第52話《呪い》-其ノ八-
わたしの名前は小島ミツコ。
大学生の息子と高校生の娘二人をもつなんの変哲もない普通の専業主婦だ。
四日前。
次女のハツナが昼前に帰ってきた。
本人から早退する連絡をもらっていない。
学校に登校する前はとくに変わった様子はなかったし、ズル休みをするような性格の子でもない。
どうしたのだろう。
なにかあったのだろうか。
「おかえり。どうしたの? あんた」
玄関で靴を脱ぐハツナにわたしは声をかけた。
ハツナは制服ではなく、体操服姿だった。
制服はどうしたの? と、わたしは訊ねたが、ハツナは返事をしてくれなかった。
黙ったまま部屋にこもり、その日は部屋から出ることは一切なかった。
「ハツナ。どうかしたのか?」
帰宅した主人に、わたしは今日のハツナの様子が変だということを相談した。
主人はハツナの部屋に行こうとしたが、思いとどまり、わたしにいった。
「今はそっとしておこう。話したくないことだってあるさ」
「でも。あの子があんなふさぎ込むことってあったかしら?」
主人はネクタイを外しながら、肩をすくませた。
「俺に似て不器用なんだよ。心配するな。明日には普通に学校に行くさ。その時になにがあったか聞けばいい」
それから三日間。
ハツナは部屋から出ることはなかった。
さすがにトイレとシャワーを浴びる時は部屋から出てきたみたいだが、ハツナとすれ違った長男のアキヒロと長女のアヤナから話を聞く限り、終始固い表情で口を効いてくれる雰囲気を感じられなかったそうだ。
「ハツナ。もしよければ下でみんなとご飯食べない?」
部屋の扉をノックしたが、返事はなかった。
今の世の中。
うちの子に限ってという謳い文句は通用しないことはわかっている。
ハツナも年頃だし、悪い友達の影響を受けて非行に走ることも十分にある。
あるいは。
なにかよからぬことに巻き込まれて、家族に相談できずに悩みを抱えこんでいる。そういうこともありうる。
家族として。
母親として。
娘を守るためならなんだってするつもりだ。
だけど、なにができるのだろうか。
主人がいうように、静観しているのが一番なのだろうか。
心配しなくても大丈夫!
ハツナは強い子だ!
なんせ俺に似たんだから!
先月亡くなった父の言葉が、わたしの脳裏をよぎる。
父は、ハツナを溺愛していた。
変わり者で偏屈な性格の父は、長男長女からすれば近寄りがたい雰囲気の祖父だと感じたらしく、どちらかといえば、物腰柔らかい性格の母に懐いていた印象がある。
父に懐いていたのは、次女のハツナだけだった。
よく、わたしと口喧嘩をしたハツナが、癇癪極まって家出する時は、必ずといっていいほど父の家に転がり込んでいた。
こんな時、もしお父さんが生きていたら。
なんていうのだろうか。
返事のない娘の部屋の前で、母親のわたしはしばらく立ち尽くし、そう思った。
「迷惑かけてごめんなさい」
居間に降りたハツナが、わたしたち家族に頭を下げた。
主人の平手が、ハツナの横っ面を叩いた。
「みんなを心配かけさせてなにを考えてるんだお前は!」
主人がハツナに対して怒鳴ったのは、これが初めてだった。
ハツナの頬に涙が一雫流れ、濁った声で「ごめんなさい」とつぶやいた。
主人はハツナを強く抱きしめる。
アキヒロとアヤナは、久しぶりに激昂した父親の姿を見て唖然としていた。
「なにがあったんだ?」
主人がハツナに訊ねた。
ハツナは主人の抱擁から離れ、しばらく黙った。
黙った後、ぼそりとつぶやくように答えた。
「ごめん……今はまだ言えない」
翌日。
ハツナは学校に行った。
まだ休んでもいいのよとわたしはいったが、これ以上休むと勉強が遅れるからとハツナはいい、今朝家を出ていった。
あれから。
ハツナはまだ帰っていない。
気になって、さっき電話をかけてみると、ハツナの担任のヤスダ先生が代わりに電話に出て、補習授業で遅くなると説明してくれた。
電話を終えた後、わたしは妙な不安を覚えた。
何がどうと説明できないし、根拠もない。
だけど。
嫌な予感がして仕方がない。
「もしもし、一年A組の小島ハツナの母です。ヤスダ先生はいらっしゃいますか?」
わたしは学校に電話した。
電話に出たのはヤスダ先生だった。
「補習授業? 今日は予定はないと聞いてますが?」
予感が的中した。
ハツナの電話に出た女の人。
あの人は誰?
娘がなにかよからぬことに巻き込まれている。
心臓の鼓動が早まっていく。
電話しなくちゃ。
でも。
どこに?
警察か。
いや、まず先に主人に電話だ。
あ、ダメだ。
今日は取引先との飲み会があるから遅くなるといっていた。今の時間。電話をかけても出てくれるかどうか……。
やはり警察に電話か。
けど、まだ誘拐事件だと決まったわけじゃないし、電話をしてもいいかどうか、わからない。
どうしよう。
どうすれば……。
「ただいま」
玄関からハツナの声が聞こえた。
恐怖心から解放された。
ほっと安心したのと同時に、感情がこみ上がってくる。
「ハツナ! あんたどこに行ってたの!」
わたしは玄関に向かった。
あの電話の人は誰なのか。
今までどこに行っていたのか。
聞きたいことが山ほどある。
「え」
玄関には、ハツナともう一人。
褐色肌の二〇代くらいの女性が立っている。
「お母さん。紹介するね。刑部マチコさん」
女性はわたしに頭を下げた。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます