復讐の軌跡 defiler of inferno

桃李

復讐の軌跡 defiler of inferno

序章

城南新聞 二〇一〇年 某日 社会面

清勝館学園若手英語教師 TOFEL解答を不正に教える

東京都文京区の私立清勝館中学・高校の英語教諭三人が二〇一〇年まで複数回、同校を会場に行われた「TOFEL」の問題を試験実施前に開封したうえ、対策講座の名目で高校生に実際の試験の模範解答を指南していたことがわかった。

英語教諭の葛木美奈子(二九)を中心に不正に関与しており、某日午前の全校集会で生徒に謝罪した。処分に関してはこれから下されるとみられる。

TOFELテスト日本事務局は同校から事情を聞く方針。


文久新聞 二〇一〇年 某日 社会面

清勝館学園 TOFEL試験で不正

都内文京区にある私立清勝館学園中学校及び高等学校においてTOFEL試験を開封し、答案を予め生徒に教唆する不正があったということがわかった。

同校中学高校の校長で英語教論でもある堀田雅徳(五五)は関与を否定、若手教員によるものと発表しているが、実際に答案を教唆された生徒の供述と食い違う点があり、引き続き取材を続けていく。TOFELテスト日本事務局は同校から事情を聞く方針。

同校の理事長であり「ニッタミ」総裁である我来賢一郎氏は同校ホームページ上で謝罪文を掲載し、不正に関わった教員数人を処分する方針を発表した。


大和新聞 二〇一〇年 某日 社会面

清勝館学園校舎内で転落死

大手外食産業「ニッタミ」の総裁、我来賢一郎氏が理事長を務める東京都内の高校で生徒が死亡する事故が発生した。

生徒は地下体育館の吹き抜け部分から数十メートル下に転落し亡くなったとのこと。このことについて学校側は、「深くお詫び申し上げます」と発表している。

東京都文京区の清勝館高校で同校一年生の生徒が、地上から地下三階の吹き抜け部に転落し死亡した。生徒は、転落防止用のネットに付着したゴミを取り除こうとして、ネットが外れて転落したと見られている。

清勝館学園ではこれまでに、部活中での死亡事故やガス漏れ事故などが発生している。また生徒による校舎内での飛び降り自殺を転落事故とみなし訴訟へと発展した経歴もある。


毎朝新聞 二〇一一年 二月一七日 社会面

清勝館学園教師 自宅で自殺か 夫へのメモ残す

十五日午後六時頃、東京都杉並区の警察官の男性(二八)方の自宅マンション浴室で妻(二九)が倒れているのを帰宅した男性が発見し、一一九番した。救急隊員が駆け付け、病院へと搬送されたが間もなく死亡が確認された。脱衣所には遺書と思しきノートが置いてあり、警察は自殺とみて捜査している。

死亡した女性は葛木美奈子(二九)。都内の中高一貫校、清勝館学園の教師であるが、昨年、TOFELの実際の解答を生徒に教えるという不祥事を働き、現在は停職中であった。


序章

 地獄を、歩いていた。

 見渡す限り磯の臭いが鼻につく瓦礫の世界。圧倒的な質量の死が襲いかかり、全てをなぎ倒していった破壊の跡。漁港近くの町は、つい数日前までいたって普通の生活模様があったとは想像出来ないほどの有り様だった。

 宮城県気仙沼市。

 葛木恭矢は機動隊の装備に身を包み、ヘルメットを装着し、重苦しいブーツで瓦礫を踏みしめながら生存者を捜索していた。もし、この下にまだ誰かが埋まっているかもしれないと思うと寒気にも似た言い様のない感覚が背骨を貫く。傍らには大型の救助犬が少々重い足取りで恭矢の後をついてきている。その足の裏は瓦礫の上に飛び散った粉状になったガラスによって傷つき、足あとはかすかに赤く染まっている。だが、この救助犬は嫌がる素振りも痛がる素振りも全く見せず、凛とした姿勢で歩み続けていた。恭矢が歩みを止めても、救助犬は進むことを止めない。五、六歩先に進んだところで振り返り、恭矢のほうを振り向いては「どうした?」とでも言うような目を向ける。その瞳には一片の曇りは無い。

 果たして、今の自分とあいつとでは、一体どちらが忠義のような類のものを持っているのだろうか。恭矢は疲弊しきった意識の中でそう思った。多分、忠誠心といったものはあいつのほうが上だろう。

