番外編(後日談)6 薄闇の紅

「チヅルさん? どこ行くの?」

 非常口の前で、マリエに声をかけられた。

 振り返ると父に手を引かれた。

「チヅル、どうした?」

 そのまま引きずれられるように外に出る。

「ここは私に任せてください」

 チヅルの護衛についていた男が、マリエの護衛を押さえる。彼がなぜそんなことをしたのかわからない。

「え、ちょっ! チヅルさん!」

 もみ合う護衛二人の横をすり抜け、マリエも外に出た。ばさりと大きな羽音がする。

 手を引く初老の男を見る。――四歳のときを最後に二十六年会っていない父親。彼がそう名乗った。チヅルは父の顔を覚えていなかった。

 非常ドアを出たところで足を止めると、強く手を引かれ歩かされる。

「チヅルちゃん」

 前方から懐かしい声が聞こえた。心臓が音を立てる。

「ママ……?」

「ええ。そうよ。私のお人形」

 そう言って『ママ』は微笑んだ。

 息が苦しい。足から力が抜ける。

 SOF範囲が規定を越えて、眠らされる予感がした。

 そのとき、ふいに右手に温かさを感じた。

「チヅルさん!」

 マリエだ。

 彼女のガーディアンを確認する。ポチと名付けられたシロフクロウはマリエの上を旋回している。

 自分のガーディアンはもう落ちかけている。

 チヅルはマリエの手を掴んで引き寄せた。

 チヅルとマリエを、父と『ママ』の他に黒い人影が取り囲んでいた。

 迎えにきた『ママ』に連れて行かれるんだ。マリエも逃れられそうにない。それなら、ポチを逃がさなきゃ。

 ガーディアンの赤い小鳥の名前はハナだ。でもチヅル以外誰も知らない。『ママ』が禁止したから、心の中でしか呼んだことがない。

 落ちてきたハナは、チヅルとマリエを眠らせる。ポチはマリエが眠っていても彼女を見失うことはないだろう。

 意識を手放す寸前、チヅルは何かをぎゅっと握りしめた。


***


 鳥かごでレースを編んでいると、ナナカがやってきた。夏に初めて来てから、ナナカは頻繁に来るようになった。ただ、人が多いときは不機嫌に大声を出してすぐに帰っていく。

「何あれ、取材?」

 ナナカは今日は帰らずにチヅルの向かいに座った。このテーブルセットはいつもより端に動かされている。

 鳥かごの中央では、もう一つのテーブルでマリエが取材を受けていた。記者が一人。彼がカメラマンも兼ねているようで、アナログ式カメラの大きなバッグを足元に置いていた。

 テーブルから少し離れたところにトウドウが控えている。チヅルが来たときにトウドウからもう少しで終わると聞いた。だからチヅルもここに残っているのだ。

「もう少し」

「終わるの? ふうん、じゃ待つか」

 ナナカは頬杖をついて、マリエの方を見ていた。

「マリエさん、お子さんのお話をうかがっても? 流産したそうですが」

 記者の声がこちらにも届いた。

「嘘。いつ? こんなことしてて大丈夫なの?」

 ナナカが小声で聞く。

「去年」

 短く答えると、ナナカは余計に驚いたようだった。

「なんで今さら」

 絶句するマリエを守るようにトウドウが割って入る。

「どこからその話を聞いたんですか?」

「SOF保護機構の本部に伝手があるんですよ。……ということは本当なんですね?」

「……っ」

「マリエさんのことは世界が注目しているんです。お話聞かせてください」

 そこにナナカが走り寄った。

「マリエさん!」

 驚くマリエの顔を胸に抱き込み、そのまま椅子から引き下ろして地面に座った。結果としては、倒れたマリエをナナカが抱き止めたようにも見える。

「ああ、なんてひどい!」

 いつも以上の大声で情感たっぷりにナナカが叫ぶと、トウドウと記者が振り向いた。

「つらいことを思い出させられてショックだったのね!? マリエさん、泣いてもいいのよ?」

 口調まで違うナナカの様子に、マリエは肩を揺らす。チヅルの位置からは笑いをこらえているように見えるけれど、マリエの背中しか見えない記者にはわからないかもしれない。

 呆気にとられていたトウドウがナナカの目配せではっとした顔をして、記者の腕を掴んだ。

「とにかくお帰りください! 後で正式に抗議をさせていただきますから!」

 トウドウに引きずられて、記者は鳥かごから追い出されていく。その間ずっとナナカは「ひどい! サイテー!」と叫び続けていた。

