第7話 美麗なる薔薇

 それは持ち主に幸運を引き寄せる宝石。

 それは持ち主を絶頂へと登らせる宝石。

 宝石の名は「黒き薔薇」。15カラットはくだらないだろう、巨大なブラックダイヤモンドのブローチである。

 それは、飾り気のないブローチだ。ローズカットを施されたダイヤモンドの周りを、プラチナが蔦のように縁取っただけの、簡素な代物だ。

 しかしそのブローチは…否、ブラックダイヤモンドは、手にした者に莫大な富や栄光、あるいは幸福を与える宝石と言われていた。

 市場へ出る事はまず望めない。あるのは、裏での取引と駆け引き。そして争い。

 それらの血を吸収したかのごとき黒をまとって、そのブラックダイヤモンドは今尚どこかで美しく煌めいている―――。


***


 これは、「黒き薔薇」の歩み始めた、最初の歴史。

 史上に名を残した、その始まりの物語である。

 華やかなる都。ただ一人の女王の手によって齎された、麗しき帝政。

 並ぶものが無いほどに賞賛された帝国。治めるその女王と、その肖像画に必ず描かれている黒い石の嵌った王冠。これらを称して、国の人々はこう呼んだ。

 ――「この国には美しき薔薇が咲いている」、と。

 民を愛し、民に愛された、その女王の生涯。その一つの歴史は、一つの宝石の歴史でもあった…。


 女王は王を愛していた。王もまた、女王を愛していた。その愛し方は並大抵の事ではなく、王は彼女を妃として迎え入れるにあたって、自らの家系に代々伝わる宝石を、王冠に加工し妃にあげたほどであった。

 女王はその愛に応えるべく、国をよく治めた。その治政は素晴らしく、国の隅々にまで目を行き届かせているかの如しであった。

 王は治政に対し、あまり口を差し挟むような事はしなかった。女王を信頼しての事であり、また己には考えも着かない発想で物事にあたる女王を、間近で見ていたいからでもあった。何より、王には長年患っている病の事もあった。

 時折女王は王冠を外して、黒い宝石をまじまじと見つめる事があった。

 王は、その事を一度尋ねた事があった。

「何をしているのだい、妻よ」

 女王は笑って答えた。

「いいえ、何も。ただ、この宝石が素晴らしくて。見入ってしまうのです」

 女王のその言葉に、王はその宝石は代々、王に受け継がれているのだと説明し、そして自身もまじまじと宝石を見つめた。

 窓辺から差し込む光によって、宝石は黒い湖にさざ波が立つかのように光り輝いて見えた。

「美しいな」

「私よりも?」

「いいや。君の方が美しいよ」

 女王と王は、二人して笑いあって頬にキスをしあった。それは本当に幸せな風景だった。黒い宝石の嵌った王冠は、それを見つめて微笑んでいるようにも見えた。

 やがて女王は子供を産んだ。娘であったが、女王の政治的な手腕を知る者たちから見れば、性別など些細な事であった。

 臣下の者たちも、また勿論国の者たちも、こぞって祝福をした。隣国からさえ、祝いの封書が届いたほどである。

 しかし、そのような幸せには、必ず何かしらの物事が起きるのである。

 女王はある時、逆賊の手によって牢へと捕らえられた。身に覚えの無い罪状を読み上げられ、しかし彼女は屹然とした態度でそれを否認した。

 国の者たちの怒りは凄まじかった。逆賊を捕らえよと連日騒ぎ立てているのを、女王は牢屋の中から聞いていた。

 王や、我が子の無事を確認したいという女王の言葉は、何度も撥ねつけられた。女王は考えたが、ならばせめて王冠を返してくれと願った。その願いが叶ったのは、嘆願から一週間が経ってからの事であった。

 王冠を見つめながら、女王は涙を零した。

 王は今、何をしているだろう。我が子は、どうなっているのだろう。痛めつけられていたりしないだろうか。女王の胸は、張り裂けんばかりに痛んでいた。

「宝石や。お前が無事を教えてくれたら良いのだけれど……」

 そう話しかけて、女王は眠りについた。

 夢の中には、違う牢屋で病をおしてまで女王に会わせてくれと願う王と、母に会いたいと願う子供の姿があった。

 思わず跳ね起きた女王は、さっと王冠を見た。そこに嵌っていたはずの黒い宝石が、消え去っている。女王は驚き、しかしこれの行き先も分からない事から、牢屋に居た兵士に尋ねた。

「ここに嵌っていた宝石を知らないかしら。これは、とても大切な物なのだけれど」

 しかし、兵士は知らないと言う。女王は落胆し、悲観にくれた。

 それから三日も経たぬ内に、女王と王、そして子供は牢屋から解放された。

 臣下たちが逆賊を探し出し、捕らえられている牢の場所を知り、救い出されたのである。

 女王たちはその臣下全員に褒美を取らせようとした。しかし、臣下は全員、これを拒否した。不思議に思った女王は尋ねた。

「何故、お前たちは褒美を欲しがらないのですか?」

 臣下たちはみな、似たような事を告げた。

「我々だけの働きではないのです。本当に褒美をとらせていただきたいのは、別にあります」

 女王は、その者にも褒美をとらせるから、連れてくるようにと言った。

 そして臣下たちが持ってきた物に、女王はあっと声を上げた。

 恭しく持ってこられたのは、王冠に嵌っていた、あの黒い宝石であったからだ。

「この宝石が、我々に夢で教えてくださったのです。ですから、どうか女王陛下、この宝石に何かしていただいてはもらえませんか」

 臣下の一人がこう切り出した。

 女王は宝石を前にして恭しく一礼をした。それから感謝の意を述べて、そっと抱きしめた。

 それから、女王はこの宝石を、自身が死んだときは墓に埋めるようにと言った。

 臣下たちはみな、その事を了承した。

 それからというもの、女王に何か悪い事が起きる度、宝石は夢でそれを教えてくれるようになったのである。

 そして女王はそれを見事に覚えていて、相手に必ず報いを受けさせたのであった。

 やがて娘が立派に成長し、母である女王の姿を見て、自身もこのような女王に、王妃になりたいと、願っていた頃合いの事だった。

 病によって王が崩御し、後を追うようにして、女王も間もなく崩御したのは。

 女王の生前の言いつけ通りに、あの黒い宝石の嵌った王冠も、棺に入れて埋められる運びとなっていた。

 しかし、臣下たちは、この宝石を娘のために遺してやれないかと思い、とある銀細工師に依頼して、銀の蔦が這う意匠のブローチへと加工したのだった。……そして宝石のない王冠が棺に収められた。

 しかし、臣下たちが娘に渡すはずだったブローチは、いつの間にかいずこへと消え去ってしまっていた。

 臣下たちはみな、墓の中へと女王が持って行ったのだろうと、噂しあった。

 娘は立派に国を治めたが、消え去ってそれきり、黒い宝石は姿を現さず、その宝石の事を知っている者はやがて居なくなっていった。


 それから何百年かの後。

 一人の幸福な青年の手に収まるまでは――。

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