11 あるバイトの話
海外出張で半年留守にする植物学者が住むマンションの一室、そこにいる観葉植物達の世話をするバイトの募集が、情報誌に載っていた。業務内容の下には、彼の秘書の電話番号が書かれている。
仕事の内容は、指定された時間に植物へ水を与える事。それだけなのに、給料は冗談のように良かった。これなら彼女に新しいバッグも買ってあげられるし、暫くは他のバイトをしなくても遊んで暮らせる。俺はすぐ電話をして申しこみ、一週間後、顔も見た事のない学者の家に上がりこんだ。
室内はまるで小さな植物園だった。見た事のない大小の植物達が雑然と並び、その中に埋もれるようにしてベッド等の家具類が置かれている。
これらが学者の単なる趣味なのか、それとも何かの研究の為に集められているものなのかは、学のない俺なんぞに分かる筈もない。ただ秘書から郵送されて来た紙に書いてある指示通り、植物へ水を与える。それが俺の仕事で、他は知る必要がない。
仕事をする上で、与えられた規律は三つ。ここでの出来事を口外しない事、水を与えるのを忘れない事。そして、彼らとうまく付き合う事。
うまく付き合う、の意味はよく分からなかったが、学者の家にいる間は余計な事をしないように気をつけた。例えば、不必要な物には触れなかったり。気のせいではあると分かってはいるのだが、俺と彼ら以外に生きているものがいない為か、植物達が俺の一挙一動を見ているような気がしてならなかったのだ。
始めのうちこそ俺を警戒し、一様に身動きを取らずにいたのに、日を追う毎に寛ぎ始め、しきりに茎をくねらせ葉を動かしているようにも。気のせいとは分かっているのだが。目を離した隙に、位置や格好が大きく変わっているようにも見えるが、錯覚のはずだ。
そして一ヶ月が過ぎ、念願の給料日が来た。
俺は逸る気持ちを抑えて銀行に向かい、振込まれた金を一気に全額下ろしてバッグに詰込む。
そのまま学者の家へと走り、満面の笑みで彼のベッドへ倒れこんだ。雇い主の寝具に触れるなんて失礼かもしれないが仕方ない。
何故なら普通のバイトで真面目に働いた三ヶ月分の金が、今、俺の鞄の中にあるのだから。これがまともに立っていられようか。
「やったー!」
俺は学者の家で初めて大声を出し、鞄から金束を取り出してばら撒いた。最高の気分だった。
たかが草に水をやっただけでこれだけ貰えるとは。何か悪い気もして来た。少し減らして貰っても良いかもな……。
金に頬ずりしながら、余裕を持ってそう考えていた時だった。
視界の隅にある、一際小さな植物の鉢が音をたて、小刻みに震えだしたのだ。俺は固まった。普通の植物があんな風に動くか?
そしてそいつは俺を睨んだ、まるでうるさい、と怒っている、ように見えた。気のせいな訳がない。そう思った次の瞬間、そいつはビデオを早送りするかのように一気に巨大化して俺の背を超え、一枚だけある葉で俺へと向かって来た。向かいながら、葉の中央の線が二つに裂かれる。そこから汚く並んだ歯と赤い舌が現れて、俺を食おうとするかのように大きく開かれた。変化があまりにめまぐるしく、逃げる事も叫ぶ事も出来ないまま、息がかかるほど口との距離が近づき、死を実感したその時。
葉は一瞬で俺から離れ、床に倒れこんだ。まるで何かに強く叩かれたように。
見ると、ベッド脇に置かれた一つの植物が鉢ごと大きく傾いて前に出、俺を襲って来た葉を威嚇するように体を揺すり、ざわざわと音を立てていた。理由は分からないが、こいつが助けてくれたらしい。
倒れた葉は見る間に縮こまり、何食わぬ顔で元の姿に戻る。
訳が分からないまま、とにかく逃げようとしたが、腰が抜けていて立ち上がれない。
すると助けてくれた植物が俺を見、目が合った。ように見えた。植物はすぐさま鉢ごと後退して元の格好に戻るが、何度もちらちらと俺を盗み見ているように感じた。
まるで恥ずかしがるように。言ってしまえば、恋をしている女の子のように。
他の植物らも、何かあったのかとこちらを覗き見ていて、そして忙しなく動いている。
気のせいでは無かったんだ、こいつらは確実に動き、自分の感情に従い行動し、そしてそれは、まるで人見知りの子供が少しずつ慣れていくように表面に現れ始めていたのだ。
これからどうなっていくんだろう。また襲われるかも知れないと思うとぞっとする。俺はバイトの為に命を掛けに来た訳ではないのだ。この金額では安過ぎる。
「……給料、倍にして貰えないかな……」
俺はベッドにずるずると沈みこみながら、秘書に電話してみよう、と考えた。
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