【陰部ノ章】
第82話《害神駆除業者》-01-
あたしの名前は小島ハツナ。
隠神村のシンボル的存在。
隠神神様を殺してしまったせいで、最悪な状況に身を置いてしまうことになった高校一年生だ。
刑部家の地下室。
蝋燭の明かり以外、光源がない薄暗い地下の座敷牢に、あたしはズタズタに破れた制服を着たまま軟禁されている。
なんとなく。
二日ぐらい経った。気がする。
先生。
椎名ユヅキ。
あと、若菜チヒロに巻き込まれたクラスメイトの女の子たち。
みんな、無事なのだろうか。
わからない。
記憶がところどころ断片すぎて、みんながどうなっているのかあたしは知らない。
無事だといいが、今は人の心配をするほど余裕があるわけではない。
やばい。
お腹が減りすぎて、立ち上がる気力もない。
このまま餓死するかもしれない。
冗談抜きで、本当にそんな結末を迎えそうな気がする。
ご飯が食べたい。
カレーでも焼き魚でも、あまり得意じゃないなめこの味噌汁でも、食べられるならなんでもいい。
とにかくお腹が減った。
今のあたしなら、ご飯のためならなんでもやってしまう気がする。一発芸をやれっていわれても、羞恥心捨てでもやりかねない。そう思った。
かつん。
濡れた石の階段に、ヒールが鳴る音が聞こえた。
「あら、元気そうじゃない」
あたしは目を薄らと開けた。
木の格子の外に、見覚えのある女性が立っている。
黒髪ロングの褐色肌。ビジネススーツに身を包んだ吊り目美人。
「真知子さん……」
「懐かしいわね、ここ」
真知子さんは天井を見上げて、「へぇ」とつぶやいた。
「私も昔、何かあったら放り込まれていたっけかな」
「お腹減りました」
「でしょうね」
くすっと真知子さんは微笑んだ。
笑いごとじゃないよ。
マジで死にそうなんだって、こっちは。
「いい話と悪い話の二つがあるけど、どっちから聞きたい?」
「悪い方からで」
「この村から追い出されることになったわ」
真知子は肩をすくませた。
「心当たりはあるよね?」
そりゃ、もちろん。
「あんたが知ってる隣町の【蛆神様】と違って、【隠神様】は目覚めてはいけない存在だったの。それが現実に目覚めてしまって退治したものだから、こうなった。わかるよね?」
「……あたしが起こしたわけじゃないです」
「知ってるわ。事の発端が若菜のバカ娘だっていうのもわかったる。だけど、この場合は立場としてどっちが有利なのかって話よ」
よそ者の小娘と村の権力者の家の娘なら、どっちを村人は信じるか。
答えは決まっている。
理不尽な理由ではあるが。
「昔ならあんたみたいなよそ者は、拷問されて焼き討ちの刑になっていただろうけど……さすがに村人全員からのリンチっていうのは時代に反するから今回は『追放』って形で話は片付いたわ」
「そうですか……」
どうでもよかった。
ご飯さえ食べられるな、なんでもいい。
「あたし、これからどうなるんですか?」
「帰るのよ。あんたの家に」
真知子の台詞を聞いて、思わず目をむいた。
「帰れるんですか?」
「ほかに行き場所なんてないでしょ」
「でも、いいんですか? あたしが町に帰っても」
「ええ、問題ないわ。すべて終わったから」
にっこりと真知子が微笑んだ。
ぼろぼろと、勝手に涙が溢れ出た。
いいんだ。
帰っていいんだ、あたし。
やった。
やったやった!
嬉しさのあまり、あたしの拳はガッツポーズをとった。
はっと我に返った。
「そうだ。先生! 椎名さんは!」
「大丈夫よ。みんな『病院』にいるわ」
そっか。誰も死んでないのか。
よかった。
とにかくよかった。
心の底からあたしはホッとした。
「家に帰るわよ」
牢屋の鍵を開けた真知子が、あたしに手を差し出した。
気がつくと、あたしは車の中にいた。
荷造りは真知子の方でしていてくれたらしく、あたしは待機していた真知子の車に転がり込むように乗り込み、車の中に置いてあったコンビニのおにぎりとお茶を貪るように食べた。
意識がはっきり戻った時には、車は山を越えていた。
さようなら隠神村。
車窓から見える山の景色を眺めながら、あたしは心の中でつぶやいた。
「そうだ。真知子さん。あたしのスマホってどこにあります?」
「ん? ああ、バックの中にあるわよ」
隠神村に来た時に持ってきた旅行バック。
その中に着替え一式とスマホが入っていた。
あたしはスマホを取り出し、電源をつけた。
山を超えたら、電波が復活する。家に帰る前に、先にお母さんに連絡しなくちゃ。
あたしはアプリ電話帳から、お母さんの電話番号を見つけて電話をした。
コール音が二回鳴った後、回線がつながった。
「もしもし、お母さん!」
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません。恐れ入りますが……」
自動オペレーターの音声が流れた。
え?
間違えた?
あたしは電話番号をもう一度確認したが、登録しているお母さんの電話番号に間違いはなかった。
あれ?
お母さん、電話番号変えた?
