第41話《腐敗》-中編中-


 あたしの名前は小島ハツナ。

 【蛆神様】を覚えているニシ先輩に人気のいない更衣室に連れ出され、どういうわけか首を絞められている高校一年生だ。


「あぐっ」


 ぎゅっとニシ先輩があたしの首を両手で締めつけてくる。

 苦しい。

 振り解ことうと抵抗してみるが、力が強すぎて外すことができない。

 どうしてこうなった。

 いきなりニシ先輩に更衣室に連れ出されたと思ったら、あたし以外みんな忘れたはずの【蛆神様】を覚えていて、それで首を絞められる状況になっている。

 意味がわからない。

 どんなに冷静に振り返っても、どうしてこんな展開になったのか、さっぱり見当がつかない。


「『二周目』なんだよ。ここは」


 ニシ先輩があたしにいった。


「いや、実際に二周目かわからない。ひょっとしたら五周、あるいはもっとかもしれない」


 ぎょろぎょろと、ニシ先輩の二つの黒目が別々の方向に動く。

 二周目? 一体何の話をしているんだこの人。


「誰かがお願いしたんだよ。《【蛆神様】をいない世界にしてください》って。あれのお願いごとで町はめちゃくちゃになっていたからな、リセットしたくなったんだろうよ。だから、今この世界は蛆神様を知っている人間はいないんだ」


 ニシ先輩の顔があたしに近づき、「小島、お前以外はな」と、続けた。


「なぜだかわからんが、小島ぁ……お前だけは【蛆神様】を覚えていやがる。リセットしたはずなのに、お前は前の世界かから記憶を『引き継いで』この世界にいる。どういうことだ? あ?」


 視界がぼやけはじめた。

 だんだん意識が遠のいていき、全身から力が抜けていく。


「おい、誰かいるのか?」


 声が聞こえた。

 あたしの首を絞めるニシ先輩の手が離れた。

 地面に膝をついてあたしは咽せる。

 見上げると、ニシ先輩の姿がいなくなっていた。


「小島? お前、何してるんだ?」


 柔道部顧問のヤスダ先生が、慌ててあたしに走り寄ってきた。


「かひゅ、かひゅ」と、掠れた声であたしは返事をする。

 ヤスダ先生はあたしの背中を摩り、「何があった? おい」と聞いてきた。


「先生……ニシ先輩は……?」


「ニシ? 二年の陸上部か? あいつがどうした?」


 ヤスダ先生が、ゆっくりあたしの上半身を起こしてくれた。


「小島、立てるか?」


「ありがとうございま……」

 

 いいかけて、あたしはぎょっとなった。

 ヤスダ先生の身体が消えた。


「せ、先生?」


 一体何が起こったの?

 混乱するあたしがヤスダ先生を探そうとあたりを見渡す。

 瞬間。

 あたしのお腹に衝撃が走った。


「う!」


 気がつくと、あたしはうつ伏せで倒れていた。

 口の中に唾液がいっぱい溜まっている。


「前の世界の俺が蛆神様に何をお願いしたのか、知らないが……ここは『リセット』された世界だ」


 顔を上げると、そこにニシ先輩が立っていた。


 どさっ。


 なにか重い物が落ちた音がした。

 ニシ先輩の足元に、何かが転がっていた。

 人?

 長い髪にジャージを着た人だ。

 黄褐色の肌。

 からからに乾いたミイラのように、全身が痩せ細っている。痩せ細ったその人は、浅い呼吸を繰り返し、地面に横たわっていた。編集

 まさか。

 ヤスダ先生?


「『リセット』されたってことは、【蛆神様】に新しい願い事ができるってことだ。今度は馬鹿な願いをせず、ちゃんとお前を始末できる『能力』をお願いしたぜ」


 ニシ先輩が思いっきりあたしの横っ面を蹴り上げた。

 蹴り上げられた勢いで、あたしの身体はロッカーに激突する。

 殺される。

 はじめてあたしは思った。

 心臓の鼓動が異常に早まり、寒気が全身を迸る。

 このままだと、あたし。

 本当に。

 ニシ先輩に殺される。

 逃げなくちゃ。

 ここから逃げなくちゃ。

 立ち上がろうとあたしは地面に手をつき、膝に力を入れた。

 すっと、膝から力が抜ける。

 あれ?

 どうして?

 立てない。

 逃げなくちゃいけないのに。

 あたし、立てない。


「死ね」


 ニシ先輩の手があたしの顔に触れようとする。

 ガチガチと歯が鳴る。

 嫌だ。

 死にたくない。

 助けて。

 誰か助けて。


 ♪


 スカートのポケットから着信音が鳴った。


「あ?」


 ニシ先輩の手の動きが止まった。


続く

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