第42話《腐敗》-中編下-


 あたしの名前は小島ハツナ。

 五歳の時、隣町に住んでいるおじいちゃんと一緒に過ごしたある出来事を思い出した高校一年生だ。


「おじいちゃん。これなーに?」


 五歳のあたしが、おじいちゃんと隣町を散歩している時だった。

 道の端に小さな『祠』があった。


「ああ、これはこの町に棲んでいる神様のお家だよ」


「お家なの?」


 祠の周りには花が供えられていて、貼紙が一枚貼ってあった。

 貼紙には難しい漢字ばかりが書かれており、五歳のあたしには読むことができなかった。


「なんて書いてあるの? おじいちゃん」


「ん? ここでお願いごとしちゃダメですよーって書いてあるんだよ」


「お願いごとしちゃダメなの?」


「そうだね。ここの神様はとってもお忙しいからね。お願いごとしたら神様大変になっちゃうからねー」


 そうなんだ。

 神様なのに忙しいんだ。

 毎年、初詣に行く神社では、家族や学校のみんなは神様にお願いごとをたくさんしている。

 オモチャを買ってもらいたい。

 海外旅行に行ってみたい。

 魔法少女になりたい。

 スチュワーデスになりたい。

 神様はお願いしたら、きっと叶えてくれる。

 だって。

 神様はなんでもできるすごい存在だから。

 それが神様だ。

 幼稚園のみんなや、お兄ちゃんお姉ちゃんはあたしにそう教えてくれた。

 それなのに。

 この神様は忙しくてお願いごとが聞けないんだ。

 変な神様だな。

 そうあたしは思った。


「お願いごとできないの?」


「そうだね。しない方が神様助かるかもね」


「でもハツナ。お願いごとやってみたい!」


「んー」


 おじいちゃんは腰を落とし、あたしの目線に合わせて笑みを浮かべた。


「じゃー、じーじと一緒に神様にお願いごとしようか」


「うん! あのね! ハツナはね!」


 あたしがお願いごとを言おうとする前に、おじいちゃんが人差し指であたしの唇を止めた。


「しー……ここの神様はね、すっごい早とちりする神様なんだよ。お願いするのにも、『コツ』があるんだ」


「コツ?」


「そうコツだよ。今からじーじがいうことを一緒に言おうね」


 おじいちゃんはあたしの耳にひそひそ声で囁いた。

 それを聞いたあたしはすぐ「えー」と文句を垂れる。


「よくわからない。それやだー」


「いいから。一緒におじいちゃんとお願いするぞ。せーの」


 あたしはおじいちゃんと一緒に、《お願いごと》をした。

 それが一体なんだったのか。

 あたしは思い出せない。

 そして。

 どうしてこのタイミングでその思い出がフラッシュバックしたのか、わからない。


「逃げろ……小島」


 瀕死のヤスダ先生が、ニシ先輩の足首を掴んでいた。


「なんだ? まだ元気かこいつ」


 ぎょろぎょろとニシ先輩の黒目が動き回る。

 一瞬の隙だった。

 あたしは隙をついて、無我夢中で更衣室を脱出する。


「待て! 小島!」


 ニシ先輩の声が後ろから聞こえた。

 振り返らず、あたしはただひたすら校舎に逃げた。

 呼ばなくちゃ。

 とにかく職員室に行って、先生たちを呼ばなくちゃ。

 じゃないと。

 ヤスダ先生が殺される。

 どうやって先生たちに説明するか、そんなこと考えるのは後回しだ。


「すみません! 誰か! 誰かお願いします!」


 あたしは一階の一年生職員室に駆け込んだ。


「小島さん? どうかしたの?」


 職員室では、待機している先生たちがあたしを見て驚いている。

 震えが止まらない。

 息切れが激しく、途中自分の声でむせ込む。


「なんだ。どうした?」


 ジャージ姿の男の先生があたしの元に歩み寄ってきた。

 あたしはさっきの出来事を説明しようと口を開く。

 だが。

 頭の中が混乱している上に乾ききった口では呂律が回らず、「えとその」と意味のない言葉を繰り返すばかりでうまく説明することができなかった。


「おい、どうかした?」


「先生。ヤスダ先生が」


「ヤスダ先生がどうした?」


「とにかく警察を……警察に連絡を。ニシ先輩が……ニシ先輩が」


 どさっ。


 ジャージ姿の男の先生があたしの目の前で倒れた。


「え?」


 どうして?

 あたしパニックになった。

 倒れたことにパニックになったわけではない。

 ジャージ姿の男の先生。

 一秒前まで。

 痩せ型の普通体型だった。

 それがなぜか。

 太った。

 ボンレスハムのように、体型が二倍三倍に膨れている。

 なんで?

 どうして急に。

 デブになったの???


 どさ、どさ。


 人が倒れる気配がした。

 職員室にいた先生たちが、その場で倒れている。

 どういうわけか、デブになって……。


「成人男性の平均体脂肪率っていうのは、数値にすれば『一〇パーセント』前後だそうだ」


 声が職員室に響いた。

 ニシ先輩の声だ。


「女性だと二八から三四パーセント。それを上回れば一般的には『肥満』とされている。とくに、体脂肪率『七〇パーセント』を越えれば、死に繋がる危険な数値だ」


 振り返ると、ニシ先輩があたしの前に立っていた。

 にぃっとニシ先輩の白い歯が覗く。

 ぞくっとなった。

 拳。

 視界が暗転する。

 あたしは地面に尻餅をついた。


「俺が蛆神様にお願いして手に入れたのは《生き物の『体脂肪率』を変える》能力だ。太らせるのも痩せさせるのもカンタンにできるぜ?」


 頭がぐらぐらする。

 口の中に鉄の味がした。地面に粘ついた液体が滴り落ちる。


「どうした? 逃げないのか? 殺されるんだぜお前」


 つま先から感覚がない。

 立てない。

 あたしは床を這ってニシ先輩から逃げようとした。


 ばしゃ。


 あたしの身体に、何か生暖かい液体がぶっかけられた。

 卵くさい。

 べたべたする。

 これ。

 マヨネーズ?


「お前をデブかガリガリにして殺そうとしたのに、どうしてかお前の身体には俺の能力が適用されない。だから、俺はやり方を変えることにした」


 がさ。

 何かが動く音が聞こえた。

 音の正体が何なのか、あたしは探した。

 すると。

 太ももの、スカートの上に何かが乗った感触がした。

 

 ちゅちゅちゅ。


 あたしはそれを見て悲鳴を上げた。


 続く。

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