 そんな救助犬と共に歩を進めていくと、忠義に厚いお供は傷ついた肉球をものともせず、ある場所へと駆け出しその場で何度も吠え立てた。

「いたか!?」

 恭矢は思わず声を上げ、救助犬が吠え立てる方向へ駆け寄る。積み上がった瓦礫の下の空洞、そこを覗きこむと微かながら人影が認められた。「いたぞ」と恭矢が声を張り上げる。近くにいた警官、自衛官、消防隊の混ざった救助隊が大勢で集まりだす。その間にも恭矢はその人影に対し、声を上げて呼び続ける。だが、その人影はなんら反応を示さない。清水の中に一滴の濁り水が落とされたような感触が恭矢の中に広がる。確信に近い不安と失望がほんの少しだけ希望に湧いた恭矢の胸中を濁らせていった。

「死ぬな。頼む、生きてくれ」

 かけつけた救助隊によって瓦礫が引き上げられ、大きくなった空洞に恭矢が潜り込む。伸ばした手が触れ合う。だがその感触は固く冷たいものだった。

 難儀しながらもその人影を引き上げる。人影は少女だったものだった。腕の中の少女だったそれは瞳を恭矢へと向けてはいたものの、視線は何も捉えてはいなかった。恭矢はそっと開かれたままのまぶたを閉じてやった。

「どうだ?」と言わんばかりに救助犬が尻尾を振りながら、こちらに目を向ける。もう動くことはない少女にすんすんと鼻を近づけて様子を伺う。事態を察したのか、救助犬は力強く降っていた尾をしゅんと垂れさせる。お前のせいじゃない、と恭矢は救助犬の頭を優しく撫でる。お前のおかげでこの子は家族の元に帰れるのだから。

 最初の遺体を目にした時はさすがに胸の奥をえぐられるような感覚を覚えた。だが三度目となると「ああ……、またか」といった程度のものとなった。五度目ともなれば、ここが東北で今がまだ冬の面影の残る早春であることが本当に良かったと頓珍漢なことに安堵した。仮に夏だったら、その湿度と暑気によってこの程度の地獄では済まなかっただろう。

 回収した遺体は専門の人間によって洗浄と修繕を済ませた後、近場の公民館や体育館に設えた簡易的な霊安所にドライアイスを詰めた棺の中に安置させ、家族と対面させる。本人確認が出来たところで医師によって死亡診断書が書かれて、ここで初めて遺体は名も無き〝行方不明者〟から〝犠牲者〟を名乗ることが出来る。

 ただ、それの繰り返しであった。

 そうして捜索作業を終え、近くの運動場に設けられた救助隊の野営地に戻ると、見知った顔が恭矢を待っていた。自分と同じ組織に属する男。親しい同僚とも言える。

「村木、お前もか」

 村木と呼ばれた男は恭矢を認めると、こちらへと駆け寄ってきた。一八〇センチ弱ある恭矢の遙か頭上にある一九〇に届く大男だ。

「それはこっちの台詞だ。お前もここにいるということは、〝俺たち〟のほとんども今回の震災で救助活動出動ってことになったみたいだな」

「各方面に恩を売るつもりか、あるいは普段の不評を和らげさせる魂胆か」

 二人は首を巡らせる。見知った顔が見受けられた。

「救助活動は行き掛けの駄賃ってか。どっちにしろロクな案件じゃないことは確かだな」

 村木がぼやく。自分たちが属する〝組織〟がこんな真面目に人道的な活動に駆り出されるとは到底思えない。村木の言うとおり、今日の救助活動は本来の目的のついでに過ぎないだろう。周りにちらほらと見えた同僚たちはこちらの姿を認めると軽く会釈などで返してきた。その顔に肉体的な疲労の影が見えたが、精神的な摩耗はなかった。皆、いつも通りのハードオプションをこなしている時と変わらぬ感情を殺した顔。だがそれとは対照的に救助活動から帰還してきた自衛官や警察官の表情は呆然としたものだった。その双眸は不自然なまでにぎらつきながらも何も映してはいない。

「今回のこれで、一体何人がやめることやら。精神科は大繁盛だな」

 彼らの様子を見た村木が零す。恭矢は黙って目も合さずにそれ頷くだけだった。その視線の先は災害の傷跡をじっと捉えている。その様子に、「恭矢、お前も大丈夫か」と村木が恐る恐るといったように尋ねる。

