人間らしい弱さを身に付けつつあることに気づいた。

 もはや後戻りもできないし、するつもりもない。ならば不確定要素という大事なものを、最後まで守り切ってやろうと、固く決意した。



 それからのメアリーはヒステリックになることがなくなった。秘密にしていたことを話したことで、いくらか楽になったのだろうか。俺達はそれぞれが思うことを、何度も話し合った。

 時間はいくらでもあった。食事をしながら、コーヒーを飲みながら、夜の車の中で、そしてベッドの中で……。

 今、俺達がするべきことは――これからの二人のことをどうするか?――それだけだった。


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