逃走――RUNAWAY――
俺は連絡用の携帯を使い、完了の報告を入れた。カフェで行き会った連絡員だ。
あいつも俺が自分の女を仕留めたと、嘲り楽しんでいるのだろうか?
今はせいぜい笑うがいいさ。明日になれば逃げられたことが判明するだろう。
そのとき間抜けな組織と笑われるのはお前らの方だ。
連絡を入れた俺は部屋をサッと片付け、黒いレザーの手袋を嵌めてからメアリーの部屋へ移動する。
そこでメアリーと鍵を交換し、メアリーには隣の部屋――もともと俺の待機していた部屋だ――で待ってもらう。
組織としては今回の殺しは見せしめの要素が大きい。だから第一発見者はホテルの従業員になるはずだ。
だが、俺が連絡員の立場だったらどうだろうか?
はじめて会った裏社会の人間を、100%信頼していたら生きてなどいけない。
都合よく利用され、責任を取らされてジ・エンドだ。俺が連絡員なら、信頼できる自分の目で必ず死体を確認するに違いない。
そう考えた俺は完了の連絡の後、奴が死体の確認に来るのを待つことにしたのだ。
死体がないことを確認され、あっという間に包囲網を手配されては万に一つも逃げきれないだろう。
1105に入室した俺は革靴を脱ぎ、浴室へ隠す。隠れていても靴底が床と擦れて音を出したら、気取られる危険が高くなる。それを防ぐには素足が一番だ。
それから入口で外の様子を伺いながら、待機することにした。今度はメアリーではなく、連絡員がエレベーターで11階に降り立つ時を待った。
目安は30分だ。
おそらく死体を確認するつもりがあるなら、このホテルで待機しているに違いなかろう。ならば連絡があれば速やかに残業を終えたいと思うはずだ。
目を閉じ、ただじっと待つことにした。
……
…
遅い。
念のため35分待ったが、来ない。どうやら俺が予想していたような、真面目で律儀な裏社会人ではないようだ。
徒労に終わったことに苛立ちと安堵が混ざったような気がして、俺は複雑な気持ちになった。
しかし重要なのはこれからだ。まだ危険から逃げおおせたわけではないのだから……。
浴室に脱いで隠した革靴を出してくると、ゆっくり丁寧に紐を結び直す。予想が外れ、緩んだ自分自身の気持ちを締め直すように……。
紐を固く結び終わると部屋を見まわしてから、ドアへと向かう。
ちょうどそのとき「チーン」と聞こえた気がした。
「クソッ、今頃か!」
俺は舌打ちすると慌てて浴室へ隠れる。急いで靴を脱ごうとしたが、中途半端になったらマズイと思い直しやめた。脱ぎかけの靴で立ち回るなど、デキの悪いコメディだ。
予定が狂った焦りか、脇の下がじっとりと気持ち悪く感じる。
果たして……、奴は来た。
ガチャガチャ、キィ。ドアが音を立て開けられる。
計画を知っている奴は死体を確認すべく、真っ直ぐベッドへ向かうはずだ。
バスルームの前を通過したとき、仕掛ける。
1,2,3,4歩!
今だ!!