「嫁さん亡くなったばかりだろ。無理するんじゃないぞ」

 恭矢の妻、美奈子が自宅で自ら命を断ってから今日で四十九日となった。ひと昔流行った硫化水素による自殺。帰宅した恭矢が見たのは目張りで密閉された浴場と、遺書と共に扉に貼り付けられた「入ってこないで」という張り紙。状況から職業柄何が起きているか直ぐ様察知出来たが、既に妻は冷たくなっていた。

 なぜ妻は自ら命を絶たねばならなかったのか。誰が彼女を自ら殺めるまで追い詰めたのか。彼女が他人に追い詰められるようなことをしたか。葬儀の最中もずっとその疑問が堂々巡りし、やがて考えることに疲れ果てると只々恭矢は呆けるしか他はなかった。

 妻、美奈子を追い詰めたのは彼女が務めていた学校、清勝館学園の校長堀田と理事長の我来賢一郎だ。堀田が引き起こした不正の責任を、理事長の我来がどういうわけか美奈子に転嫁したのだ。そして彼女はそのことを苦にして、自らを殺めた。

 こんな馬鹿げたことがあるか。こんな理不尽なことがあるか。火葬場で灰だけの姿になった妻を見て恭矢はようやく感情の堰が切れた。初めて声を上げて、泣いた。

 そして、その最愛の人の納骨にも立ち会えなかった。妻の両親は「今、日本が一大事だから仕方ない」と承諾してくれたが、それでも恭矢にとっては忸怩たる思いがあった。

 妻が自死するに至ることも止められず、そして妻の死後もろくに供養することも許されない。私事よりも国家の案件の解決に尽力することを強いられる自らの立場とそれを断りきれない自分の不甲斐なさに歯噛みすると同時に、妻を死ぬまで追い詰めた清勝館学園の堀田と我来に対する黒く燃える憎悪を抱えていた。

「今は何も考える余裕なんかないから」

 恭矢が言う。自分でもどうだかと思うほどに、わかりやすい嘘だ。瓦礫の山に目を向けながら。おそらくその瞳は何も捉えていない。

「だから、大丈夫だよ。少なくとも今は」

 昔馴染みの同僚に心配をかけまいと、そう恭矢は微笑んだ。そう、すくなくとも今は。

「そうか。それならいいんだが」

 だがよ、と村木が言葉を続ける。

「変な真似する気だけは起こすなよ」

 その忠告が恭矢に聞き届けられたか、村木には確信がなかった。


 三月十一日、東日本大震災。宮城県牡鹿半島の東南東沖百三十キロ、仙台市の東方沖七十キロの太平洋の海底を震源とする巨大地震は地震そのものよりも、引き起こされた津波により多大な被害と犠牲をもたらした。当時はまだ津波を甘く見ていたという意識もあり、津波警報が発令された後も避難が滞っていたことが大きいとされている。

 そしてこの震災は津波とはまた別の災厄をもたらした。

 福島第一原発事故。地震の揺れと津波によって海水を被り電源が失われ、炉心冷却装置が機能停止。原子炉が停止した後も核燃料は崩壊熱を発し続けたためメルトダウン、充満した放射性物質を含む水蒸気により建屋が爆発。炉心が外気に露出するという事態にまで陥った。

 そのような阪神大震災、新潟中越地震以上の災害にも関わらず、時の内閣は自衛隊に対し即時出動命令を下さなかったという。当時政権を握っていた革新党は所謂左派的な位置にあり、自衛隊に対し特に理由らしい理由のないアレルギーを持つ者が多かった。巡り合わせの悪さか、どうしてか大災害が起きる時には決まって自衛隊を毛嫌いしている新左翼派が政権に居座っている。大地震だけではなく大津波と原発事故が同時に引き起こされるという未曾有の大災害を目の前にしても、政治屋という生き物は自らの保身と面子を最優先事項に持って行くことがどうして出来るのか。村木には全く理解が出来なかったし、したくもなかった。

翌日、恭矢と村木は朝から呼び出しを受けていた。呼び出し主は郡山警察署の一室を間借りし、二人をそこに呼び寄せた。

待ち構えていたその人物を見て、二人は「ああ、やはりか」と胸中で呟いた。

「ま、そんなんだろうと思ってましたよ。〝俺たちなんか〟がただの災害救助派遣に駆り出されるわけないですもんねえ、成田室長」

 村木が軽口を叩く。部屋にいた呼び出し主、成田と呼ばれた男はそんな二人の反応を見て、「それならば話は早い。僕、スマートな仕事っぷりって大好きだよ」と返した。

 その後、恭矢と村木を含めたグループは成田から今日一日を含めた今後の予定と今回の案件のミーティングを終えると、ローテションが組まれた。最初のローテションとなった恭矢と村木は別室に案内され、そこで渡された装備を見て村木は苦笑いを浮かべた。一方の恭矢は鼻を鳴らしながら仏頂面を寸分も崩さずにいた。

