第36話《柔道》
あたしの名前は小島ハツナ。
期末テストの成績があまりよくなかったことに落ち込んでいる高校一年生だ。
原因はわかっている。
サッカー部だ。
ここのところ、全国大会に向けて練習量が増えてきている。ついていくのが精一杯で、勉強をしている暇がない。
もうダメだ。
サッカー部辞めよう。
成り行きで部員にはなったけど、成績が下がってちゃ元も子もない。
三浦先輩。
山岸先輩。
それにトモミ。
みんなには悪いが、明日の朝退部届けを出そう。
そうあたしは決心した。
「小島。柔道に興味がないか?」
放課後。
体育館に続く吹き抜けの廊下で、女子柔道部の顧問のヤスダ先生があたしに声をかけた。
「すみません。ないです」
あたしは頭を下げた。
以前、ヤスダ先生があたしを女子柔道部に勧誘したがっている噂を聞いたことがある。
うちの高校の女子柔道部は、年々部員が減って弱体化の一途を辿っているそうだ。
「小島はガタイがいいし、体幹もしっかりしてるから強くなるわよー」
ヤスダ先生があたしにいった。
申し訳ないが、格闘技にはまったく興味がない。たたでさえサッカー部で忙しいし、成績を取り戻すためにも勉強しなくちゃだから、正直部活どころではない。
「なんだ? 小島、勉強できてないの?」
あたしが正直に話すと、ヤスダ先生が正面からあたしの顔を覗き込んできた。
この先生、苦手なんだよなぁ。
目力が強すぎるっていうか、やたらまっすぐ人の目を見つめてくるから、心の中まで見透かされているような気分になる。
女の先生の中では、一番関わりたくないタイプの人だ。
「成績が戻ったら格闘技やれるんだな?」
「いや、それは……」
「どうなんだ?」
うわ。
これまずいぞ。
強引に丸め込もうとするパターンだ。
なんでか知らないけど、あたしこの手のやり口によく引っかかるんだよ。
うまく、かわさなくちゃ。
このままだと女子柔道部に入部させられる流れになってしまう。
「ヤスダ先生……」
あたしの頭の上に影が落ちた。
振り返って見上げると、女子生徒があたしを見下ろしていた。
「イイジマ、随分デカくなったな」
へぇっとヤスダ先生が感心する。
デカイなんてもんじゃない。
天井に頭がぶつかるほど、イイダは巨体だった。
二三〇センチ?
いや、二五〇センチ?
手足がやたら太く、ブラウスの布地が筋肉でパンパンに張っている。
「この前まで私より身長低かったのに、何食ってでかくなった?」
「【蛆神様】にお願いしました」
でしょうね。
それ以外ないだろ。
「すごいわね。【蛆神様】って。お願いしたらそんな身体にしてくれるのね」
ふっとヤスダ先生が微笑んだ。
イイジマと呼ばれた女子生徒は、ヤスダ先生を睨むように強く見つめている。
「今度、私もお願いしてみようかな」
「先生……あたしに言いましたよね」
低い声色で、イイジマはいった。
「先生に一本勝ちしたらレギュラーにしてあげるって」
「あー、そんなこと言ったけ?」
「言いました」
「言ったか」
ヤスダ先生はイイジマを見上げる。
イイジマはヤスダ先生を見下ろしている。
対峙したまま、二人はしばらく黙っていた。
「わかった。場所を変えよう」
ヤスダ先生があたしの肩に手を置く。
「小島、審査員よろしく」
は? 今なんて?
っていうか、柔道のルール知らないんですけど。あたし。
「大丈夫。勝ったぽい雰囲気あったらそれが勝ちだから」
え、えぇー。
そんな適当な。
「ルールは無制限一本勝負。技あり有効なし。寝技なし。立ち技一本でどうだ?」
柔道場にて、柔道着に着替えたヤスダ先生がイイジマに告げた。
柔道着に着替えたイイジマが白い歯を見せた。
「いいんですか? 先生」
「なにが?」
「あたしは【蛆神様】に《柔道に特化した体にしてほしい》ってお願いしました。だから、申し訳ないですが、先生があたしに勝つことはできません」
「へぇ、そうなの」
「少なくとも柔道では勝てません」
ヤスダ先生は鼻をこすって、「そうかぁ」とつぶやいた。
「【蛆神様】はいいわね。強くなりたいってお願いすれば強くなれるんだから、羨ましいわ」
空気が切れる音が鳴った。
気がつくと、ヤスダ先生の右襟と左袖をイイジマが掴んでいた。
次の瞬間。
ヤスダ先生の足が畳から離れた。
「あぐっ」
イイジマの顔面に、ヤスダ先生の額がめり込んだ。
頭突き。
イイジマはたたらを踏み、仰け反った。
掴んでいたイイジマの手が離れた。
右。
左。
右。
右。
左。
右。
右。
左。
一呼吸の間。
イイジマの顔と腹に、ヤスダ先生の左右の拳が命中した。
原型が留まらないほど、イイジマの顔面が崩れる。
大の字になって、イイジマは畳の上に倒れた。
「なめんなよ。他力本願で強くなれほど、格闘技は甘くないぞ」
ヤスダ先生は残心の構えをとった。
これ。
とりあえず、一本勝ちなのか?
柔道じゃないけど。
「小島。柔道興味出たか?」
ヤスダ先生に訊かれた。
「いや、ないす」
あたしは即答した。
むっとヤスダ先生が残念そうに唇を尖らす。
休部しよう。
成績戻したら、サッカー部に戻ろう。
あたしはそう思った。
終
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