とある日の裏のかけら

【宴の裏側、水神との事前打ち合わせ】


「娘、覚えられないぞ……?」

「覚えられないって、ちょっとしか言うことないじゃない!」

 フィシュアはヘダールの申告に頭を抱えた。

 ヘダールに暗記させようとした言葉は紙に書いたら、たった三行ほどしかないものなのだ。にもかかわらず、彼は覚えられないと言う。しかも、今までに見たことのないようなひどくまじめな顔をして。

「バカだバカだと思っていたが、本物のバカだったか……」

 呆れの滲むシェラートの諦念に、フィシュアはもう相槌を打つ気力すらなかった。

「もう、いいわ。私が横で台詞を言うから、あなたはただ繰り返して」

「よかろう」

 こうして宴の席に立ったフィシュアは微笑みを浮かべながらも、水神に小声で台詞を耳打ちすることになった。

 途中で横を振り向いて「なんだったか? よく聞こえなかった」と聞き返そうとするヘダールに鋭く冷やかな視線を送りながら。


 とりあえず歓喜に溢れ返った村人たちが、そのことにちっとも気付かないことに、フィシュアは深く安堵したのだ。



【華麗なるお茶会】


「ヴィエッダ様、終わりました! きちんと役目を果たしてきましたよ!! お茶してください」


 まるで子犬がはねるようなウキウキとした足取りでやって来たヘダールに、ヴィエッダはあいまいな表情をつくった。

「本当はもっと早く終わったのですが、お茶受けの菓子を用意してたので遅くなってしまいました。申し訳ありません!」

「いや、それは別に構わないんだけどね、ヘダールのおぼっちゃん……」

「ヴィエッダ様は甘いの大丈夫ですよね?」

「ええ、大丈夫なんだけどね……」

「よかった! では早速並べますね」

 銀髪の魔人ジンは言うが早いか、卓上へ様々な菓子を転移させた。どの皿にも山ほど盛られた焼き菓子が並ぶ。なんとも絶妙な焼き色をしている菓子からは香ばしく甘い香りが漂い始めた。

 目の前に並べられた――夕食よりも多いだろう菓子の数々に、椅子に座っていたヴィエッダは足を組み直すとこめかみに手をやり、言いにくそうに口を開いた。

「せっかくたくさん菓子を持って来てくれたところ悪いんだけどね……お茶会は中止せざるをえないんだよ」

 告げられた言葉にヘダールは文字通り言葉を失い、きょとんとした。

「というか、肝心の茶がないんだ」

「どういうことですか?」

「どういうことって言われてもねぇ、消えちゃったんだからしょうがない」

 そんな、と崩れ落ちたヘダールに、「まぁ、この菓子は少し引き取ってあげるから、今日のところは帰っておくれ」とヴィエッダは容赦ない宣告を言い渡し、手を横に軽く振った。

 その瞬間、一皿を残して跡形もなく焼き菓子が消える。


 ヴィエッダによって菓子と共に強制的に退去させられたヘダールをもってして、お茶のないお茶会は幕を下ろした。



【ロシュとホーク】


 広く高い空の彼方。

 徐々に近づいて来た一羽の鳥の姿にロシュは空を見上げ、目を細めた。

「ホーク。お帰りですか?」

 優雅に舞う気高き鳥は、しかし、あっさりとロシュの真上を通り過ぎる。

「無視ですか」

 いつも通りのホークの反応にロシュはただ苦笑を洩らした。

 颯爽と飛び去ったホークの後ろ姿を見送りながら、彼は一つの確信の元に頷き、ホークが飛んで来た方向へと目を向ける。

「フィシュア様が帰ってくるのですね」

 茶の鳥の鋭い鉤爪のついた足には、何の知らせもくくりつけられてはいなかった。

 そうしてホークはいつも通りの方法で知らせを運んでくれたのだ。

 ホークが身一つで帰ってくる時、彼らの主の帰還も近い。

 それも遅くとも二、三日の内に。

 何の知らせも持っていないことこそが、彼女の帰還を知らせるものであった。

 ロシュはそのことを長年の付き合いから知っている。

 ホークもまた、彼がそのことに気付くことを知っているからこそ、ロシュの真上を通り過ぎるのだ。

 だからロシュはいつも苦笑を洩らす。愛想のない、一羽の同僚に向かって。

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