裏の顔――DIRTY ROAD
路地に面したビルの階段から地下へと進む。
階段を降りて右に曲がると、照明が暗いせいか空気が冷たくしっとりと感じられる。剥き出しで飾り気のないコンクリートの壁に包まれて音が変わり、やけに靴音が響く。
突き当りに大きな木製の扉があるが、看板らしきものどこにも見当たらない。
誰かが間違って迷い込んだとしても、すべての来客を拒むようなその雰囲気に不安を感じ、踵を返すに違いないだろう。
重厚な木製の扉をゆっくり押し開くと、タバコと酒のにおいが空いた隙間から外に流れ出た。
そこに客は一人もいない。
間口が狭く奥に長い部屋のその最奥に、どうやって運び込んだのかと思うような厚い天板のテーブルが置かれている。
そこにいるのは組織のボスと、その護衛だけ。
こいつらは客ではない。
部外者がここに、いるはずもないのだ。
ここはバーの体裁を繕っただけの、組織の会合用スペースだ。
一人だけ、扉に正対する椅子に座っている。その男は組織のボスで、俺の依頼主だ。
殺しの正式依頼は必ず、この男が俺に直接会って依頼する。
黒のジャケットに袖を通さず、羽織にして肩にかけている。
番手が大きな高価な生地で造られたであろうジャケットは、オレンジがかった薄いぐらい照明を受け、爬虫類の表皮のように艶めかしく光を反射していた。
ボスのマイケルは円形のテーブルに肘をつき、顔の高さで指を組んでいる。その指にはゴツいリングが嵌められていて、一般的でまっとうな職業ではないことが誰の目にも明らかだった。
俺は板張りにされた床を踏み鳴らしながら真っ直ぐに進み、マイケルの正面の椅子を引いて座る。腕時計を見ると、約束の時間の5分前だった。
5分間の暇つぶしにと目を閉じ、集中する。
目の前にいる5人以外はフロアーにはいないようだ。
バーカウンターの中の蛇口から、水滴が定期的に滴る音がする。
流し台の上には換気扇であろう、ファンの回転するゴーッという唸り。
冷蔵庫か冷凍庫か、いずれかのサーモスタットが作動する音が聞こえてくる。
5対1で向き合う俺達のほかに、有機的な音は聞こえてこない。
つまりこの場には、俺を含めて6人だけで間違いないようだ。
俺が扉を開けてから、その場にいる6人の男が誰も、一言も、口を開かない。
そのまま沈黙だけが5分間を支配したが、きっかり約束の時間になると、組織のボスで偉大なるマイケルは話しはじめた。
「今回もオマエにふさわしい、クズでゲスな野郎、もとい女を用意した」
「女か……今回の報酬は?」
「いつも通りだが? どうした、カネが要るのか? オマエが値段交渉とは珍しい」
「……いや、前々から冗談のように言っていたが……俺もそろそろ正式に上がりにしたいんだ、この世界を」
「ふん、ガキでもできたか?」
そう言ってマイケルは下品に笑った。
笑ったのはマイケルだけで、左右の4人はクスリともしない。
奴らはきっと、遺跡の秘宝を守るガーゴイルの石像の類なのだろう。
「俺にメアリー以外、身内と呼べるようなものがいないことなど知っているだろう?
不確定要素のあるヤツには依頼しない。それが組織のやり方のはずだ」
「いやいやいや、安心するねえ、オマエのその言いっぷり。我々組織のことを良く理解している、実にね。だからこそ依頼を回すし、辞めても欲しくない訳だが?」
テーブルの上で、互いにそれぞれの真意を値踏みするような視線がぶつかった。
「まぁ、アキレス腱のあるヤツと同様、やる気のない人間はリスクだ。そういうヤツは下手を打つと決まっている。念のため確認するが、引退は今ではなく、この仕事が終わってからでいいんだな?」
「もちろんだ、金があって困る奴はいない。余るなら捨てることもできるが無いものは捨てることさえできない。……違うか?」
「オマエの言葉を聞いて安心したよ。カネを捨てるとはね。ほかの仕事人はそういうことはまず言わない。カネで女を買うヤツ、酒やクスリを買うヤツ、名誉を買うヤツ、借金を返すためのヤツ……、理由はさまざまだが、捨ててもいいなんて言うヤツにはお目にかかったことがない」
マイケルは実に愉快でたまらないというように、両手を広げて笑った。演技か本気か判断がつきかねるような、浮ついた笑いだ。
「……5倍だせるか?」
「5倍? イヤに吹っ掛けるじゃないか。」
「最後のヤマで、しくじる奴は多い。違うか?」
「んー、確かにたしかに。ブラッド、お前の言う通りだ。
新しい生活に頭がいってしまうのか、油断なのか、衰えや限界か、あるいはそういう運命なのか……。
オマエの言うことも、もっともだな。ではオマエに尋ねたい。カネがお前のモチベーションになるのか?」
笑いは消え、無表情にこちらを射抜くように見つめる。ガラッと表情や雰囲気を変えるタイプは真意がわかりにくく、とまどいと共に警戒させられる。
「たかだか5倍といっても4桁の大台に届くわけじゃないだろう。これまでの稼ぎとあわせてマイホームを買うのさ。それで終わりだ。……そもそも守りに入った人間にできる仕事か?」
「なるほどなるほど。……ふむ、確かに難しいが何とかしよう。これまでの苦労に報いる退職金がわりかな? 何ならいつでも呼び出せるようにOB会にでも登録するか?」
面白い冗談のつもりなのだろう。ニヤッと歯を見せて笑いかけてきた。
俺は奴が値段を二つ返事で受け入れたことに驚いた。
必ず渋るに違いない――そう確信して吹っ掛けたのだが……。
こいつはリスクの高い仕事なのか?
それとも排除することに大きな利益がある相手なのか?
動揺を悟られぬよう、テーブルの上に置かれたグラスの水を飲む動作で誤魔化す。
「OB会は謹んで辞退する。しかし、あっさりOKしたな」
「ゴネたほうが良かったかな? それだけ素晴らしいショーになるということだよ」
「ショー? ……あまり意味は分からないが、深入りしないほうがいいんだろ?」
「非常に懸命な判断だ。知りたがりと、おしゃべりと、目立ちたがり……、コイツらはこの世界では長生きできないからな」
マイケルが右手を肩の高さまで挙げる。
すると背後の部下が葉巻を挟んでやる。
それが終了の合図だった。
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