第8話

 思えば脱獄を、相手が考えないはずがなかった。

 死から逃れられるならば、牢屋から抜け出したいと思うのが普通だ。

 罰を受け入れている者でない限り。

 顔に傷のあるトカゲ人間は食いしばる。

 その表情からは激しい憎しみが読み取れた。

「お前らはいつでもそうだ」

「いつでも、って?」

「俺らの尻尾を、玩具でも手に入れるかのように切りやがる!」

「そ、そんな! 誤解です! わたしはただ謝りに来ただけで」

「謝る? 人間が? 俺らに? ふざけるのもいい加減にしろ!」

 吠えるように叫ぶと、周囲の兵士が槍を構えた。

 もはや話が通じるような状況ではない。

 けれど、このまま殺されたくは無い。

 どうしたら切り抜けることはできるだろう。

 無い知恵を振り絞るも、名案は浮かばない。

 その間にも、兵士たちがじりじりと詰め寄ってくる。

 とその時、

「目を閉じて!」

 突然、声が響いた。

 尻尾を切ってしまった、あのトカゲ人間の声だ。

 わたしは反射的に目を閉じた。

 それと同時に、ばふっ! という音とともに粉末状の何かが頬を撫でる。

「目が、目に砂が」

「誰だ! 砂袋をぶちまけた奴は!」

「水だ! 早く水を持ってこい!」

 兵士たちの怒号が駆け巡る。

 どうやら砂袋を放ち、煙幕代わりにしたらしい。

 でも視界が利かないのは私も同じ。

 動けないでいると、不意に手を掴まれた。

「静かに。僕だ」

 悲鳴を上げようとし、声の主に安堵する。

「僕が先導する、ついてきて」

「わかった」

 わたしは囁くように答える。

 手を引かれるまま、私は尻尾の切れたトカゲ人間と走った。

 生温い夜の空気が肌をかすめる。

 どこに向かっているんだろう。

 兵士たちの声すぐに聞こえなくなった。

 王宮から離れてはいるのだろうけど、一体どこを走っているのかさっぱりだ。

 もしも処刑台に向かっているとしても気付かない。

 でもそんなことはないと確信していた。

 助けてようとしてくれたにも関わらず、わざわざ自分で処刑をする理由などないはず。

 わたしの手を握るのは、冷たく、鱗に覆われた、人のものではない手。

 それが力強く、頼もしく、そして温かい。

 本気でわたしを助けようとしてくれているのが分かった。

 何分ほど走っただろう。

 息が荒くなった私は我慢できずに尋声をかけた。

「ね、ねぇ。い、いつまで目を閉じていればいいの?」

「すみません、あと少し。はい、もう大丈夫です」

 目を開くと、そこは見慣れた近所の住宅街だった。

 歩いて数分もすれば学校に着く。

 足も止め、私は乱れた呼吸を整えた。

「さすがに彼らも、こちらまで追ってくることはないでしょう」

 遠くを眺めて言った。

「無理な話かもしれませんが、彼らを悪く思わないでください。僕たちの国であなた達は、恐れられる存在なんです」

「うん、みたいだね。驚いた」

「本来ならば僕たちの国に、あなた達が訪れることはありません。ですが僕が失敗したばっかりに……」

「そんなことないよ、悪いのはわたしなんだから。それよりも」

 わたしは深く、深く頭を下げる。

「尻尾を切ってしまって、ごめんなさい」

 ただこの一言を言うためだけに、大変な騒動に巻き込まれた。

 牢屋でも謝ったけど、あんなものは謝ったうちに入らない。

 きちんと謝らずにはいられなかった。

 わたし自身の、けじめとして。

「ほんとに、あなたって人は」

 牢屋で鉄格子越しに会ったときと、同じ言葉が零れる。

 しかしその表情は、なぜか優しそうに見えた。

「他人からお人好しだと言われませんか?」

「ど、どうして分かるんですか?」

「分かります。尻尾のことは心配しないでください。しばらくすれば新しいものが生えますから」

 そう言って、にょろりと切れた尻尾を見せる。

 よく見ると尻尾の先っぽは、既に傷がなくなりかけていた。

「初めからこの尻尾は、切れやすいようになっているんです。敵から逃げやすくなるために」

「そういえば、あなたはどうしてあんなに怯えていたの?」

 元はと言えば、あんなにビクビクしていたトカゲが気になり、思わずちょっかいをかけてしまったのだ。

 この際だから聞くことにした。

 すると尻尾の切れたトカゲ人間は、ふっと顔を逸らした。

「あなたと同じ格好をした人間たちに、追いかけられていたんです」

「わたしと同じ? なんでだろう」

「それが僕にもさっぱり。魔女だとか黒焼きだとか薬の材料だとか、そんな単語が聞こえたのですが」

「あぁー、そういうことかー」

「分かるんですか?」

 わたしは気まずそうに頷く。

 きっとあのオカルト研究会の仕業だろう。

 魔女の薬の材料に、トカゲの黒焼きを手に入れようとしたってところかな。

 そりゃ逃げるわけだ。わたしだって死に物狂いで逃げる。

「わたしは直接関係ないんだけど、ごめん」

「いえ、僕もいけませんでした。これからはこちらに来ることは止めます」

「そっか……」

 少し寂しいと思った。

 色々あって、命まで危うかったけれど、刺激的な一日を過ごしたのも事実。

 本当はもっと色々話をしてみたかった。

 わたしたち以外の国の、わたしたち以外の物語を。

「これで僕は失礼します。あなたに幸せがあらんことを」

 尻尾の切れたトカゲ人間が背を向ける。

「ま、待って」

 思わず私は呼び止めていた。

「わたし、○○○○って言うの。あなたの名前は?」

 今更ながらに名乗ると、尻尾の切れたトカゲ人間が小さく笑った。

「リン、だ。さようなら、○○○○」

 そう言ってわたしはリンと別れた。

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