第46話《呪い》-其ノ弐-


 あたしの名前は小島ハツナ。

 息を飲むような褐色肌美人と目前で電話している高校一年生だ。


「ハツナ? 知り合い?」


 その場で立ち尽くすあたしに、ミクが心配の眼差しを向けた。


「ミク。ごめん。先帰ってもらっていい?」


「え。カラオケは?」


「ごめん。また今度埋め合わせするから」


 あたしは通話を切り、唾を飲み込んだ。

 張り詰めた空気。

 ミクはそんなあたしの様子に気づいたみたいで、「わかった」と一言いってくれた。


「なんかあったら連絡してね」


「うん。ありがとう」


 ミクはその場から去った。

 あたしは女性が立つ車まで歩いて行った。


「小島ハツナ……よね?」


 二〇代後半。いや、三〇代か。

 見た目だけじゃわらない、年齢不詳な雰囲気を感じさせられる。

 身長はあたしと同じか少し高いぐらいか。

 パンツスタイルの黒いスーツに、長く下ろした黒髪。腰の位置が高く、手足も長い。完全なモデル体型だ。

 近くで見ると、かなりの美人だということがわかる。

 彫りが深い顔。鼻が高くて、長くカールした睫毛に凛として大きな双眸。小顔でありながらパーツのそれぞれは均整が取れていて、同じ女として、いや、人間として別次元にいるような美しさに、正直、あたしは圧倒された。

 

刑部ぎょうぶマチコよ」


 マチコと名乗ったその女性は、くびれた腰に手を当て、口をへの字に曲げた。


「三日も待ちぼうけを食らうとは思わなかったわ」


 マチコはあたしに言い放った。

 あたしはマチコと目が合わせることができず、自然と視線が地面に落ちる。

 しばらく、あたしとマチコは黙って対峙した。

 すると。

 おもむろにマチコが車の助手席側のドアを開けた。


「乗って」


「え、でも」


「【蛆神様】について知りたいことがあるんでしょ?」


 躊躇し、あたしは二の足を踏んだ。

 けど。

 マチコから【蛆神様】のことを出されて、気持ちが揺れた。


「いやならいいわ。別に私、忙しいし」


 マチコは冷たく突き放した。

 あたしは車に乗った。


刑部ぎょうぶさん……でいいですか?」


「マチコでいいわ」


 こちらに振り向かず、マチコはルームミラーをいじりながらいった。


「あの、あたし」


「何から聞きたいかわからないって?」


 ルームミラー越しに、マチコはあたしを見据える。


「あなたにとって一番質問したいことは、なぜ私が【蛆神様】を知っているのか。でしょ?」


 そう。

 たしかにそれだ。

 ずっと疑問に感じていた。

 どういうわけか、この人は【蛆神様】を知っている。

 あたし以外のみんなが忘れているのに、この人だけは当然のように覚えている。

 しかも。

 あたしが【蛆神様】にお願いしたことも知っていた。

 どうして。

 この人が知っているのか。


「それを答える前に、あなたに一つ『試したいこと』がある」


 試したいこと?

 なにそれ。

 あたしが訊き返そうとした瞬間。


 がこっ。


 助手席側のドアロックがかかった。


「え?」


 驚いたあたしが振り向いた瞬間。

 マチコの手が、あたしの首根っこ掴んだ。

 は?

 え?

 なに?

 いきなり理由もいわず、マチコはあたしの体をシートに押し付ける。

 マチコの余った手の中に、きらりと何かが光った。

 ナイフだ。

 百均で売ってるような果物ナイフを握っている。

 冷たい汗が背中から一気に噴き出た。

 殺される。

 あたしはマチコから逃れようと必死に抵抗した。

 が。

 マチコの腕力はめちゃくちゃ強く、首根っこを掴む手を引き離そうと、あたしは両手でマチコの手を掴んだが、まるでビクともしなかった。


「叫ぶんじゃないわよ」


 慣れた手つきでマチコは果物ナイフを逆手に持ち替える。

 まさか。

 うそでしょ。


「たすけ……」


 あたしは助けを呼ぼうとした。

 しかし。

 喉を押し潰されていたおかげで、叫ぶことができない。

 

 めりめり。


 果物ナイフが胸に刺さる。

 胸骨を切り、おっぱいの肉に刃物がすぶずぶ埋まっていく。

 死んだ。

 あたし死んだ。

 そう思った。


「……やっぱりね」


 ふんっとマチコは鼻を鳴らした。

 あれ?

 痛くない。

 刺されたのに全然痛くない。

 あたしは薄っすらと目を開け、果物ナイフが刺さった自分の胸元に視線を向けた。

 うねうぬと、なにかが蠢いている。

 白くて小さな物体。

 それがたくさん、あたしの胸元に刺さったナイフ周りに集結している。

 悲鳴を上げそうになった。

 蛆だ。

 あたしの胸の上に、大量の蛆が湧いている。


「予想以上の『再生力』ね」


 胸に刺さした果物ナイフを、躊躇なくマチコは一気に引き抜いた。

 刺された傷口から血は出なかった。

 それどころか。

 刃物でえぐられた傷に、蛆たちが次々と集まり、白い蛆たちの色があたしの肌の色に同化していく。

 やがて蛆たちはあたしの皮膚と融合するように一体化し、最終的には完全に傷を塞いでしまった。

 傷があった場所をあたしは触ってみた。

 いつもの肌だ。

 とくに変わった感じがしない、いつも通りの自分の肌になっている。


「若いっていいわね。肌のハリが全然違うし、すぐ元どおりになるしね」


 マチコはナイフの血をハンカチで拭き取った。

 あれは、夢じゃなかった。

 餓えたどぶネズミの群れ。

 水風船のように身体が膨張した先生や生徒たち。

 ニシ先輩があたしを殺そうとしたこと。

 そして。

 蛆神様があたしを守ったこと。

 みんな、本当にあった出来事だった。

 信じたくないけど、それが事実だ。


「マチコさん」


 あたしはマチコに振り向いた。

 ショックだ。

 かなりショックなことだと思う。

 聞きたいことは山積みで、何から聞けばいいか収集がついていない。

 ただ。

 ひとつだけ。

 先にマチコにいいたいことはある。

 重要なことだ。


「今度から、刺す前にひとこといってください」


 制服に穴開けられるの困るので。

 弁償してください。

 そうあたしはマチコにいった。

 マチコは返事をせず、車のキーを回した。


続く

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