季知らずの鍵

三つの石

 ミフィナス村には古くから伝わる習慣がある。

 一年のうち深い雪に包まれる時期が長いせいだろう。男性はコレと思う女性に出会ったら、しかるべき石を探しだしてきて相手に渡し、結婚を乞わなければならない。

 だが、元は雪の中から苦労して見つけ出し誠意の証としていたはずの石は、いつの頃からか結納金の一部を兼ねるようになったのか宝石へと成り変わった。

 今朝偶然、幼馴染の少女と共に、二軒先に住む“ザーナねえさん”が朝日と同じ色をした宝石を受け取っているのを目撃したダヤナンは、どこか遠い国の出来事のようにその行為を眺めていた。

 それは、とても自分には結びつかない出来事で、だからこそ昼食を各々の家でとり終え、昼過ぎに村の広場で再会した幼馴染から手渡された若葉色の石にダヤナンはうまく思考が回らなかった。


***


「え、シェリナ。何これ」

 差しだされるがままに受け取ってしまった石の軽さにダヤナンはしどろもどろになった。

 若葉の色をして光る石は、綺麗ではあるが、あまりにも小さく、山を探せばその辺に転がっててもおかしくない代物で――つまり結納金として価値がないことは十三のダヤナンにも見ただけでわかる。

「これ、離婚したときに足しにならないじゃん」

「だって離婚しないでしょう」

 すっかり動揺するダヤナンに対して、石を持ちだしてきたシェリナゼは当り前でしょうとばかりに彼を見返す。

「いや、待って。渡す方も逆だし。シェリナ、女でしょう?」

「でも、ダヤンは私のお婿さんになってくれるでしょう?」

 一体、誰と誰が、いつ、どこで申し合わせてそうなっているのか。そもそも双方共に告白もしていない。全く理解できないながらも「そうだけど」と答えてしまって、ダヤナンは余計に混乱した。

「あのね。私はとびっきり幸せな結婚をしたいの。みんなに羨ましがられる綺麗なお嫁さんになりたいの」

「う、ううううん?」

「だから、村で一番若く結婚するの!」

「ううん?」 

「あ、一番って言っても私たちの世代での一番ね」とシェリナゼが付け加えた一言が、必要だったのかダヤナンにはわからない。

 だからこれでいいから、とシェリナゼは、彼が返しそびれた石を指差して宣言した。

「私、カリーガ石好きだし」

「知ってる」

「それ持ってちゃんと私のところに来てね」

「ううう、うん」

 まぁいいんだけどさ、となにやら火照り出した顔をごまかす為に、投げやりに肩を落としてみせたダヤナンに、シェリナゼは「じゃ」と片手をあげ、ぎくしゃくとした仕草で彼に背を向け、走り出した。

 短い夏の終わりの風が、涼やかに走り去る少女の衣の裾を翻す。

 シェリナゼの両親が彼女と弟を残して流行病で死んだのは、その二年後のことだった。


 ***


「……カルム」

 無理矢理押しつけられたものを見て、ダヤナンはあまりの既視感に呆れて溜息をついた。

 若葉色に光る石。ただし、こちらは価値のある本物の宝石である。一体、どうやって用意したものなのか。

 今年十三になったばかりのシェリナゼの弟は「だから早く姉さんと結婚してあげてよ」と仕事終わりに持ちかけてきた。

「受け取れない」

「どうして」

「どうしても、だ」

「そんなに高くなかったよ。姉さんが受け取るんだから、どうせうちにかえってくるようなものだし、いいじゃん」

「カルム」

 ダヤナンが少し語調を強めれば、カルクラムは軽口をあっさりと引っ込めて、挑むようにダヤナンを見返した。

「あのね、ダヤン。姉さんはとびきり綺麗な花嫁に一番乗りでなるのが夢だったんだよ」

「知ってる」

「ダヤンが石も用意できないとは思ってないんだ。けど、準備が整うのを待つよりも今すぐにでも渡してほしいんだ」

 僕はもう大丈夫だし、これ以上はもういいから、と幾分大人びた彼女の弟は全身でそう言っていた。

 ダヤナンは、息を吐く。

「わかった」とカルクラムから托された若葉色の石を、ダヤナンは受け取った。



『やっぱりあの石はもういらない』

 私は父さんと母さんになる、と二つの盛り土の前でシェリナゼは蹲ったまま宣言した。

『いらないから、他の子にあげていいよ』

『なんで? 一番、最後じゃだめ?』

 蹲る彼女の隣に腰かけたダヤナンは、あの日、まっすぐに墓ばかりを見て問うた。

 いつの頃からか決めた“幼い弟”が彼らの手を必要としなくなるまで、という線引き。“幼い弟”と思い込んでいたカルクラムは、彼らの予想よりもはるかに早く、彼らの手を自らはねのけた。


 だからと言って一つのことにしか考えが及ばないのがまだまだ子どもの証拠であり、素直なカルクラムらしかった。

 家に帰りついたダヤナンは、引き出しの鍵を回した。

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