第4話 愚人の蛮勇

 それは持ち主に幸運を引き寄せる宝石。

 それは持ち主を絶頂へと登らせる宝石。

 宝石の名は「黒き薔薇」。15カラットはくだらないだろう、巨大なブラックダイヤモンドのブローチである。

 それは、飾り気のないブローチだ。ローズカットを施されたダイヤモンドの周りを、プラチナが蔦のように縁取っただけの、簡素な代物だ。

 しかしそのブローチは…否、ブラックダイヤモンドは、手にした者に莫大な富や栄光、あるいは幸福を与える宝石と言われていた。

 市場へ出る事はまず望めない。あるのは、裏での取引と駆け引き。そして争い。

 それらの血を吸収したかのごとき黒をまとって、そのブラックダイヤモンドは今尚どこかで美しく煌めいている―――。


***


 男は兵士だった。

 ただ、他の者よりも勇敢であり、的確に任務を遂行する能力に長けていただけの、兵士だった。

 瞬く間に男は大隊長にまで登り詰めた。そして、戦利品として、とある宝石のブローチを手に入れたのだった。

 それは、黒い宝石だった。元鑑定士として宝石会社に勤めていたという同僚いわく、その宝石はブラックダイヤモンドというらしかった。

 男にとっては、石の種類など大して興味のない事であった。ただ、お守りとして持っておいた方が良いだろうという言葉に、なるほど弾除けのお守りにきっとなるだろうと納得し、肌身離さず持ち歩く事にした。

 以来、男に何か不可思議な力でも働いたのか、どんな危険な任務に赴いても、必ず成功を掴み取るようになった。

 そうして、男はいつしか大尉にまでなっていた。その頃には既に、男の名を軍で知らない者は居なくなっていた。

 男は兵を統率する能力に長けていた。男の指揮は的確で、かつ鼓舞された兵士たちの勢いは凄まじかった。

 その頃から、男は同僚に、こんな事を零すようになっていた。

「少女が見えるんだよ」

 聞けば、黒い髪、黒いスカートと上着を着た、花のように美しく華奢な少女であるという。

 同僚は酒の席の事だったのも相まって、冗談だろうと流した。

 戦場でそんな少女が存在出来る訳が無いと。当たり前の事だった。男もそれ以上は言わなかった。

 しかしある時、同僚は見てしまった。

 黒い髪に黒い瞳。陶器のように白い肌をした、黒ずくめの恰好をした少女が、男の背に触れている姿を。

 それを見た同僚は、後にこう語っている。

「彼には美しい死神がついていると、俺は確信したんだ」と。

 事実、その通りに見えた。

 男は敵にとってはこれ以上ないほど、恐ろしい「死神」であった。

 数え切れぬ死体が男の後ろに積み上がった頃、少女はとうとう男の前にはっきりと姿を現した。

 ベルベットの黒いドレスを持ち上げて一礼したその少女に、男は尋ねた。

「お前は死神か?」

 少女はそれに、花が綻ぶような笑みを浮かべて答えた。

「あなたがそう思うのなら、私はそのように振る舞うわ」

 男は少女の姿に、ふと持っていたブローチの事を思い出した。

 そして、お守りとして肌身離さず持っていたそのブローチを、少女の胸元に着けてやった。

「お前が死神なら、それで良い。こんな別嬪さんに魂持ってかれるんなら、俺ぁ幸せ者さ」

 少女はくすくすと花のように笑って、男に向かって言った。

「あらそう。それは良かった」

 それ以来、男には他の人間の目には見えない死神が、付いて回った。

 少女は艶やかな笑みをいつでも浮かべながら男を見つめていた。胸元のブローチは、男が活躍し、死体を積み上げれば積み上げるほど、美しさを増すように見えた。

 胸元に輝くブラックダイヤモンドのブローチを見つめながら、男はいつこの少女が己を殺すのか、時折考えた。

 しかし、そんな事を考えるよりも、男は戦果を挙げる事の方を重要視した。

 戦果を挙げれば挙げただけ、男には報酬がやって来た。それは金品である事が大半だったが、たまに栄誉も与えられた。褒章や、勲章を、男は殊更大事に扱った。

 少女はそんな男の様子を、麗しい薔薇のような微笑みでもって見つめていた。

 しかし、どのような戦争であれ、いつか終わりが訪れる。

 他でもない男の活躍によって、その戦争には終止符が打たれた。男は兵士から、ただの一般人になった。

 平和がやって来た。

 男は、その平和を享受出来なかった。戦争という特殊な場でしか、男は満足出来なかった。

 まともに仕事が続かず、点々と住居を変え、仕事を変え、あらゆる環境が変わった。

 それでも唯一変わらなかったのは、男の傍に居る少女の姿だった。

 ある時、男は少女に零した。

「俺ぁ、戦争がしたかった。もっと戦いたかったんだ!戦火の中で、生きるか死ぬかの遣り取りをして、そして認められたかったんだ!!俺は誰より優秀だって!!」

 少女は答えた。

「あなた、戦争をしていたいの?」

 男は頷いた。

「そう。それじゃあ、ちょっと待っていてちょうだいね?」

 少女はそう言って、ぱったりと姿を消してしまった。

 隣国が自国に宣戦布告をしたと聞いたのは、その二日後の事だった。

 間もなく男は徴兵された。

 男は優秀に働いた。働きに働き、そして――ある時、無謀な作戦を決行。失敗し、命を落とした。

 しかし、その事で奮起した男の部下たちの働きによって、間もなく戦争は激化していった。

 後の人々は、男についてこう語っている。

「彼は実に勇敢な男であった。そして何より、素晴らしい戦士だった!」


 少女は戦火に沈む街並みを眺めて、くすくすと笑う。

 胸元にあるブラックダイヤモンドのブローチは、戦火を映して燃えるように輝いていたのだった。

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