衝撃――SHOW TIME――


 どれだけの時間が過ぎたろうか? 部屋の中はすっかり闇が降りている。その中を電気もつけず、じっと虚空を見つめていた。


 ――ブー、ブー、ブー――

 バイブレーションにしている携帯が3コールで切れた。1分後、さらに3コール。

 

 ――時が来た。

 会合が御開きになり、部屋へ向かったという符牒だ。

 俺はゆっくりと立ち上がり、扉へと向かう。そこで扉越しのまま、気配を待つ。長い待ち時間に深い呼吸を心掛けたせいか、俺の心は波ひとつない水面のようだった。

 しばらくして遠くから、かすかにチーンと音がする。

「下の階に止まったか?」

 ややあって、もう一度チーンと音がする。

 ……チャームなのかルームキーか、金属がカチャカチャと音を立てている。衣擦れの音、廊下の絨毯を靴底が擦る音が段々と近づき、俺の部屋の前を通り過ぎていく。

音が止まるとバッグを開けるようなガサゴソという音がして、ガチャガチャガチャと鍵を差し込み開ける音。ギィッとドアが軋み、そしてオートロックが掛かった。

 扉からターゲットの部屋側の壁に移動して張り付く。しばらくハンガーのぶつかる音や荷ほどきしているような音がした。どうやらテレビをつけっぱなしにするタイプではないらしく、安心する。


「さて、これからどうするかな?」

 かすれた独り言をつぶやく。

 ターゲットは会合で食事は済ませたはずだ。

 まずシャワーか? それともパソコンで仕事でもするか?

 入室を確認できたことで、まずは一区切りだ。


 5分後、バタンと気密の変化を伴う振動がする。どうやら俺は休憩の時間のようだ。おそらくシャワーだろう。


 神経質に張り付くまでもない。一度壁から離れ、首の骨を鳴らす。両手を組んで伸びをすると、指先の骨が鳴った。続けて両肩、二の腕をマッサージする。

 メアリーなら、30分程度かな? 

 そんな意味のないことが浮かんできて、かぶりを振る。

 ターゲットはターゲット、メアリーはメアリーだ。


 どうせ慌てる必要などないのだ。シャワーを浴びるということは、もう出かけはしないだろう。このあと髪を乾かし、休むはずだ。

難しく考える理由など、どこにも存在しなかった。



 30分ほどすると、バタンとドアが開く音がした。風呂が終わったらしい。

 俺はあらかじめ想定している壁の位置に移動する。

 浴室の換気のファンの音がずっとしている。風呂上がりにもテレビをつけないようだ。

 ベッドに縁に腰掛けているようで、ときどきベッドの軋む音がする。

 ターゲットがベッドに横になったとき、そのときが勝負だ。


 これが最後の仕事……。そう思うと、これまでのくだらない過去が浮かんでくる。裏の仕事があるときも、ないときも、毎週月曜日に会っていたニックと会うこともないだろう。


 俺は多くの罪を重ねてきた。

 俺に依頼する組織もクズだが、実行する俺もクズで間違いない。

 そして殺しを誰かに依頼され、死んだ奴らもクズだろう。

 恥じることなくまっとうに生きて、殺しを依頼されることなどあり得ようか? 

 だから俺は懺悔などしない。そもそも神なんて信じちゃいないが……。


 ――けれどいま、わずかな時間だけ祈ろう。これは感傷なんかじゃない。俺が雑念を消すためだ。

 そっと目を閉じる。

 名前も顔も知らない、かつてのターゲット達の安らかな眠りを願った。

 そして新たに一人増える女のためにも……。


 俺は大きく息を吐き、それからゆっくりと目を開ける。

 祈りさえ、これからの一仕事の儀式として利用する。これを自覚的にやる俺は、正真正銘のクズだ。

 そんなクズになりきる時間も、あと数時間か……。


 ベッドの配置、そして高さ。おおよその位置を確認し、合わせる。

俺はあらかじめ自分の側の壁に刃をゆっくりと差し入れ、待機する。あとは力を籠め、相手側の壁だけを貫けば終わりだ。その先には、ただ無防備な柔らかな女の肉があるだけだ。

