裏の顔

1976

プロローグ



 いったいこの女が、どれほどの罪を犯したというのだろうか?


 人には生きる資格があるのか?

 人には死ぬに相応しい理由があるのか?


 そんなことは俺にはわからない。

 ただの殺し屋である俺には、わからない。


 俺がこの女の殺しを請け負っていること、ただそれだけが確実な事実だ。

 そうしてそれは、この女の命の灯が燃え尽きようとしていることを意味している。


「俺も殺し屋という名のクズに違いない。だが、殺しを依頼されるようなアンタも……クズに違いなかろう」

 今、決行の時が迫っていた。



 こんな薄い壁は、たかだか20センチ程度。

 一気に貫き通してしまえばいい。

 簡単な仕事だ。


 壁越しに女の行動を聞き取り、監視し、決行のときを待つ。

 先ほどから身じろぎひとつせず、俺は壁に張り付いている。

 額には汗がにじみ、刀身を持つ手はじっとりと濡れつつあった。

 自分の吐く息に意識を集中し、ゆっくりと呼吸することで全身の筋肉の硬直を防ぐ。

 俺の部屋と女の部屋を区切る壁を貫き、ターゲットの生命も貫く得物の先端は、壁に垂直に当てられ、待機している。


 俺はこの武器をずっと愛用してきた。

 細身で突き、貫くことに特化した得物だ。刀身1メートルほど。

 これ以上長いと持ち運びに支障をきたす。分割することで運び易くなるようにしてあるものの、これ以上の長さは必要ない。


 今回のように壁越しに貫くような暗殺目的には、最高のパートナーとなる。

 右手で柄を逆手に持ち、かつ、左手で支え体重をかけて一気に押し込めるよう、工夫をほどこした特別製。

 この武器は派手に切り結ぶための武器ではないのだ。


 俺が関わる裏の仕事とは、派手に撃ちあうとか、力づくでやりこめてしまうような荒事とは、まったくの無縁。

 大勢を狙うとか、遠くから狙撃するということも俺の専門外だ。


 なにより一番の俺の武器は、自分自身の聴覚。

 全てを聞き取り、把握する。

 一般人ではあり得ない距離で音を聞き取り、数多(あまた)の足音からもターゲットの足音を聞き分けて選ぶことができる。


 いかにも暗殺という言葉がハマる。

 動物的なまでの聴覚を使った、まさに畜生のような働き。

 それが俺の裏の仕事だ。



 このホテルの図面は頭に入っている。壁の厚み、壁下地の骨組み、隣の部屋のベッド、デスク、椅子といった家具の配置……。

 あとは自分の聴覚がすべてを導く。

 ターゲットはどうやらベッドサイドに腰かけているようだ。ベッドが軋む音が聞こえてくる。

 今日という日も残りわずか。そして彼女の人生も明日を迎えることはないだろう。

 この女の人生とは、いったいどんな人生であったろうか? 


 いや、余計な詮索は無用だ。

 俺とメアリーの未来のために、アンタの未来を頂戴するとしよう。

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