第20話《苦手科目》
あたしの名前は小島ハツナ。
得意科目は英語で苦手科目は数学。典型的な文系タイプの高校一年生だ。
ただ、あたしも昔から数学が苦手とかじゃなかった。中三までは苦手意識なくて普通にこなせたし、割と勉強はオールラウンドでそつなくできた方だったと思う。
この高校に入学してからだろう。
数学が苦手になったのは。
「おはようございます……」
蚊が鳴くような声で挨拶をしてから、ウエキ先生は教室に入ってきた。
今年三〇歳のウエキ先生は、いつも血色の悪い顔をした数学の先生だ。
未婚で彼氏なし。バサバサの黒髪ロングに猫背。いつも決まった服装しかしなくて、化粧をしたところも見たことがない。
もっぱら授業はいつも数式を黒板に書くだけ書いて、ボソボソと小さな声で説明し始めることが多い。むちゃくちゃ聞き取りづらい上に、耳を澄ませて聞いたその内容も「であるにして」「このように」「したがって」と、まるで大学の講義みたいな、あるいは教科書に書かれた内容を読んでいるだけみたいな話し方をするから、さっぱり頭に入ってこない。
今時は試験勉強は塾で済ませているのが普通だったりするから、無理をして授業を受ける必要はなかったりする。話し方が面白い先生や怒らせたら恐いイメージの先生なら大人しく授業を受けても、面白くもなければ言ってることもよくわからない女の先生となれば、教室がどうなるか、想像は容易い。
「へい、ぱーす」
「へーい」
男子があたしの頭上で丸めた紙のキャッチボールをしている。
斜め前の男子は分厚いライトノベルを堂々と読んでいて、トモミはスマホをいじっていたりしていた。
「先生、注意しないね」
後ろの席に座るミクが、そっとあたしに耳打ちする。
ウエキ先生は黒板に数式を書くだけで、一切こちらにふり向こうとする気配がない。
今までウエキ先生が生徒を注意したという話は聞いたことがない。
多分、あの性格だ。人と関わること自体、苦手で疲れるから、できないし諦めていると思う。
ウエキ先生は学者や研究者に向いている気がする。少なくとも人前で話す仕事、高校教師は向いていないとあたしは感じて仕方がない。どうして先生なんかやっているのだろう。不思議だ。
「あの」
ふいにウエキ先生がこちらを振り向いた。
クラスメイトたちの何人かは気づいたが、静かになる気配はなく、ウエキ先生
を無視して騒ぎ続けている。
「すみません。ちょっといいですか?」
やや大きい声でウエキはいった。
それでも教室内が静かになる様子はない。
「私、決めたことあります。これ以上、みなさんが私の授業を受ける気がないなら、先生はこれから自殺します」
教室内の騒がしさは消えないまま、ウエキ先生の声は搔き消される。
ごとっ。
ウエキ先生は教壇の上に重い何かを置いた。
電動ドリルだった。
「はい。じゃ自殺します」
おもむろに電動ドリルを手に取った。
教室のクラスメイトたちはさすがに異変に気付いたようで、ウエキ先生に視線を向けた。
ごりょごりゅごりゅ。
頭骨が砕ける音が教室内に響いた。
その瞬間。
クラスメイトの悲鳴が轟いた。
「な、なんだ!」
「死んだ! 死んだのか?」
教壇の上にウエキ先生は立ったまま突っ伏した。
真っ黒い血が床に滴り落ちる。
前席で返り血と脳漿をもろに浴びたクラスメイトは、叫ぶのを忘れて呆然となった。
「や、やべぇ! やべぇ!」
クラスの男子たちが一斉に慌てふためき、蜘蛛の子が散るように教室から逃げ出した。
何が起こったのか、理解が追いつかないあたしや残されたクラスメイトたちは、席から動くことができずに固まっていた。
「はぁ、痛かった」
ウエキ先生は起き上がった。
何事もなかったかのように髪を額からかき上げ、周りを見渡した。
左右の目が充血し、黒目がばらばらの方向を向いている。
「すみません。安心してください。先生は不死身です」
とんとんとプールから出た耳抜きの要領で自分の頭の端をウエキ先生は叩く。
どろっとした血が、唇の端と耳から垂れ流れた。
「今生き返ったので、大丈夫です」
「だ、大丈夫なんですか?」
思わずあたしは質問してしまった。
ウエキ先生はあたしに顔をゆっくり向けると、「ええ」と答えた。
「【蛆神様】に《自殺できない体にしてください》ってお願いしました。だから、あたしは何をやっても自殺はできない体になっています」
電動ドリルのトリガーをウエキ先生は二回ほど引き金を絞る。
ウィーンと回転音と共に、付着した血と骨、肉片が軽く飛び散った。
「みなさん。ありがとうございます。効果はありますね。次からまたうるさくしたら自殺することにします」
しんと教室内が静まり返った。
この日から、あたしを含めたクラスメイトたちは数学が苦手科目となった。
終
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