「行った」

 チヅルが近付くと、ナナカは「ふんっ」と鼻を鳴らす。

「レコーダーなんて持ってきて馬鹿じゃないの? 私のSOFで止まったでしょ。電源落ちたらメモリーが消えるタイプだったらざまあみろなんだけど」

「ナナカさん、今の何ですか。私、笑っちゃって」

 先に立ち上がったマリエがナナカの手を引く。

「迫真の演技だよ。見てわからない?」


 チヅルたちが最初に座っていたテーブルに移動してから、ナナカはマリエに聞いた。

「マリエ、あんたも自分で書く?」

 ナナカは施設のサイトの読み物ページを担当しているらしい。施設の日常の様子を書いてほしいと言ったのにいつのまにか書評がメインになっているとトウドウから聞いた。

「あー有名人は大変だねー。つらいことも全部報告しなきゃならないし。前向きにがんばってる風に見せないとならないわけでしょ。弱音吐いたっていいけど、それで励まされたら、今度は期待に応えて元気なところを見せないとならない、とかさ。私には無理」

 ナナカは顔をしかめて大げさにため息を吐く。

「マリエはさ、世間っていう得体のしれない巨大な魔女から呪われてるんだよ。そうじゃなきゃ自分で自分を呪ってる。チヅルの呪いだって解けたんだから、あんたももういいんじゃない?」

 それから、困った顔で笑うマリエに、そっと尋ねた。

「体調は大丈夫なの?」

 チヅルは二人のやりとりをレースを編みながら聞いていた。


***


 久しぶりに会ったカナコ・ハマモトは、カオリ・オオヤマを伴っていた。

 ハマモトはマリエの叔母で、パールハールでオートクチュールのメゾンを経営している。チヅルは編んだレースを彼女の店に卸していた。

 カオリはパールハールの三ツ星レストラン『ミネヤマ』などを経営するグループ企業の幹部だ。マリエのパン工房は『ミネヤマ』の傘下になっていて、マリエのパンは『ミネヤマ』でしか食べられない。この場にはマリエと、パン工房のミドーも同席していた。

 施設からはトウドウとヨシカワ。

 大人数で囲めるテーブルがある調理棟の食堂で、最初はレースの打ち合わせをしていた。マリエたちはマリエたちで、パンの話をしている。そこにマリエのパートナーのユート・ミツバが現れた。

「遅くなってすまない」

「え、ユートさん、どうして?」

 マリエにそう尋ねられたユートはカオリを見る。

「まだ話してないのか?」

 カオリは「あなたを待っていたに決まってるでしょ」と彼を睨んだ。

 マリエから視線を向けられたチヅルは首を振った。自分も知らない。

 皆が一つのテーブルに集まったところでカオリが口を開いた。

「今年の三月でマリエのパン工房『ドン・ラ・カージュ』は五周年だったでしょう? チヅルさんのレースの『ドン・ラ・カージュ』は夏ごろだったかしら。六周年よね?」

 マリエとチヅルはそれぞれにうなずく。二つの工房は同じ名前を冠していた。チヅルの方が半年ほど早く始動したのだ。

「チヅルさんにね、展示のお誘いが来たの」

「わ、すごい! どこで?」

 ハマモトの言葉にマリエが声を弾ませた。

「学術星アカデミアの服飾大学のギャラリーよ」

「アカデミア! すごーい! ね、チヅルさん」

 チヅルはマリエに小さくうなずく。

「展示品はうちで預かっているものや、過去の作品をお客様から借りて、可能ならいくつか新しく作ってちょうだい。あとで相談しましょう」

 今度はハマモトにうなずく。

「それで最初の話に戻るんだけど、作品がパールハールに戻って来たときに『ミツバ・クラシック・ホテル』でパーティをしたらどうかしらって」

「パーティ?」

「ええ。レースの凱旋記念の展示と、二人の工房の五周年と六周年のお祝いね。マリエとチヅルさんも参加するのよ」

「私たちも?」

「ダンスもしよう」

 ユートがマリエの手を取った。

「でも、前のときだって大変だったのに」

 マリエが表情を曇らせる。パン工房設立のときにマリエは施設から出て、パールハールのホテルでパンづくりの実演をした。そのときにトラブルがあったと聞いた。

「大丈夫。ああいうことはもうないと誓う」

「でも……」

 渋るマリエの肩を抱いて、ユートはこちらを振り向いた。

「チヅルさんは? どうだろう?」

 どうだろうとは?

 チヅルは首を傾げた。

「パーティに出たい?」

 向かいに座っていたヨシカワが聞く。

 特に興味は湧かない。

「施設の外に出てみたい?」

 今度はマリエが聞いた。

 チヅルはそっとうなずいた。


***


 通常十歳前後で発露するSOF体質。四歳で発露したチヅルは世界規模で見ても幼い事例だ。パールハールの施設では八歳未満の子どもが保護された記録はなく、幼児教育を担当できる教師はいなかった。そのため臨時で雇われたのが『ママ』――ジェーン・ザイツだった。

 彼女はチヅルに自分のことを『ママ』と呼ばせた。

「どうして笑うの? ママは笑わないチヅルちゃんが好きなのに」

 チヅルが感情を表に出すと、ザイツはひどく悲しそうな目でチヅルを見た。

「ママを傷つけてチヅルちゃんは楽しいの? そんなことばかりじゃ、ママはチヅルちゃんのこと嫌いになってしまうかもしれないわ」

 ザイツはときどきチヅルに冷たい目を向けた。

『ママ』に見放されたら生きていけない。言う通りにしなくては。

 チヅルは必死だった。

 保護されてから三ヶ月は毎月面会に来てくれた両親も来なくなった。

 チヅルには『ママ』しかいないのだ。

 感情を出さないように。何も思わないように。声を出さないように。

 ザイツの言いつけ通りにできるまで数年かかった。

 そのころには、ザイツはチヅルのことを『私のお人形』と呼ぶようになった。


***


 眩しさで目が覚めた。ゆっくりとまぶたを開くと見慣れない天井。白に金色で植物文様が飾られた格子状の豪華な天井に、馴染みのある睡眠ガス発射装置の噴出孔がある。

 手を動かそうとすると、強く握られた。

「チヅルさん!」

 マリエの声だ。

 それでチヅルは思い出す。

 パールハールのホテルで開かれた『ドン・ラ・カージュ』のパーティ。無事に閉会となりホテル内を移動していたら、父親を名乗る男に声をかけられた。――施設に禁止され会うことができなかった。そんなひどいところは出て一緒に暮らそう。

 確かザイツが迎えに来たのではなかっただろうか。眠らされて。マリエと一緒に……。それならここはザイツの家だろうか。

 そう考えたとき、別の声がかけられた。

「大丈夫? 気分は悪くない?」

 ヨシカワだ。彼がザイツの仲間なわけがない。

 チヅルは首を振る。体を起こそうとするとマリエが手伝ってくれた。

「私の方が睡眠ガスの影響が少なかったから、すぐに目覚めたの」

 マリエがチヅルの手を離すと、自分が何かを掴んでいることに気づいた。

「ハナ」

 ガーディアンの赤い小鳥だ。いつも頭上を飛んでいるから触れたのは初めてだ。

「ハナって名前? かわいい」

 マリエが微笑む。

「チヅル。君を囮にして申し訳ない」

 ヨシカワが頭を下げる。チヅルは首を傾げた。状況がよくわからないのだ。

「あの人」

 何て呼んだらいいか迷ってそれだけ口にすると、トウドウが察して答えてくれた。

「ザイツさん? 彼女は警察で取り調べを受けているわ」

「お父さんは」

「あなたのお父さんも取り調べを受けているわ。ザイツさんにそそのかされたらしいの」

「本当に?」

「ええ」

 うなずくトウドウにチヅルは首を振った。

「ほんもの? お父さん?」

「ええ。そうよ。あなたのお父さん」

 トウドウは痛ましげに眉を寄せた。

「ザイツさんは、施設にあなたのご両親の面会拒否申請を出していたの。あなたによくない影響があるからって。そして、ご両親には施設の方針で面会禁止になったけれど、自分がチヅルの様子を知らせるから、と伝えた。だから、ご両親は面会に来なくなってしまったの。ザイツさんの言葉を確かめに直接施設に来てくれたり、セントラルの保護センターに問い合わせてくれたらよかったんだけれど……」

