ディーラさんと彼らが少年だった時代の話
「ルカウト!」
行く手に見えた後ろ姿に、手を振り上げる。のっそりと振り返った長身の少年は露骨に鬱陶しそうな顔をした。
「なんですかディーラ。俺はもう疲れたんで、早く帰って寝たいんすけどねーえ? どこもかしこも痛いのなんのって。あのオヤジいつか礼儀を払わなくてよくなったら、叩きのめしてやりたいですヨ」
同門の同期であるこの少年は、剣の師に対して、ぶつぶつと呪詛を並び立てる。いつもなら叱り飛ばしてやるところだが、今日ばかりはそんなことに構ってられなかった。つい今しがた、彼が呪うその師匠から手渡された案内をルカウトの胸に叩きつける。
「なぁなぁお前も、騎士登用試験を受けるんだろう?」
勢い込んで、ルカウトに尋ねた。師匠がコレをくれたということは、試験を受けるに見合うだけの実力が備わったと認めてくれた証だ。考えるだけで、きゅうと胸が掴まれるような強い高揚感が沸きおこる。
紙を指先で摘みとったルカウトは、案内を眼前にかざしたかと思うと、ついと眉根を寄せた。溜息を吐き出したルカウトは、あろうことか紙を無造作に指ではじいた。
「うわっとっ!?」
ひらひらと宙を踊った案内を慌てて掴みとる。何するんだ、とルカウトを睨みつけると、彼は興味なさそうに肩をすくめた。
「ディーラには悪いですが、俺は受けませんよ。興味がない」
「なんで!」
信じられないと目を丸くすれば、ルカウトは鼻先で冷笑した。
「受けたって意味がないですから。仕えるべきは国ではなく、ロウリエなんだととっくの昔から決まっていますからねぇー」
そうゆうことです、とルカウトは言葉を締めくくる。
ぽかんと口を開け立ちつくしてしまった私を残し、ひらりと一度手を振ったルカウトはあくびをしながら歩いていってしまった。
ちょっと待て。じゃあ、私はどうすればいいんだ。
「ふざけんな」
噛み殺した呟きは、きっと彼には届いてはいまい。
そもそもロウリエって一体どこの誰だ!
***
「ロウリエ・アジ・ハルバシン・ケルシュタイード! いざ、尋常に勝負!」
「えええええええ!?」
ぴしり、と突きつけた剣の切っ先で、相手はおろおろとうろたえ始めた。
ちょっと落ち着きませんか、と言うお前がまず落ちつけと言いたい。
「ど、どうしていきなり勝負なのでしょう?」
「お前のせいでルカウトが騎士の試験を受けない」
「へ?」
ちょうど同じ年頃の、若干丸みを帯びた少年は、緊張感なくほけらと首を傾げてくる。
「だからっ!」
「なーにしてるんですかねーえ、このこは?」
「ぐくうぇっ」
背後から首をはがいじめにされて、身体が後方にのけぞる。思いがけず宙を切った剣の切っ先を、相手はなんとか避けてくれたようだった。
「パン屋の娘が貴族に剣を向けるって、しかもケルシュタイード家の身分知ったら、ディーラったら青ざめること間違いなしですよ。試験に受かったあかつきには、よーくよくよくその辺を学んで頭に叩き込んでおくべきですねーえ?」
腕で、ぐぎぐぎと首を絞められる。ぐるしい。死ぬ。離せ。無理。これ以上は無理、と腕を叩くとルカウトはようやく拘束を緩めた。
頭上で息をついたルカウトが、憐みの目を向けているだろうことが、目にするまでもなく嫌でも分かる。
「剣をしまう」
「…………」
「はい。よくできました」
「……ぐくく」
呆気にとられてこっちを見ている丸み少年を前にして、私は口をひん曲げる。
ルカウトに思いっきりのしかかられている分、背中が重い。その上、ごちんと頭を顎で小突かれて涙目になった。痛い。地味に痛い。この石顎め。
「だいたいロウリエはディーラと面識なんてないでしょう。どうして屋敷の外でわざわざこんなことになってるんですかねーえ?」