 渡された装備は、放射線防護服と自動拳銃だった。

防護服を着込み、用意されたワゴン車へ乗り込む。ドライバーも防護服に身を包んでおり車内は異様な雰囲気に包まれていた。関係の無い者が傍から見れば重苦しく耐え難い空気であるだろうが、彼らにとってはこれが通常運転だ。

 車窓から見えるものは相変わらずの地獄のみであった。とりあえず車両だけは通行できるようにするため瓦礫を脇に寄せただけの急ごしらえの道路をワゴンが進む。やがて窓から見えるものが一面の瓦礫の山から塩気を帯びた雑木林へと移り変わると、巨大な建造物が現れた。

 屋根が吹き飛んでいる建造物。福島第一原発。そこから少し戻った林で二人は降ろされた。任務開始となる。

 二人は一丁の自動拳銃を握っていた。オーストリア製グロック18C。ベストセラーであるグロック17を、トリガーを引き絞り続ければマシンガンのように連射するフルオート仕様にした代物である。無論、銃の所持が認められている諸外国においても一般への販売が禁じられているほどの強力な装備であり、また如何に公的機関といえども装備を認めている組織もごく僅かに限られている。その上銃口には黒く細い筒、銃声を抑えるためのサプレッサーも装着されており、そして彼らがそのような銃を握っていることからして、二人が所属する組織がそのようなごく僅かの範疇に入る特殊性を秘めていることを体現していた。

 そして防護服越しにでも細かな作業を可能にするように、手袋の部分は防寒用のそれと対して変わらない厚さのつくりとなっている。トリガーを引くにしても差し障りはない。この防護服が特別に作らせたことは想像に難くない。

「なぁにが、即座に影響はない、だ」

 二人の視線は同じ方向へと向けられる。村木が屋根の吹き飛んだ建屋を向きながら、散々先ほどまでテレビでのたまわれている官房長官の常套句を吐き捨てる。

 時の官房長官は会見で二言目には放射性物質による健康被害は即座に及ばないと何度ものたまってはいるものの、メルトダウン、あるいはメルトスルーを引き起こした炉が外気に露出されている現状ではにわかに信じがたいものであった。その対策として自衛隊のヘリがバケツで汲んだ冷却水を投下されているが、文字通りの焼け石に水としか思えず、そのような対策しか取れない政府に対し大きな不安と疑念を持つことは致し方ないというのが二人の個人的な考えだった。

 しかし例え欺瞞であろうが危険は無いということが事実であろうが、どっちにしろ政府の過小評価と希望的観測による現状の発表は市民の恐慌を防ぐために必要とされるものであるということも二人の見識だった。そして恭矢と村木に課せられた任務はその欺瞞を守りぬくことであった。謂わば必要悪である。

 そしてこのような現場には必ずと言って良いほど、社会正義とやらに満ち溢れたジャーナリストがのこのこと現れる。ジャーナリスト気取りの野次馬しか今のマスコミには存在していないというのは、二人の共通認識だ。おそらく現状においても、現場から遠く離れた東京のオフィスでふんぞり返って働きアリの部下の報告を待っている連中が大半だろう。そんな中でも自らの足で現場に踏み込みどうにかして現状を世に伝えようとする、社会正義に溢れた者たちも少なからず存在する。真のジャーナリストとは彼らを示す言葉であり、ジャーナリズムという概念を彼らはその身で体現していた。

 だが、今日の恭矢たちの〝対象〟はそんな彼らに他ならない。

「僕は別にジャーナリストが嫌いなわけじゃあない。社会正義、大いに結構。マスコミは厳正なる目と耳で僕たち権力者を監視すべきなのだ。そこに何の異論はない。だけど、最も唾棄すべきなのがジャーナリストを騙ったゴミ虫どもだ。こいつらは早急に駆除しなければならない。だが、残念なことにこのゴミ虫どもは巧妙に擬態していやがるんだ。見分けがつかないくらいにね。僕にも見分けはつかない」とは成田の弁だ。「君たちにも見分けはつくかい」と尋ねられれば、二人は黙って首を横に振るのみだ。