 この話がどこに繋がるのかわからないけれど、チヅルは少しだけうなずいた。

「ザイツさんがあなたに、必要以上に感情を押し込めるように言っていたことに気づかなくてごめんなさい。SOF体質を抑えるためにあなたが自分で選んでそうしているのだと、皆勝手に思っていたの」

 トウドウは目を伏せた。

「ザイツさんが契約期間終了でやめたとき、ナナカが言ったのよ。あの人は魔女だから追い出されたんでしょって。人を人形にする呪いをかける魔女だって。呪いがかからないからナナカのことは嫌っていて、個室に来てもずっと無視されていたそうよ。――誰も気づかなかったの。本当にごめんなさい」

 トウドウと、そのころはまだ施設にいなかったヨシカワも頭を下げた。

 チヅルはトウドウの腕に手を伸ばした。そっと触れると、トウドウは顔を上げる。チヅルは首を振った。もう謝らなくていい。

「すぐに調べたんだけれど証拠はなくて、あなたに尋ねるのは良くないかもしれないから、ひとまず施設のブラックリストに載せて面会も見学もできないようにして、保護センターや他の施設にも再就職できないように登録したの。宇宙港の出入りがあったときは施設に通知されるようにもしていたわ。でもずっと何もなかったの」

 退職間際のザイツはチヅルを見て、小さいころは良かったのにとため息をついていた。

「パーティが決まったあと、ザイツさんが面会を求めてきたわ。もちろん施設は断った。でも心配で、パーティ参加は取りやめたほうがいいんじゃないかって話し合ったの」

 それなのに、とトウドウはヨシカワに目を向ける。

「僕が押し切ったんだよ」

 ヨシカワはチヅルを見つめた。

「何もなければいい。でも何か仕掛けてくるなら、証拠を揃えて彼女を退けられる絶好の機会だってね。どこかでやらないと、これから先ずっと外に出ることができないだろう?」

 ヨシカワは静かに笑った。

「君からママを奪って、ごめんね」

 チヅルは首を振った。


***


「あなたに嫌われたとしてもあなたを守る覚悟が、ヨシカワ先生にはあるんでしょうね。……僕には真似できない」

 あとでユートがチヅルに耳打ちしたことだ。

 チヅルとマリエが眠らされたときにはもう勝敗は決していたそうだ。周りを取り囲んでいた人影は全員ユートの配下だった。チヅルの護衛もザイツに協力するフリをしていたらしい。

 ユートは、マリエから嫌われることなく守りきる力があるのだ。


 パーティの片付けが終わった大広間から、特別に中庭に出してもらった。

 深夜。いつもならもうとっくに消灯時間だ。

 マリエと手を繋いでいるならハナはそのままでかまわないと言われて、チヅルはガーディアンの小鳥を抱いていた。マリエのポチは二人分の大きさの円を描いて旋回している。

 大広間の照明は落とされている。ドームの照明も消えているけれど、中庭には常夜灯が点々と柔らかいオレンジの光を添えていた。遠くが薄明るいのは道路の街灯や車、ビルの灯りなのだそうだ。施設の夜は真っ暗なのに、都市の夜はこんなにも違う。

 パーティのために作ったドレスをもう一度着付けてもらった。髪も綺麗にセットされている。大きな鏡で見た自分は知らない大人の女だった。

 ユートがマリエの隣に並ぶのを見て、チヅルはハナをヨシカワに差し出した。

 彼は無言で受け取って電源を入れてくれる。

 ハナが飛び立つと、チヅルはマリエの手を離した。

「チヅルさん?」

「二人で踊ったらいい」

 そう言うとマリエは「ありがとう」と微笑んだ。

 ナナカは、チヅルの呪いは解けたと言った。彼女にはそう見えたのだろうか。

 本当にそうなのだろうか。

 マリエとユートは大広間でダンスをしている。二人の上をシロフクロウがくるくると飛ぶ。

 チヅルはハナを見上げる。遠くの光を受けて翼がきらりと輝く。

 手を引かれて振り返るとヨシカワがいた。

「どうしたの」

 そう聞いたのは彼が泣きそうに見えたから。




終わり

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