第3話


「あ~、もう服泥だらけだ……」


 雨は降り続ける。左足は痛いし、動きようがない。悪化しているみたいだ。

治癒魔術が使えればよかったが、代償を考えると正直使う気が起きない。使ったところで現状が変わるわけでもない。落下から一日、山に入ってから五日が経っていた。

 このまま岩が雨でやわらかくなった土から抜け落ちて岩もろとも下に落ちるか、滑って森へと真っ逆さまに落ちるか。死ぬしかない二択。

 使い魔、修理屋トーゴーは異界でしか使えない。却下。


「どうしたものかな……」


 そう呟いた時だった。ぴりっと肌で感じる緊張感。さっきまでうるさいくらいの動物や虫の声が一気に静まり返り、雨の音すら遠く聞こえる。

 ふと気が付いた時には隣に黒い大きな狼が静かに座っていた。

 ただ遠くを見つめている金色の美しい目に引き付けられる。綺麗な黒い毛並みはきっと光に当たったらきっともっと綺麗な姿になるだろうとも思うくらい。突然狼は私を見た。それまでずっと遠くを見ていた目で。


「………………え?」


 亜人種と普通の野生動物とは纏う空気が違う。レーヒェにはその空気感の違いが判る。何で、ここに滅んだはずの狼種がいるのか。驚きとともに、息が詰まりそうな言い表し難い感覚が胸をついた。

ただ、この狼は今まで見た中で綺麗だった。今はそれだけ。


『さっきから、“影”たちが……うるさい』


ぴくぴくと耳を動かす。どうやら相当遠くの音まで聞こえるらしい。


「へぇ、あなたが来てから皆静まり返ってしまいましたけど、どれくらい遠くの音が拾えるのでしょうか?」


狼はちょっと考えてから鼻先で眼下に広がる森の遠くのほうを示した。

適当過ぎてよくわからない。とりあえず耳がいいことだけわかった。多分“うるさい”は形容詞。

狼は困ったように首を傾げた。


『お前は、俺のことが怖くないのか』


「まったく」


 即答していた。

 怖い、その表現に違和感を覚える。少なくとも目の前の狼に恐怖心というものはない。数秒の逡巡の後、思い当たることがあった。

――王族の虐殺

 数十年くらい前、突然人狼種の一団が王宮を襲った。その際皇妃が惨殺され、皇帝が人狼種を滅ぼせと命令を下した。――とされている。詳細はわからない。何せ、王城で起こったことだから。

 皇帝が生み出したものは民に強く無意識レベルで根を張っていた。忌避や疑惑なんてものはあっという間に広がり、払拭するのは困難を極める。


「私が思うに、あなたは影か獣人か、という見立てがありますね。一回死んで、前世の未練がそれなりにある獣人属かな、と。幻獣とか、半魔獣? もしくは魔力の強い獣人属でしょうか」


 “影”とは妖精、悪魔、幻獣とかの総称。見えないけど生活に密接に関係しているから“影”と呼ばれる。基本的にお祭りや、子供たちへの脅しつけ、実際にそれらしいことだったり目撃者が多かったりすることもあって“影”たちの認知度は高い。魔人種の中で実体を持たず、魔力が溜まりやすい場所に多く生き、そして想いによって生まれる。


 狼は警戒するように目を細めた。

 突然狼の足元にあった影が飛び出し、狼を包み込んだ。

 一秒もしないうちに現れたのは、人間の姿をした少年。狼の尻尾と耳はそのまま。

 ――獣人変化、略して獣化――理性・本能・魔力・血脈の4つの条件が整っていないと出来ないに定められる一つ。完全に人間種の姿になることはできないが、それに近い姿になれる。

 黒い無地の着物。金色の目はやっぱりそのままで、真っ黒な短髪と少しやつれた顔の少年だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る