小鳥を拾った日
「ぴぃ」
靴の裏でむにゅりと踏み潰してしまった感触に、私は内心『げ』と慄きながら、そろりと足をあげた。
殺風景な廊下のど真ん中。持ちあげた靴の下から姿をあらわした小鳥はこてりと横向きに倒れる。
心持ちつぶれて見える薄黄色のその小鳥の身体からは、非難がましく毛糸で作られた翼がもげかけていたのだ。
***
「大体どうしてこんなものが落ちてるのよ」
歩きながら、むにむにむにむにと毛糸でつくられた小鳥の胸を押す。中に笛でも仕込んであるのだろうか。小鳥は、押した数と同じ分だけぴぃぴぃぴぃぴぃとか細い声で鳴いた。
ふかりとした薄黄の胴体にほとんど首もなく繋がる丸っこい頭。橙がかった嘴の両端で埋もれている緑の石でできた目は人懐っこそうで愛らしい。
一体、誰のものなのか。屋敷で、こんなぬいぐるみを見るのは初めてだった。
手づくり感溢れる身体の中で、不相応にきらりと輝く緑眼に見つめられている気がして、私はじぃと見つめ返した。
むに。
「ぴぃ」
むにむに。
「ぴぃぴぃ」
むにむにむにむにむにむにむにむ。
「ぴぃぴぃぴぃぴぃぴぃぴぴぴっ!!」
「……カザリアさん? 何してるんですか」
どこか呆れ混じりな声が響いて、我に返る。
向き合っていた小鳥から、顔を上げると、ロウリィが不思議そうな目で私の手元を覗きこんでいた。
ぴぃ、と小鳥が、存在を主張するように鳴く。
あれ? とロウリィは、目を丸くした。
「これ、前に僕がルカにあげたぬいぐるみじゃないですか」
「え、これ、ロウリィがつくったの?」
これを? と問いかけながらむにむにと、やわらかい小鳥のお腹を押す。
ぴぴっ、と鳴いた小鳥の向こう側で、ロウリィは「はい」と懐かしそうに頷いた。
「いくつの時だったですかねぇ。ルカが欲しいと言っていたので中身だけ変えて誕生日に渡したんですよ」
「中身?」
ロウリィはほやほやと蒼い目をゆるやかに細めて、「ええ」と答える。
「ちょうどあの時は、鉤編みに凝ってましたし」
「鉤、編み……器用ね」
「まぁ、珍しく欲しいと言われましたし」
いやぁ、懐かしいですねぇ、とロウリィは、小鳥の嘴を丸い指先でつついた。
毛糸でできた柔らかい嘴が、小鳥の顔の中に埋もれて、とても不格好に見える。その姿は、本当にひどく不格好なのだ。隣をちらと盗み見ると、小鳥の嘴をつついている本人も小鳥のつぶれた顔を見ながら、笑いをこらえているらしい。
ぴぃ、とまるで抗議するようにないた小鳥に、私たちは顔を見合わせて笑い転げた。
その時、である。
「ロ・ウ・リ・エ! 大変です! 小鳥のぬいぐるみがなくなってしまいました!」
廊下の角から、すごい勢いで飛び出してきたルカウトは、ロウリィを目にするなり、血相を変えて走ってきた。がしりとロウリィの肩を掴んだこの背高のっぽの使用人は、険しく眉間に皺を寄せてじりじりとロウリィに迫る。
「ロウリエからもらった大事な大事な小鳥がいなくなってしまいました!」
「ルカ、おちついて」
「あぁ、奥さま! どこぞで毛糸でできた小鳥のぬいぐるみを見かけやしませんでしたか!」
ぐるりと回ったルカウトの首に、身を引く。おや、とルカウトは目を細めると、にたりとわらった。
「奥さまはご存知でらっしゃいますか。さすがは我らが奥さま!」
「ひっ!」
ぬっと、伸びてきた腕を辛うじてかわす。
「ルカウト! いいかげんにしなさい!」
げし、とロウリィがルカウトの膝頭を蹴ったのと、私がロウリィから小鳥を奪ってルカウトの顔面に投げつけたのはほぼ同時だった。
顔面から跳ねかえっておちた小鳥を、ルカウトは両掌で受け止める。
「おや、こんなところにありましたか」
「だから、落ちついてって言ったじゃないですか!」
「いやはやついついすみませんねー」
ははは、とルカウトは無表情で声だけ笑い、小鳥をさっと懐にしまい込んだ。
「カザリアさんが拾ってくださったんですよ」
「おやおやまぁまぁ、それはありがたいことでした」
ルカウトは颯爽とした仕草で、頭を垂れる。表情は心なしか晴れ晴れとしているようだった。一体さっきの騒動はなんだったのだと思うほど、いつもと変わらぬ飄々さに、溜息をつきたくなる。
「まぁ……よかったわよ。そんなに大事なものだったのなら」
「えぇ。無理を言っていただいた大事なモノですから。ロウリエにはじめてもらったモノなのです」
ルカウトはしまった小鳥を確認するように胸を叩く。「ぴぃ」とくぐもった鳴き声が響いた。
「そう」
「ちょうど、近くに演習に来てるらしいんですよね。これで、今年もディーラのひきつった顔が拝めます」
「は?」
「おや、気になるのですか? 奥さま野暮ですねーえ? と言う訳で、これから私は、愛しい婚約者のところへ行ってきますので、奥さま、その間ロウリエのこと頼みましたよ」
では、と、くるり私たちに背を向けたルカウトは、うきうきと元来た廊下を引き返す。
途端、ロウリィは「返すんじゃなかった」と呻いた。
「むしろ、あげるんじゃなかった、の間違いですね……」
「ねぇ、ロウリィ。あれ、どういうこと?」
一人、訳の分からない私は首を傾げる。う、とロウリィは表情を強張らせた。
「き、聞かなかったことにしてください。若気の至りです」
罪悪感でいっぱいらしいロウリィは、ルカウトの消えた角に向かって「本当にすみません、ディーラさん」と申し訳なさそうに呟く。
小鳥にまつわる詳細は分からないにしろ、とにかく今は、まだ見たことはないディーラさんの無事と、もげかけた翼が私のせいだと気付かれないのを祈るばかりである。
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