紫陽花の世迷い事
第4回プレゼント交換(10話後)
「あ、ルカちょうどいい所に来てくれました」
我が主、ロウリエは、穏やかな笑みを浮かべて、彼の私室に入室したばかりの私を手招きしました。
彼とは、それこそ赤子の頃からの付き合いです。彼の乳母は私の母。つまり、私たちは乳兄弟ですので。もう少し付け加えると私の方が三カ月ほど先に生まれたので、兄の方になります。ここ、重要です。
ですから、当然、ロウリエが何を言い出すのかは見当がつきました。
「これを、ベルナーレ・ホウジ・ティレ・チュエイル殿に届けるように誰かに言付けておいてくれませんか」
ほら、やはり、です。しかも、省略なしの正式名でのご指名まで当たりですよ。
「わざわざ、これに詰めなおしたのですか?」
言ってくだされば、私も喜んでお手伝いしたのに、残念です。
「中身はちゃんと入れ替えましたよ」と、ロウリエはにっこりと笑いました。
机の上にあるのは、四角い箱。ご丁寧に、包装紙でくるんで、薄紫のリボンまで付けてあります。この屋敷に持ち込まれた時と全く同じ姿です。
「よろしくお願いいたしますね」と言った主は、珍しく相当お怒りのご様子です。
奥様にまで被害が及んだのですからごもっともです。その結果、奥様に追い出されてしまったのですから、猶更なのかもしれませんが、こちらはご自分のせいで正直仕方がないと思います。
お互い意にそぐわぬ結婚であるにしろ、当たり障りなく夫婦間の仲を保つのは、なかなか骨がいるようですね。
「そんなに、得意分野で出し抜かれたのが、悔しかったんですか?」
「得意分野と言うか、毒に関しては、もう被害を出さないようにしようと決めていたんですけどね。しかも、僕以外に被害を出されたので、たまにはやり返そうと思いまして」
「あなたが、ちゃんと注意を払っていなかったのもいけないとは思うんですけどね。ちょっとは奥様を見習ってくださいよ」
奥様の敵察知能力は、私から見ても目を瞠るものがあります。それに対して、ロウリエはどうでしょう。敵が来てものんびりと構えちゃっているどころか、毒が入っているのを見抜けていても役に立っていないではないですか。
我が主、いと情けなし。
しかしながら、ロウリエはそこで立ち止まるほど繊細な心は持ち合わせてはいないのです、悪く言えば。立ち止まってくださると、非常に助かるのですが。
「次回は、絶対にないです。二度とこのようなこと起こしません」
堅く決意してしまった主を前にして、こっそりと嘆息する。
もういいではないですか。こんな田舎放っておいて、早く王都に帰りましょうよ。私には、王都に残してきた、年老いた両親に、目に入れても痛くないどころかもう一人くらい入れても構わないほど可愛い妹、それから大切だから大切で大切な恋人がいるんですってば。内一人は、あなたにとっても母のような存在ではありませんか。とても口やかましくて、耳を塞ぎたくなりますが。はるばるやって来たご当主の奥方様の一団に母の姿がなくて、正直ほっといたしましたよ。
「考えてみたんですけど、もろもろの不都合の原因はチュエイルさんたちのせいだと思うんですよ」
「何を仰っているのですか。あなたが、変な約束を取り付けてきちゃうから悪いんですよ、ロウリエ。自業自得です」
と言うか、今更です。
きっぱりすっぱり切り捨てて、先程示された箱を手に取る。
「確かに、お預かりいたしました」
「……はい、頼みますね」
「…………」
「…………」
じぃーと主を見つめること三十秒。諦めたらしいロウリエは「何ですか」と至極嫌そうに眉ひそめた。
「ロウリエ。これ私が、チュエイル家に届けに行ってもよろしいですよね?」
「……やっぱり、ですか。ルカのことだからそう言い出すとは思っていたのですが」
「だって、こんな娯楽見逃す手はないです」
「悪趣味ですよ」
「これを贈りつけようとしているロウリエには言われたくないですねーえ?」
ロウリエは、うぐと言葉を詰まらせた。
「……今回に関しては、ちょっとくらいやり返さないと、収まりません」
「今回の事がなくても、始めから贈り返そうとしていたではありませんか。どれくらい威力が増しているのかは存じませんが。今後、警備で実用化するつもりがあるのならば、しっかりと見ておいた方がよろしいでしょう?」
まさか、ロウリエに限って、人を殺すほどのものを作っているとは、塵ほども思ってはいませんけどね。本当に、我が主は、微細な調節に関しては上手すぎますから。私からすれば、お仕置き程度のかわいらしいものでしょう。当初の予定よりも、やっかいなものになっているであろうことは、間違いないでしょうけどね。