一気に飛びつき首を狙う。右腕を巻きつけて上手く奴の首を捕えた。絞め落としにかかるが、振りほどこうと暴れ出す。
激しく振られて壁に叩きつけられること、1度、2度。
3度目はバスルームの入口角にぶつけられ、瞬間、腕が緩みかける。
「クソッ、大人しく落とされろ。お前を殺しちまってメアリーに殺人の疑いを掛ける訳にはいかないんだよ!!」
頭を打ち付けた痛みを吹き飛ばし、気合を入れ直して絞めると、連絡員の抵抗はそこまでだった。腕がだらんと重力に引かれ、下に落ちる。
奇襲で圧倒的に有利な立場だったから、正直なところ助かった。
無力化に手間取れば殺すしか方法がなくなる。かといってここはメアリーの宿泊予定の部屋だ。
ここで殺人が起きたとなれば、表からも裏からも大人気になっちまう。まったくもって、ありがたくない話だ
角に打ち付けた側頭部が痛んだが休んでいる暇はない。パンツのポケットから素早く結束バンドを取り出すと、腕を後ろに組ませて結束する。続いてバスタオルで両膝のあたりを縛り付け移動できないようにすると、タオルで猿轡を噛ませた。すぐに両足を持ちあげ、飛んだ意識を回復させてやる。
組織への恨み言や罵詈雑言を投げつけたい気持ちを抑え、何も言わずに部屋を出る。
コイツだって、しょせん1枚の葉っぱに過ぎないのだ。たかが葉を1枚ちぎっても、傷つけても、花は枯れることはない。
すぐさまメアリーのいる部屋に戻り、連れ立って出る。
そのままエレベーターで降りると、もともとの逃走経路である従業員用の裏口へ抜け、ホテルを後にした。
コインパーキングまで念のために俺が先を行き、ゆっくりと歩く。その後ろを10m程離れて、メアリーが続く。
部屋から出た俺は歩きながらも常に周囲への監視を怠らない。監視がなければOKだが、いるならばそいつを排除しなければならない可能性もある。
ホテルを出た俺を監視する可能性は低いだろうと思いつつも、守るべきメアリーが後ろにいると思うと気が抜けない。ゆっくりと落ち着いて歩く見た目とは裏腹に、どんな音も見逃すまいと構えていた。
途中でコンビニへ寄り、着替えた。自分のジャケットに着替えると、やっと自分へと戻った気がする。着替えたスーツをゴミ箱へ捨て、再び同じ隊列で歩き出す。わざと道を間違えて迂回しながら、監視があるかどうか再確認する。
どうやら俺に監視はついていないらしい。皮肉なもんだが、実務における信頼はひどく高いようだ。今となっては何の意味もないことだが……。
車に乗り込むと座席に滑り込んだメアリーと唇を合わせ、強くハグしてやる。部屋を入れ替わってからここまで、ただ一方的に指示をするだけでロクに話をする間はなかった。
一刻も早くこの場を離れることが、なによりも優先だったから。
「大丈夫? 怪我はないの?」
「ん、見ての通り大丈夫だ。隣の部屋でドタバタして心配させたか?」
メアリーは首を縦に振り、続けて尋ねる。
「相手の人は?」
こんな非常時に相手の心配かと一瞬イラッとしたが――暴力に慣れていなければこれが普通の反応で、自分が巻きこまれている事態への不安の現れだろう――そう思い直し気持ちを抑えた。
命は奪っていないことを強調しつつ、拘束してあるから連絡は取れないはずだと伝える。
怯えるメアリーが安心するまで抱いていたい気持ちもあったが、のんびりとはしていられない。
急ごうと声をかけ、シートベルトを着けるよう促す。コインパーキングを後にすると、一気に踏み込んでこの地を一刻も早く離れたい思いに駆られ、ついつい踏み過ぎてしまう。
悪目立ちは避けなければ……。
それでもやはり気が逸ってしまう。意識してメーターを何度もチェックしなければならなかった。
俺は運転しながら考えた。
殺害後に組織で死体を片付けるつもりなら、こんなところを実行場所に選ぶ必要はないはずだ。片付けに時間と手間がかかる。おそらくホテルの従業員に見つけさせることまでが予定だろう。つまり、そうすることに意味があるのだ。一般人の目に触れて、大ニュースになる。
その意味することは見せしめだ。
『組織を卒業するということは、こういうことだ』という、これ以上ないほどにエッジが立ったメッセージだ。
組織を抜けるための最後の仕事は、恋人や愛する家族を自分の手に掛ける、ということなのだ。これにビビらないやつがいるだろうか? 最高にクールだ。
こんな恐怖政治をアピールされたら、中途半端はできない。真面目に裏の仕事に励むだろうさ。
そして地元に戻った俺はおそらく自殺を偽装されることになる。そうすればよくある痴情のもつれ、カップルの無理心中ということで、めでたく一件落着。犯人をわざわざ用意する手間もない。
「筋書きを描いた奴は天才だな」
俺は小さく呟いた。
車は夜の街を抜けて進む。俺達の住んでいた町を通過して、さらに2時間ほどの街で高速を降りた。
そこで二泊する。
これまでのレンタカーを乗り捨て、別のレンタカーに替えた。
俺がそれをしている間に、メアリーにはクラウド上の会計ソフトへアクセスさせ、データを集めさせる。それが使えるかはわからない。だが、何か持っていると思わせるだけで、脅しが使えることもある。
それにプラスして、『いつ誰と会い、何を渡して何を受け取ったか?』という、贈収賄の記録も整理するよう頼んだ。
隣町へ移動してまた二泊、さらに先へと移動して、それからやっとウィークリーマンションを借りた。目立たぬように極力外出を控え、買い出しは日が暮れてからとする。
ただただ今は、時間が経つことだけを願った。
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