第63話《鯉ダンス》-九-


 あたしの名前は大原トモミ。

 一週間前。

 友達の体に無数の蛆虫が集っている壮絶な光景を目撃してしまった高校生一年生だ。

 たまたまだった。

 ミクと一緒にいた時、お腹が動いてトイレに駆け込んだ。

 久々の解消だ。

 休み時間いっぱいまであたしは粘って、出せるものは全部出した。

 トイレから出て、あたしは異変に気付いた。

 しんと静まり返る廊下。

 人の気配がない。

 やば。

 チャイム聞き漏らしたか?

 あたしは焦って、教室に向かって走った。

 走っている間。

 偶然、三年生の教室を横切った。

 三年生の教室にある出入り口の引き戸。

 引き戸の小窓から、ハツナが見えた。


「ハツナ?」


 あたしは立ち止まり、小窓を覗いた。

 ハツナは陸上部のニシ先輩と一緒にいる。

 え。

 なにこの教室。

 ハツナとニシ先輩以外いない?

 他の生徒はどこにいったの?

 ってか。

 この状況って、なに?


 べしっ。


 小窓になにかがぶつかった。

 ハエだ。

 それもハチのサイズほどあるでかいハエだ。

 よく見ると。

 ハエは一匹だけじゃない。

 教室の中。

 数えきれない数のハエが宙を飛び交っている。

 あまりに数が多いせいで、教室の窓や壁に飛翔するハエがぶつかって、べしっべしっと不快な衝突音が細かく聞こえた。

 なんだこれ。

 一体、何が起こってるの?

 あたしは目の前で起きていることに理解が追いつかなかった。

 ただ、わかることは二つ。

 ニシ先輩はハツナから逃げようとしていること。

 それと。

 全身に白い物体を纏ったハツナが、ニシ先輩を笑いながら殺そうとしていること。

 それだけだ。


「助けてくれぇええええ!」


 ニシ先輩の悲鳴が響いた。

 やばい。

 一体何が起こっているかわからないけど、とにかく止めないと。

 ハツナを止めないと、まずい。


「落ち着きな。大原トモミ」


 背後から、声が聞こえた。

 振り返ろうとしたその瞬間。

 床と顔面がぶつかった。


「そう騒ぐことじゃない。まずは落ち着きな」


 首筋を強い力で押さえつけられている。

 身動きがまったくとれない。

 なんだ。

 何が起こってるの?

 どうしてあたし、床にうつ伏せで倒れているの?

 意味がわからない。

 なんで?


「しー、落ち着くんだ」


 男の声が、あたしの耳元で囁いた。


「いいかい。大原トモミ。君は今パニックになっている。まずは落ち着くんだ」


「誰か助けっ!」


 人を呼ぼうと、あたしは叫ぼうとした。


 めきっ。


 喉を強く締められた。


「だから、落ち着けっていったんだ」


 息ができない。

 誰か助けて……。

 あたしは逃げ出そうと必死に手足をばたつかせて抵抗するが、まるでビクともしない。


「いいかい。あれは仕方がないことなんだ。君は友人がバケモノになったことをショックに思っただろうが、あれ仕方がないことなんだ」


 仕方がないこと?

 何をいってるんだこいつ。

 それよりも、息が……。


「すべては『刑部マチコ』のせいだ。あいつさえいなければ、小島ハツナは問題なかったんだ。問題なく、『122回目』の高校一年生になることができたんだ」


 だんだん視界がぼやけてきた。

 やばい。

 意識がもたなくなってきた。


「大原トモミ。君も納得いかないよな? そうだよな?」


 視界が反転してきた。

 意識がだんだん遠くなってくる。

 何をいってるのか聞こえない。

 もうダメだ。

 あたし、もう……。


「起きろ。大原トモミ」


 壁に体が激突した。

 視界に映る景色が一気に色がつき、あたしは咳き込みながら呼吸を繰り返した。


「重要な話だ。起きるんだ」


 腕の関節を背中で極められている。

 体を壁に押し付けられているせいで、振り返って顔を確認することができない。


「あ、あなた誰?」


「それは重要じゃない。重要なのは『小島ハツナ』だ。小島ハツナが重要なのだ」


 重要?