 つまりは、そういうことなのだ。

 ジャーナリストは二人の姿にぎょっと身をすくめ、そして脱兎の如く逃げ出そうとした。

 二人はジャーナリストと思しき男の姿を認めると、一切の警告も無しに機械的な動作でグロック18の銃口を男に向けた。

 マガジン一本分の銃弾が一秒とかからず男の肢体に撃ち込まれる。いくつかの弾丸が致命となり、男は何が起きたか理解する間もなく絶命し湿った地面に臥した。

「社会正義も結構だが、身の程をわきまえるのも大切だぞ」

 既に聞こえるはずもないのに、村木は射殺した男に歩み寄り語りかけながらその男の身体をまさぐっていく。財布、携帯電話、ノートやメモの類。この男が身分と今この場で何を見知ったのか、それを示す物を探していく。

「こいつ、フリーランスか……」

 財布の中から名刺を見つけた村木が渋い声を零す。

 どこぞの新聞社なり編集プロダクションなり、何かしらの所属であれば自分たちが所属する組織を通じて恫喝と同然の勧告を入れ、それで済むのだが、このようなフリーランスの手合ともなるとそうはいかない。フリーランス同士の仲間内のネットワークからその中の一人の消息が絶たれたり異変があれば、直ぐ様別の人間がのこのことやってくる。そのためか彼らの組織内の上層部ではゴキブリなどと侮蔑されていた。一匹見かけたら三十匹はいるということだ。潰せば潰すほど湧いて出てくる。これからも続々とやってくることだろう。面倒なことこの上ない。だからこそ、そのために村木と恭矢の二人のような存在が用意されているのだが。

「片付けるぞ」

 恭矢は寝袋に似た大きな袋、遺体袋を手に取りジャーナリストだったそれの元へと歩み寄ると、手早く遺体をその中へ詰め込んだ。

 中身の入った遺体袋を肩で担ぐと、それを所定の場所へと置いた。一定の周期で先ほどのワゴンが見回りがてらに遺体袋を回収していくのだ。

 恭矢は足元に置いた遺体袋にじっと視線を落とした。果たしてこの男は、何を目的として真実などというものを暴こうとこの場へやってきたのだろうか。

 新聞を斜め読みしかしない恭矢でも、論調が右だろうが左だろうが結局は そこにジャーナリズムなどという崇高なものは全く存在しないことは感じ取れている。いや、例え存在したとしても、存在することを許されない。真実という概念はいつだって誰かにとって都合の良いものでなければいけないのだから。

 ネット上では最早老害のメディア、マスゴミなどと揶揄されている所以には少なからずとも納得するものはある。だからといって逆にネットに対しても良い印象を持っているわけでもない。酸鼻極まりない不必要なまでの社会正義を騙った個人の吊し上げは見るに耐えないのはどちらも同じだし、絆などという言葉を用い同調圧力を今まで以上に強いる性格が鼻について仕方がない。右か左か、敵を作らずにはいられない連中と思想はあまりに幼稚で知性とはかけ離れた全体主義としか思えなかった。

 もしや今は先の大戦に至るまでの経緯が再現されているのではないだろうか。そんな気分に陥る。恭矢からすれば、はっきり言って、この国は亡国の一途を辿っているようにしか思えなかった。財政難の不景気、そして今回の災害で人の心はささくれ立ち、病み始める。ぶつけ所の無い悲哀と不安、怒りは国外近隣へと逸らされ、あるいは国内の弱者へと向けられる。余裕の無さが憎悪をさらに増幅させ、やがてそれは自らに刃を立てることを強いていく。立ち行かなくなったマスコミはやがて過剰な報道へと突き進み、市民を煽る。そこに最早秩序などなく、辿り着く先は国家の暴走だ。

 そしてそれは、三月十一日という日を境に加速していくだろう。

 だが、亡ぶなら亡べ、と恭矢は声に出さず胸の中だけで吐き捨てる。愛する者を追い詰め傷つけたことを許すような空気を、人間を、身勝手な自己責任論を押し付けてくる世界など、亡べばいい。

 二〇一一年三月一一日。

 あの日からこの国は何も変わってはいなかった。

 葛木恭矢はその半月後、姿を消すように退職願を届け出し、そして受理された。

 全ては復讐のために。

 


――きれいはきたない、きたないはきれい

           シェイクスピア「マクベス」三人の魔女

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