「あぁ、それは」
ルカウトの問いに、丸み少年は蒼い双眸を和らげる。
「庭で草いじりをしていたら」
「たら?」
「足元に結び文が飛んで来て」
「来て?」
「外に出てきてほしい、と」
「それで素直に出ちゃったわけですか。あははー。それでこそロウリエ!」
「まぁ、垣根の隙間からディーラさんの姿は見えていましたし。背格好からルカウトの知り合いだろうなとは見当がついたので、ルカウトに用かなと思ったんですよ」
豪快に笑い飛ばしたルカウトの前で、丸み少年は穏やかに微笑む。
「それにしても騎士ですか。受けたいのなら受けたらいいんじゃないんですか?」
「いやいや受けませんからロウリエ。受けたくありませんからロウリエ。無駄な勉強なんて全力でお断りですから」
ほんわりと告げられた提案を、ルカウトはあっさりと突っぱねる。
「だから、なんで!」
捕らえられている腕の中、納得できないと私は一人叫んだ。丸み少年を見る限り、二人はきょとりと顔を見合わせたのだろう。わずかな沈黙がその場を満たす。
「おや、泣いているのですか?」
ルカウトに聞かれて初めてぼろぼろと涙が零れ出したことに気付いた。
だって、悔しいじゃないか。私たちの中で一番強いのはルカウトなのに。
「ルカウトは、認められるべきだっ」
この国における軍の最高位。今となっては称号に近く、限られた者しかその枠に入れない。登用試験に受かっても、真の意味で『騎士』と称されるようになるとすれば、それこそ十数年も先の話になる。
私たちの中で、確実にその地位を狙える実力を持つ者はルカウトを置いて他にいない。全てにおいて彼が一番長けている。
いつかきっと追いつきたい、と。
ずっと目標にしてきたのに、勝手にいなくなると言う。
「馬鹿ですねぇー。ディーラとは、進む道がちょっとずれるだけでしょう。俺の場合、これから先、地位は必要ありませんし。自由に動けない分、むしろ邪魔ですし。認めてくれる人だけが認めてくれればいいんですけどねー」
「もったいない!」
ずびずび鼻を吸いながら頭上にある顔を睨みあげれば、ルカウトは目を細める。
「なら、ディーラがもぎ取ればいいことです」
「言われなくてもそうする」
「おぉー!」
ルカウトから無感動に称賛されて、頭に来た私は、腹立ち紛れに目の前の丸み少年をキッと睨みつけた。
「そうする!」
「はい。がんばってください」
宣言に対して、丸み少年はのんびりと頷く。
「私は騎士になって、ちゃんと追いついて、ルカウトを叩きのめす!」
「そうなるように待ってますよ。待っている間分、こちらはこちらで先に進みますけどねー? きちんと待ってはいますから」
はいはい泣かない泣かない、と袖でぐしぐしと涙を拭かれる。
「せいぜい強くなってくださいね。困った時には、名のある『騎士』様を頼らせていただきますから。ねぇ、ロウリエ?」
「そうですね。そうさせていただきます」
「任せろ!」
きっぱりと断言すれば、あははーとルカウトは愉快気に笑った。
「ロウリエロウリエ」
ちょいちょい、とルカウトは私の頭上で手招きをする。
首を逸らして見上げれば、「なんでしょう?」と返って来た丸み少年の言葉に、ルカウトはにたりと口の端をあげた。
「ちょうどよい機会なのでお知らせしておきますけど、ディーラは私の嫁になる予定なので。以後お見知りおきを」
「は!?」
素っ頓狂にあがった声は二人分。
それはもう随分と昔、私が少女だった頃の、よく晴れた夏の出来事。
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