でも、変えたなら変えたって連絡来ると思うんだけど。
次にお父さんにあたしは電話をかけ、お兄ちゃん、お姉ちゃんにもかけた。
どういうわけか、どれも自動オペレーターの音声しか返ってこない。
トモミとミクにもメッセンジャーを送ったが、既読になるどころか『送信不可』とアイコンがついた。
どういうこと?
どうして、誰にも連絡がとれないの?
「どうしたの?」
ルームミラー越しに、真知子がしきりに首を傾げているあたしに話しかけてきた。
あたしは口を開こうとすると。
電話が鳴った。
知らない電話番号だった。
「もしもし?」
「ハツナ、あんたどこにいるの?」
え?
あたしは目をむき、運転している真知子を見た。
「さっき、おばばが私に電話をかけてきたのよ。ハツナが姿を消したって。私が匿ったんじゃないかって疑われたんだけど、あんた何しでかしたの?」
ごくりと生唾を飲み込んだ。
あたしは今、真知子が運転している車に乗って山を超えている。
今、電話をかけてきたこの声。
声室や喋り方から、間違いない。
真知子だ。
「あの、すみません。正直にいいますね」
ちらっとあたしは運転席にいる真知子に目をやった。
ルームミラー越しに、真知子がじぃっとあたしを観察している。
「あたし、真知子さんが運転する真知子さんの車にいます」
真知子はそれを聞くと、黙った。
しばらく呼吸音が聞こえた後、真知子はあたしにいった。
「……なるほど。そういうことね」
飢えすぎて意識朦朧としていたから冷静になれなかったけど、本物が電話をしてきた方なのはわかっている。
理由は『車』だ。
真知子の車は、【コイ人】によって大破したはず。
修理には半年以上かかる。手痛い出費だと真知子が愚痴っているのをあたしは覚えている。
それなのに。
真知子は『自分の車』で迎えにきた。
壊れて修理に出しているはずの『自分の車』で。
「いい? ハツナ。これから私がいうことを『うん』か『違う』のどっちかで答えてちょうだい」
真知子が指示をしてきた。
運転席の真知子に悟られないように、自然と「うん」と返事をした。
「あんたが乗ってる車は、コイ人のせいで大破したはずの車なのよね?」
「うん」
「今、そのスマホに登録されている電話番号で電話しても、誰も繋がらない状況かしら」
「うん」
「その偽者は『家に帰る』っていわなかった?」
「うん」
たしかにいった。
「家に帰るわよ」って。
「……なるほど。おそらく『奴』ね」
奴?
誰だ奴って。
「いい? ハツナ。よく聞いて。五時間後に別の電話を使ってこの電話番号にかけてちょうだい」
「う、うん」
「私に電話をかけるまで、用心しなさい。絶対に誰も信用しないで。いい? わかった?」
「わかりました」
通話が切れた。
真知子の残した意味不明な伝言。
奴らとか五時間に電話とか。
どういうことだ?
一体、何が起こってるの?
「誰からだったの?」
反射的に、肩が跳ね上がった。
運転席の真知子があたしに声をかけてきた。
「お、お母さんからです」
「ふーん……あんた、お母さんに敬語使うの?」
さぁっと顔から血の気が引いた。
偽真知子は、ハンドルを握ったまままっすぐ前を向いている。
「あ、いや……久しぶりだったし、つい」
「そう」
車が高速道路に入った。
高速道路の退屈な車道が続く二時間半。
まるで生きた心地がしなかった。
これからあたし。
どこに連れて行かれるの。
不安と焦りから、額や手のひらから汗が噴き出てくる。
「ねぇ、ハツナ」
おもむろに真知子が後部座席にいるあたしに振り向いた。
「な、なんですか?」
「あんた。ビビってる?」
心臓がぎゅっと縮む感覚がした。
「え、なんでですか?」
「見てりゃわかるわよ」
ふんっと真知子は鼻を鳴らした。
仕草とリアクションだけ見れば、本物にしか見えない。
とても偽者だと思えない。
「まぁいいけど。あんたも色々あったわけだし、今は疲れてるだろうし」
「……ごめんなさい」
「まずは休みなさい。みんな待ってるから」
車は高速を降りた。
国道から住宅街に入り、だんだん車間幅の狭い道路に入っていった。
見覚えのある景色が、ちらほら散見できる。
「着いたわよ」
見覚えのある家の前に車が着いた。
庭に柿の木が生えた古い一戸建て。
ここ。
おばあちゃんの家?
あたしは車から降りてあたりを見渡してした。
「あの、どうしてここに?」
「なんだよ、もう着いたのか」
庭の方から、男の人の声が聞こえた。
あたしは庭に目を向ける。
はっと息を飲んだ。
「せっかく驚かそうとしたのに、くそぉ。刑部の姉ちゃん、あんた空気ってのが読めねぇのか?」
「事前に連絡しましたよ」
「そういうこと言ってるんじゃねぇわい、こっちは」
気がつくと、あたしは走っていた。
走って、その人の胸に抱きついた。
電話の真知子はいった。
誰も信用するな。
自分の身は自分で守れ、と。
わかってる。
頭では、これは罠かもしれない。気をつけろ。という風に理解はしている。
だけど。
感情が抑えることがでになかった。
「おじいちゃん……会いたかったよ」
あたしはおじいちゃんの胸に顔を埋めた。
熱くなった目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
おじいちゃんは後頭部を指で掻いて、「まいったな」と照れ臭そうにつぶやきた。
終
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