 なにが?

 さっきからこいつ何をいってるんだ?


「いいか? 俺は小島ハツナが『能力』に目覚めたまでは許しているんだ。遅かれ早かれ、彼女は目を覚ますからな。だが、刑部マチコ。あのオンナが小島ハツナの周りを散策したことについて、いかんせん俺は許しがたいと思っている」


「あんた、ハツナの何なの?」


 めきっ。

 肩の関節を更に強く極められる。

 あたしは声にならない悲鳴をあげた。


「ニシとかいう男。もっと粘るかと思ったが、案外呆気ない男だったことがわかった。【蛆神様】に与えらる『能力』は、その人間の《欲望の度合い》によって変わってくるからな」


「う、うじがみさま?」


「そうだ。四週目以降の大原トモミも使っていたぞ。蛆神様をな」


 四週目?

 なんの話だ?

 あたしが一体何を使ったって?

 さっきからこの男、何の話ししてるんだ。


「《欲望》が強い人間は、『能力』も必然的に強くなる。大原トモミ。お前は小島ハツナのことを《愛している》な」


 ちくちくと、何かが首元に当たる。

 動く何か。

 何かがあたしの首元を這いずっている。

 眼だけ動かし、あたしは首元に蠢くそれを見た。

 あたしは悲鳴を上げた。

 首元にいたのは。

 ムカデだった。


「片想いの愛というのは、とてつもないパワーを発揮することがある。大原トモミ。刑部マチコを殺し、小島ハツナを守るんだ。お前じゃないとできない。お前がやるんだ」


 ムカデが、首筋を伝って、あたしの耳の中に入ってきた。


 わさわさわさわさ。


 耳の中に直に生き物が入ってくる音が聞こえる。

 全身に鳥肌が立ち、冷たい汗が一気に噴き出た。


「ひぃいいいいい!」


 半狂乱になって、その場で暴れた。

 腕の関節を極めていた男の手が外れたのも気づかないまま、あたしは床に転がり悶える。


「助けて! 誰か助けて!!」


「忘れるなよ。大原トモミ。お前が刑部マチコを殺すんだ。お前の無敵の『コイ人』が刑部マチコを殺せ。その為には手段を選ぶな」


 男の声が、あたしの意識に直接響いた。

 頭の中にムカデが入ってくる。

 嫌だ。

 死にたくない。

 どうして、あたしがこんな目に。

 どうして?

 どうして?

 どうしてなの?

 誰だ。

 悪いのは誰だ。

 誰のせいでこうなった?

 あのオンナだ。

 刑部マチコ。

 あいつのせいで、こうなった。


「そうだ。刑部マチコがすべて悪い。小島ハツナを独占しようとするのは、あのオンナだ」


 声が聞こえた。

 あたしの中で、声が反響する。

 ハツナ。

 大好きなハツナ。

 そのハツナをバケモノにしたのは。

 刑部マチコ。

 嫌がるハツナを無理やりバケモノにして、ハツナを見世物にしようと企むくそオンナ。

 絶対許さない。

 ハツナを誰にも渡さない。

 あたしだけのハツナ。

 ハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナハツナナナナ。


「どんな手段をとっても、刑部マチコを殺す。大原トモミ。それがお前の任務だ」


 男ノ姿ハソコニいなかッタ。

 アタシは廊下に手を置き、ユックリ立チ上ガッタ。

 ギョウブマチコ。

 コロス。

 ハツナヲ守レルノハアタシダケダ。

 アタシダケガハツナヲ守ルンダ。

 アタシダケガアタシダケガアタシダケガアタシダケケケケkkkk.....


続く

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