第3話 搾取の連鎖
それは持ち主に幸運を引き寄せる宝石。
それは持ち主を絶頂へと登らせる宝石。
宝石の名は「黒き薔薇」。15カラットはくだらないだろう、巨大なブラックダイヤモンドのブローチである。
それは、飾り気のないブローチだ。ローズカットを施されたダイヤモンドの周りを、プラチナが蔦のように縁取っただけの、簡素な代物だ。
しかしそのブローチは…否、ブラックダイヤモンドは、手にした者に莫大な富や栄光、あるいは幸福を与える宝石と言われていた。
市場へ出る事はまず望めない。あるのは、裏での取引と駆け引き。そして争い。
それらの血を吸収したかのごとき黒をまとって、そのブラックダイヤモンドは今尚どこかで美しく煌めいている―――。
***
死刑は免れない。男はそう思った。実際、その通りであった。
牢獄に囚われ、身に覚えのない罪によって死刑にされるのだ。
その道しかない。男はそう思った。実際、その通りであった。
男は金が無い。それ故に潔白の証明が出来ずに殺されるのだ。
そんな男の前に、全身が黒ずくめの少女が一人。ぽつねんと立っていた。どこから入ったのだろうか。男が疑問に思うよりも前に、少女が、その肌のように滑らかに言葉を告げた。
「あなた、もうすぐ死ぬのね」
「あぁ、そうだ。それしかない」
「どうして、それしかないと思うのかしら?」
少女の言葉は密やかな毒のように、男の耳朶を打った。
「何故って、そりゃあ、金が無いからさ。金が無けりゃあ、俺みたいな奴、すぐに死刑だからな」
「そうなの。…じゃあお金があれば良いのね?」
「んな事言ったって、無理に決まってらぁ」
男は、狭い囚人部屋にあるベッドに潜り込んで、眠るふりをした。
直後に少女が言い放った、「待っていてちょうだいね」という言葉など、聞かないふりをした。
やがて、匿名で男に多額の寄付金がやってきた。
話を聞いても、誰も分からないというばかりで、答えてはくれなかった。
しかし、自身の部屋にあった、あの黒ずくめの少女が身に着けていたブローチを持って、男は出所をした。
釈放が認められたのだ。金によって、彼の無実は立証され、そして犯人が検挙された。
男にとって、これ以上ないほどの幸福だった。
出所した男を待っていたのは、黒いドレスにボレロを身にまとい、銀色の刺繍が施された黒いレースと羽根飾りのついた、黒い帽子を被った、黒髪の少女であった。
少女は、見れば見るほど華奢で、また儚げな美貌をしていた。美しい薔薇のような少女だと男は思った。
「それ、返してくださるかしら?」
それ、と少女が指さしたのは、あの黒いブローチだった。
男は一も二もなく手渡した。少女はそれを胸元にかちんと留めて、くるりとその場で回って見せた。
まるで黒い薔薇がそこだけ咲いたかのような華やかな動きであった。
「お前、一体、何なんだ?」
「私は私よ。それより、私の新しい持ち主になったんだもの、お家にご招待してくださらない?」
少女は歌うように言った。
男は夢見心地のまま、少女を家へと案内した。幸い、友人が家を借りてくれていたから、住む場所は元の通りに存在していたのである。
「まだ、夢を見ているかのような気分だぜ。まさか俺があそこから出所出来るだなんてな」
「ふふ。そう。それじゃあ、もっと夢のような気持ちを、きっとあなたはもっと感じると思うわ」
少女はそんな不思議な事を言って、家の客間で暮らすようになった。
それからの事である。
男は就職先が決まり、やがて順当に功績が認められ、出世をした。元々が優秀な性質の男であったから、このまま行けば、安泰であった。
加えて、豪遊するほどの金が、投資によって得られた事によって、男の人生は一変した。
今までずっと底辺で足掻く事しか出来なかった男には、ある鬱屈した思いがあった。
自身を底辺だと、役立たずだと、そう見下していた人間たちに復讐したい。常日ごろから、男はそう思っていたのである。
男は少女にまずその気持ちを打ち明けた。
「俺は、復讐するにしても、学がない。そりゃあ仕事は出来るさ。でもそれとこれとは違うだろ?」
少女は嫣然としてこう答えた。
「何を言っているのかしら。あなたには、使い切れないほどの財があるでしょう?」
それで満足しろ。そう少女は言っているのだと男は思った。
だが、少女が言いたかったのは、それではなかったのだ。
その事に気が付いたのは、とある汚職事件の紙面を見てからの事だった。
金だ。金があるのだ。少女が家に来てからというもの、転がり込み続ける大金があるじゃないか!
気が付けば、男はその金を握りしめて、様々な場所へと赴いていた。
その先々で、自身が復讐したいと願う者が居れば、どんな手を使ってでも抹殺しようと心に決めていた。
間もなく、その時はやって来た。
かつての仕事場で、自身に罪を擦り付けたある男が、その旅行先に家族と共に来ているのを知った。
今が復讐のチャンスだ。男は誰に言われるでもなくそう思った。
男は慣れない変装をして、同じ旅行先に泊まり、そして決行の時を待った。
ホテルの者が寝静まった夜半。 男は鍵をホテルのオーナーに多額の金を握らせて受け取り、相手の居る部屋へと入った。
男は斧で男の頭をかち割って殺し、そして家族も同様の手口で殺した。それだけでは飽き足らず、男は斧を振るい続け、とうとう相手は肉の塊にまでなってしまった。
凄惨な血塗れの部屋の中で、男はひそりと笑い声をあげた。
そうだ、俺が求めていたのはこの快感だったのだ!
不気味な低い笑い声が、部屋にこだましていた。
それから、朝になる前に、男はホテルの従業員や、オーナーたちに多額の金を握らせて証拠を隠滅させた。
仕事は出来る方だったのが幸いしたのか、ホテルの者以外、誰も知る事なくその事件は葬られた。
葬られた、はずだったのだ。
男はその事で、ホテルのオーナーからゆすられるようになった。時には家にまで押し入られた事さえあった。
その不審な行動は、近所の噂にまでなっていった。
やがて男の家からは、財産と呼べるものが消えていった。金が尽きてきたのである。
不穏な噂が立ち始めた事が原因で、務めていた会社はクビになり、次の就職先もままならない。
投資はことごとく失敗し、むしろ負債を背負う側へと回る始末。
男はやがて、オーナーを人気のない場所へ呼び出し、やはり斧で殺してしまった。
オーナーと男を繋ぐ糸は、これで切れた。男はそう思い、安堵した。
しかし、警察はその不審死について、度々男へと事情聴取をしに来るのである。恐怖だ。いつ暴かれるともしれない恐怖。
男は少女にその苛立ちをぶつけるまでになった。
笑みが気に入らないと髪の毛を切り、言葉が気に入らないと煙草を押し付け、そしてとうとう、灰皿で頭を割ってしまった。
いつぞやに見た、あの復讐を思い起こさせる場面に、男は高揚した。
そして、庭に少女を埋めようとしていたところを、巡回中の警官に見付かった。
男は笑いながらそれまでの事を話した。
どのような人間に金を握らせれば話を合わせてくれるか、どのように金を使えば人を黙らせられるか。それはかつての男が陥れられた罠と同様の手口だった。
司法で裁かれ、男はいつかの時のように、しかしけして救われる事のない絞首台へと送られたのであった。
――遺留品の中に入っていたブラックダイヤモンドのブローチを手にして、死んだはずの黒ずくめの少女は笑う。
「どうもありがとう。 とても、楽しかったわ」
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