あるじのめいれい
「ねぇねぇ、ロシュ。あのね、耳かして?」
「どうしたのですか、フィシュア様」
明るい日差しのもと、小さな手が手招きをする。先日彼の
ロシュは彼女に乞われた通り傍に寄り、膝をつく。
成長しきっていない身体は師であるオレオに比べると随分と低く感じるが、フィシュアにとってはそれでも高かったらしい。
背伸びをしたフィシュアにあわせ、屈んだロシュはさらに頭を傾けた。すぐに耳に手が添えられる。内緒話をするように、フィシュアはとても小さな声でロシュの耳元へ囁いた。
「あのね、あのね、ロシュ。わたし、好きな人がいるのよ」
「へぇ、どなたなのですか?」
「サクレ様。わたし、サクレ様のことが大好きなの」
皇宮に出入りしている吟遊詩人の名をあげたフィシュアは、ロシュの耳元から顔を離すと、どこか誇らしげににっこりと笑った。
ロシュは、そんな少女の様子を微笑ましく思った。
「そうなのですか。サクレ様が聞いたら、さぞ喜んでくださると思いますよ」
サクレとフィシュアは仲がよい。
サクレが恋人の弟子であるフィシュアのことを一人の大切な友人として扱うと同時に、とてもかわいがっていることは、まだ付き合いの浅いロシュの目から見ても明らかだった。
きっとこのことを知れば、あの穏やかな吟遊詩人は、ほんの少し驚いた後、普段から柔和な顔をさらに打ち崩して礼を言うことだろう。
けれども、フィシュアはすぐさま首を横に振った。口に人差し指をあて、ロシュに告げる。
「だーめ。これは、ないしょの話なの。だって、サクレ様はイリアナ様が好きだもの。だから、ひみつなの。だって、きっと二人とも、こまってしまうでしょう?」
ロシュは苦笑する。この歳にしては、いくらか大人びた発言に思えた。
それでもフィシュアがひどく真面目な顔で言うので、ロシュは「わかりました」と首肯した。
「秘密にしておきましょう」
「うん。ありがとう、ロシュ。ずっとね、だれかに言ってみたかったのよ。だけど、これは、ないしょにしておかないといけないから、だれにも言ったことがなかったの」
「そうなのですか」
ロシュが微笑すると、フィシュアはこっくりと頷く。
「わたしは、ロシュの“あるじ”なのでしょう? ロシュは“あるじ”の言うことにはしたがわなければならないのよ。だから、ぜったい、ないしょにしていてね。これはね、ロシュ。“めいれい”なの」
「はい。確かに」
胸をそらし得意そうに宣言したフィシュアに従い、ロシュは恭しく
フィシュアがほっとしたように「ありがとう」と礼を告げてくる。
同時に額に授けられた祝福にロシュが
もうそろそろフィシュアと出会って三ヶ月が経とうとしている。
それでも、いまだ慣れぬ主のねぎらい方に、この時のロシュは困ったように笑みを浮かべていたのだ。
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