「大丈夫ですよ、窓の外からこっそり見てくるだけですから。ちゃんと風上に立つようにしますし。ロウリエと違って、幼少時からそういう点は上手くやっていたでしょう」
「まぁ、どうせ止めても無駄なのは分かっていますが」
やめましょうよ、とロウリエは溜息をついた。よく分かっていらっしゃる、我が主殿。それでは、その溜息を了承としていただきましょうかね。この贈り物はありがたく私がいただいて行くことにします。
「ルカ」
念入りに包装された箱をほくほくと持ち上げたところで、ロウリエが私の名を呼んだ。
「届けるのなら、今から三十分以内に届けてください」
「かしこまりました。ならば、二十五分に手渡して、三十分ジャストにチュエイル家の若君の手に渡るように、配慮いたしましょう」
「あと、くれぐれも近づかないでくださいね」
「もしかして、無味無臭ではなく、無見無臭の方ですか」
「そうですね、どうでしょう? それは警備用とはちょっと仕様を変えているので、わざわざ見てくる必要は本当にないのですよ」
ロウリエは、穏やかに笑みを深めた。
怒ってる怒ってる。横から見ても、斜めから見ても、ついでに後ろから見てもご立腹のご様子。
ですが、今回に限っては半分八つ当たりと言うものですよ、我が主。
それから、役に立つか見極める必要がなくても私は見てきますよ。なんてったって、久しぶりの娯楽ですからね。
*
果たして、私の手によって、我が主の贈り物は、チュエイル家次期当主のやんちゃ小僧殿に届けられました。やんちゃ小僧と申しましても、私よりか一つ年上なので、やんちゃ爺でもあるのですが。行動がやんちゃ小僧のようなのです。全く迷惑極まりない。よそで勝手に自爆すればいいのに。
まぁ、これから自らの行動が引き招いたことにより、自爆する運命にあるのですが。ふふふ。ああ、楽しみ。
裏庭に回って、チュエイル家若君の私室の窓の前を陣取る。なぜ、場所を知っているのかって? 当り前じゃあ、ありませんか。これが初めてというわけではないのですから。それに、私は、ケルシュタイード家に幼少時より使えている侍従なのですからね。このくらいは、お手の物です。ついでにここの窓は意外と薄いので、本人たちが思っているよりも声がよく通るのですよ。不用心ですよね。
「何だそれは」と、ベルナーレ・ホウジ・ティレ・チュエイルその人は、部屋に入って来た侍従に尋ねました。撫でつけられた長めの暗い金の髪をうなじでリボンに束ね、背に流している御仁は、顔まで秀麗で、見た目だけは麗しい。金の柳眉を怪訝そうにひそめて、ベルナーレは、顔だけ人のよい初老の侍従が手にしている箱を見た。
「領主殿よりお届けものです」
「……にしては、贈った時と全く同じように見えるが。突き返されたということか」
「のはずはないのですが。情報によると領主の奥方がクッキーを口にされたと入ってきていますし」
あれまぁ、情報がお早いですね。確かに今回は、贈り物の体裁をとられていたので、突き返すこともできなかったのが、もろもろの敗因の一つでもありますが。
さーてと、さん、にぃ、いち
――ゼロ
「本当に食べたのか?」とベルナーレは疑わしげに、侍従に聞く。
「恐らく。それ故の当て付けではないでしょうか?」
一応中身を調べましょうか、と問う侍従に、ベルナーレは「いや」とかぶりをふった。
「あれのせいで散々酷い目にあったからな、そのまま処分しておけ」
「かしこまひぃましちゃ」
「何だ、そにょこえは」
「ブェリュナーレしゃまこしょ、にゃいておら――こほっ!」
「――!?」
「!!」
「!?」
ベルナーレと侍従は、各々で涙をだぁだぁとそれこそ滝のように流しながら、呻いた。だが、そのどれもが声になっていない。
封がされているにも関わらず、じわじわと部屋中に蔓延し始めているのであろう無見無臭の煙。彼らは何が原因なのかは、まだ気付いていないご様子。
なーるほど。
しゃっくりではなく、声を奪う作戦でしたか。それはちょっと予想外でした。しゃっくりの方は割と危険な部類ではありましたからね。あえて他のものにかえちゃいましたか。
ちょっと手ぬるい気がしますが、成人男性が二人揃って泣き崩れるこの光景は、なかなかに壮観なのでよしといたしましょう。
さすが敬愛すべき我が乳兄弟。ケルシュタイード家の次期当主だけあります。
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