 すべての準備を終えた俺は静かにじっとして、まるでオブジェのようになる。けれどもそれは、柔らかく、しなやかな像だ。いつでも動ける。


 ……


 …



 そのときは、なかなか訪れなかった。

 いままでも待つことはあった。自分の身を敵の近くで危険に晒しながら、長時間耐えたこともある。やはり最後だということで、少し気負っているのかもしれない。やけに自分の呼吸音が気になる。そう感じることがさらに俺を苛立たせた。脇やひざ裏の汗が流れ落ち、気分が悪い。

 ――たいした事じゃない。クールになれ――そう繰り返して自分に言い聞かせる。


 もし万が一ターゲットが眠らないとしても、方法はある。あまりやりたくはないが、火災報知機を利用して混乱に乗じる。翌朝扉を開けた瞬間に仕留める……。

 予備の方法はいくつかある。

 あわてる必要はないのだから。


 そんな俺の緊張感を茶化すように、唐突にそれは響いてきた。

 ――これから殺されるとも知らず、呑気なもんだな――

 そう心の中でつぶやき、苦笑いする。

 何の歌だろうか? 

 興味を抱き、聞き耳を立てる。


「文字通りのラストナンバーか」

 忍び笑いを禁じ得ず、ニヤけてしまう。きっといまの俺の顔は誰にも見せられないような、ひどい顔だろう。


 その歌は、何度も聞いたことがある歌だった。

 馴染みの歌だ。

 そして歌だけでなく、その声までも馴染みがあるものだった。


 全身の筋肉が硬直する。

 頭がキーンと痺れてくる。

 まさか……、いや、しかし……。


 いったん得物から手を放すと、隣の壁を睨みつける。

 ひどく喉の渇きを感じるが、唾が上手く飲み込めない。

 顔を両手で覆い――落ち着け、落ち着け、落ち着け――そう何度も自分に言い聞かせる。

 だが、何度聞き直してもこれは聞いたことがある歌だ。ホテルであることで遠慮しているのか、ごく小さい音量で、途切れ途切れだが……。

 そういうところも、あいつらしいのかもしれない。


 それはメアリーの唄だった。

 彼女が寝物語に聞かせてくれていた子守唄だった。


 なぜ? 


 どうして? 


 心臓の鼓動が大きくなる。まるで隣の部屋まで聞こえそうだと錯覚し、思わず胸を押さえてしまう。何度も瞬きを繰り返す。深呼吸でもして落ち着こうとするのだが、吸い込もうとすると途中で引っかかったようになり、上手くいかない。

 マズイ、とにかく一度落ち着かなければ。焦りながらも必死に方法を探す。……そして俺はゆっくりと数字を数えることにした。


 ひとーつ、ふたーつ、みーっつ、よーっつ……。

 とにかくゆっくり数えることだけに集中する。「いーち」で吐き出し、ゆっくりと間を取って息を吸い込み、「にーい」と再び吐き出す。


 やっと10を超えたころ、俺は落ち着きを取り戻した。

 どういうことだ? 

 考えろ、考えるんだ。何が起きていて、どうすればいい? 

 どんな方法がある? 

 それによって今後どうなるんだ?


 しばらくするとニックの独り言が浮かんでくる。

 ――何も知らない0か、10分の10すべてを知るかだ。3を知るとか5を知るとかはあってはならない、絶対にだ――


 たしかにその通りだ。あれは……ニックのできる限りの誠意で、友情のしるしだったのだろう。

 そしてマイケルの言葉――素晴らしいショーになる――が思い出された。


 ――素晴らしいショーになる――

 ――素晴らしいショーになる――

 ――素晴らしいショーになる――


 ク、ク、ク、クククッ、ハッ! 

 顔が歪み、握りしめた手のひらに爪が刺さる。


 自然と奥歯を強く噛み込んでしまう。

 ギシッ、ギリギリッと音が頭に響く。

 きっと銀歯と擦れた部分は削れ、こぼれてしまっただろう。

 全身の筋肉がプルプルと震え、ゼーゼーと呼吸が荒くなる。怒りのあまり噛み込んだ 上顎と下顎は離れない。

「クソッタレガァァッ」

 歯と歯の隙間から、マイケルを呪う言葉が吐き出される。噛み込んだままの叫びだから、きっと正確な音にはなっていない。暗闇にかがんだまま……。それは獣の叫びのようだろう、きっと。


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