友人へ

「セジール」


 足を踏み外して、階段から落ちたという古くからの友人に、シェラートは声をかける。

 セジールは今、寝台に身を沈めていた。

 折れた骨は治した。怪我も。内で破れた血管も。

 偶然だった。

 シェラートが、セジールの家を訪ねてきたのは。

 呼びかけに、いつも陽気に応じる友人の声が聴こえない。

 訝しさに足を踏み入れてみれば、血の気のひいた顔で床に倒れているセジールの姿があった。

 ぞっとした。

 もしも来なければどうなっていたことか。

 だが。

「おーい、泣くなよ? 頼むから」

 筋を無理に動かして、セジールは皺の目立つ顔に笑みをつくる。

 その微笑は、あまりに脆弱で、背筋を凍らすには充分だった。

「……なんて顔してんだ、シェラート」

 セジール自身も気づいているのだろう。「悪いな」と、友人は吐息を零す。

 これ以上、修復可能な箇所はない。

 生気だけは、魔力ではあがなえない。

 セジールの寿命は、残りわずか。

 階段から落ちていようが、いまいが、それは変わらなかったのだろう。

 ただ、彼が持つ生気を、シェラートは治癒を行う過程において、はっきりと明確に読みとってしまった。

「お前は、若いなぁー、シェラート。レーティアと二人で、お前に初めて会った時と、見た目が全く変わってない」

魔人ジンだからな」

「けど俺だって、中身はまだまだ若いぞ。昔と変わらん。心は永遠とわに十八歳だ」

「なるほど? そういうことにしといてやるよ」

 シェラートは、紛らわすように微苦笑する。

 拳を握りしめれば、敏いセジールは、すぐに勘づくだろう。自分のことで心労を負わせるつもりはない。

 自然の摂理だ。セジールは八十一。人間の歳でなら、充分に長寿。

 仕方がないこと。だから、できるだけ、安らかに、穏やかに――楽しく。たとえ、自分よりも数十若かろうと。

 セジールは、天井をぼんやりと眺めながら、目を細める。

「子らもみんな、出払って、レーティアもいなくなってからは、独り身がいたく堪えたからなぁ。シェラートがいなかったらもっと、堪えたんだろうなぁ」

 感謝している、とセジールは呟いた。

「本当は、一点にとどまるつもりもなかったんだろうに、俺らがひきとめて悪かったなぁ。楽しかった。レーティアがいなくなった後は、出て行っても怒られることもなかっただろうに、心配してくれていたのか? この街に残ってくれててありがとうな」


***


『外見を変える? そんな無理して俺らにあわせることないだろう』

『そうよ、うらやましいわ、若いままなんて。最近、小皺が目立つようになってねぇ』

『白髪もな』

『あんたは、禿げてきてるわよ』

『マジか!』

「いや、でもな? 外見が十年もこのままだと、さすがにそろそろ怪しまれ……」

『――勝手に出ていったら、うちら夫婦が叩き潰す! で、追っかけて、連れ戻す』

「……」

『悪いな、シェラート、無理言って。でも、こいつこえーから、俺、止めんの無理だわ。お前が諦めてくれ』

『平気平気。いざとなったら、うちに匿ってあげるし』

『レーティア、それじゃ監禁だ』

『一生若いまんまの外見でしかいられない病気なんです、とか言ってみるとか』

『自ら、その病気にかかりたいとか言いだす奴がいるだろうなぁ……って、いてーよ! 殴るなよ』

『とにかく、それが、シェラートの本来の在り方なら、そのままであるべきよ。何かあったら、言いなさい。いつだって助けてあげるわ。シェラートは、私たち家族の大恩人なんだから』

『おうともよ』

『だけど、街から黙って消えるのは、駄目。いい? それは友達がしていいことではないわ。常に要相談よ。要、相、談!』


***


「やっほー、シェラ坊。いる? いるよね? あがるからね?」

「もう勝手にあがってるだろうが!」


 唐突に同空間に転移してきた魔神ジーニー。セジールとレーティアよりもさらに先に、こちらは知り合いにならざるを得なかったヴィエッダを見やって、シェラートは溜息をついた。

「もしかしなくとも見計らってきてるのか……?」

 疑惑が頭をもたげる。その場合、非常に嫌なこと極まりない。

 対してヴィエッダは、形のよい唇の両端を、にんまりと上げた。

「なんだい、シェラ坊。何かあった? 何か、あったのかしらね? 楽しそうだから話してみな?」

「…………」

 人間は脆いと。その生は儚いと。

 確かに、己もそうであったはずなのに。

 そう感じてしまったことは、自分が人間とは異なった存在になったことを改めて実感するには、きっと充分すぎた。

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