特別編「もしも彼女が」

 会談にやってきた社長は若い女性を伴っていた。部下を連れてくるとは聞いていなかった。面識があっただろうかとユートは記憶を探る。

「ああ、申し訳ない。私の娘でね」

 ユートの視線に気づいたのか社長は令嬢を紹介した。真っ赤になって自己紹介する彼女と挨拶を交わし、

「秘書をされているのですか?」

「い、いいえっ」

「それでは仕事の話は退屈でしょう」

 ユートは令嬢の反応を待たずに、控えていた第一秘書を振り返り「ご案内を」と指示を出した。

「えっ、ど、どちらに?」

「カフェが目当てでいらしたんでしょう? ホルーネン星から招いたパティシエのスペシャルケーキ。一般客は休日しか受け入れていませんからね」

 ユートが訳知り顔を装ってドアまでエスコートすると、令嬢は慌てた。

「そうではなく、私は」

「どうぞ、ご遠慮なさらず」

 ユートの後を引き取った第一秘書は、ユート以上に有無を言わせない態度で令嬢を応接室から連れ出した。令嬢をここまで通した第二秘書は彼に叱責されることだろう。

 さて、と振り返ると、社長は苦笑いをしていた。

「面倒かけてすまないね。どうも娘の頼みは断れなくて」

 ここで憤慨したりさらに娘を売りこんでくるようなら、父親にも早々に帰ってもらうつもりだったが。

 ユートは気持ちを切り替えて、席を勧める。

「私は無理だと言ったんだよ」

 これから仕事の話だと思ったのはユートだけだったようで、社長は続けた。

「君は『SOFの聖女』に執心だそうじゃないか」

 娘をダシにゴシップの真偽を確認しにきたのか。

 ユートはため息を飲み込んだ。

 一方で胸には一人の女性の笑顔が浮かぶ。『SOFの聖女』ことマリエだ。

 SOFは電子機器を止めてしまう体質、またはその体質を持つ人を指す。電子機器はあらゆるところにあり、止まってしまうと大惨事を引き起こす。そのため、SOFは保護施設に隔離されることになっていた。

 ユートが関わった事件にマリエも巻き込まれ、二人は出会った。マリエのSOFのおかげで事件が解決したため、素性が公開されていないマリエをメディアが『SOFの聖女』と書いたのだ。

 社長の言ったとおり、ユートはマリエに魅かれている。気持ちを伝えたが、結果は芳しくなかった。

 いや、保留だ。保留。

 ユートは内心で首を振る。

 万全に整えて再度申し込むつもりである。まだこれからだ。

 SOFであること、保護施設から出られないことがマリエの心を重くしているようだった。

 マリエには決して言えないが、ユートはたびたび考えてしまう。

 もしマリエがSOFじゃなかったら……?


 ――出会いはこうだ。

 ユートはマリエの父親のシライ博士を迎えてロボット事業を始める。打ち合わせに訪れたシライ博士は、マリエを伴って……こないだろう。シライ博士はそういう人ではない。悲しいことに、マリエがユートに会いたいと父親にねだるとも思えない。

 それならば、シライ博士が勤めていた大学の研究室にユートが出向く。マリエのために辞めたのだから、マリエがSOFでないならシライ博士は大学に残っているはずだ。

 ――博士と打ち合わせていると、研究室のドアがノックされる。

「お父さん、いますか?」

 マリエの明るい声が聞こえるが、パーテーションで仕切られていてユートからは全く見えない。

「今、来客中なんだ」

 対応している男は助手か事務員か。

「それじゃあ、これ、忘れ物だって渡してください」

「あ、待って、マリエちゃん。時間あったら、新しく大学内にできたカフェに行かない?」

 おい、待て。お前は誰だ。

「カフェですか?」

「ホルーネン星の有名パティシエのケーキが食べられるって人気なんだ」

 何を言ってる? それは俺の会社の話だ。

「わぁ、本当ですか?」

 ドアがぱたんと閉ま……ってはダメだ。何の意味もない。妄想ですらままならないのか。

 こうなったら、ユートがマリエに会いに行くしかない。シライ博士は学生を家に招くことがあったと聞いた。仕事を越えて親しくなれたらユートだって。

 ここまで考えてから、ユートはふと気づく。

 マリエに会うために保護施設を頻繁に訪れている今と何が違うのだろうか。

 どんな『もしも』でも、結果はきっと変わらないのだろう。


 唇に微笑を載せると、社長は身を乗り出した。

「おお、君もそう思うかね。やはり、D四星域の市場はこれから……」

 ユートは会談中であったのを思い出し、姿勢を正す。ほとんど話を聞いていなかった。

 しかし、社長がティーカップを手に取るのを見て、頭の中はすぐにマリエに戻ってしまう。

 次は茶葉を差し入れしよう。そしてあわよくばマリエに紅茶を淹れてもらえたら、などと考え始めたユートは、結局最後までまともに話を聞いていなかったのだった。


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本編の第三章の冒頭くらいの時期の話です。

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