番外編(後日談)5 黎明の紺
唐突に目が覚めた。
視界は暗い。
頭を巡らし窓を見ると、カーテンの隙間は薄明るかった。明け方のようだ。
「昨日、どうしたんだっけ?」
自問した声は掠れていた。
「ああ、そっか」
また、睡眠ガスで眠らされたのだ。
ナナカ・エガミはSOFだ。
十二歳のときに発露して、パールハールのSOF保護施設に保護された。今年で二十年。
SOFは電子機器を止めてしまう体質、そしてその体質を持つ人のことを指す。それは感情が影響していて、良い方向でも悪い方向でも感情が大きく動くと効果範囲が広くなる。眠っている間は、直接触れなければほとんど効果を発揮しないため、何かあるとSOFは眠らされるのだ。個室の天井には睡眠ガス発射装置があり、個室から出るときは睡眠ガスを発射できる『ガーディアン』と呼ばれる鳥型のロボットがつけられていた。
ナナカのSOF発露は学校にいたときだった。
授業中、空調が止まり、灯りが消えた。クラスの全員がすぐさま睡眠薬を飲まされてチェックを受けたところ、SOFは自分だったのだ。ナナカは眠ったまま施設に保護された。クラスメイトがナナカのことをどう思ったのかわからない。一ヶ月後くらいに寄せ書きの色紙が届いた。『がんばって』『元気でね』――一度目を通しただけで実家に送ってもらった。
両親は施設まで付き添ってくれたけれど、母親は気休めにもならない励ましを繰り返すし、父親は不機嫌を隠そうともしない。三回面会した後、もう来なくていいから代わりに本を送ってほしいと持ちかけ、もう十九年は会っていない。本に添えられているから手紙のやりとりだけは続いている。もっともナナカからは本のリクエストしか返していないけれど。
ナナカはベッドから降り、カーテンと窓を開ける。
室内の籠った空気が外気にさらわれる。ドームの空調から送られる風が気持ちいい。
この星のドームは四季がある。今は夏だ。
手巻きの置き時計が正しい時を刻んでいるなら、午前四時半。もう少しずつ灯りが点き始めている。
「空ってどんなだろう」
実家から届く本のほか、印刷や製紙や出版関連の団体から施設に寄付される本もあり、ナナカはほとんど毎日読書をしている。
本なんて普通は流通していない。両親は、印刷した紙を紐で綴じて送ってくれる。それは厳密には本と言えないかもしれない。でも寄付された方は正しく本だ。糸で綴じて、重厚な表紙をつけ、SOF保護施設に寄付するために特別に作られている。
長い話ほど、厚くて重い。場所も取る。電子端末で読んでいたころにはわからなかったことだ。
寄付される本には、文書館に登録されているような千年以上前に書かれた物語もある。宇宙に移民が始まる前の話。そんな物語にはよく空が描かれていた。
この星ディーランサは、全土でドーム式だ。もちろんそうではない星もあるけれど、ナナカは行ったことがない。
物語から想像する夜明けと、施設のドームの夜明けは似ている気がする。
わずかな灯りの中、木々のシルエットが浮かぶ。黒い色水が徐々に薄まっていくように、透明になって、色がついていく。
まだドームの天井までは見えないから、ナナカはいつも想像する。この灯りは明け方に居座る星々だ。
朝はどこまでも静かだった。
しばらく見ていたナナカは、遠くに鳥かごの骨組みが見えたところで、顔をしかめた。窓を閉めてベッドに戻る。
誰かが――昨夜眠らされたナナカを見に来たメイ・トウドウだろう――綺麗にたたんでくれたカーディガンを見付け、ナナカは雑に羽織った。山に積まれたクッションを押しつぶして、枕元から本を選ぶ。これを読むのは五回目だ。
***
チヅル・コノミに会ったのは偶然だった。
ナナカが施設に入ってすぐのころ。
廊下の曲がり角でぶつかったのだ。
ナナカは図書室の帰りで一人だった。チヅルは当時施設の教師をしていたジェーン・ザイツと一緒だった。
「わっ!」
勢いよくぶつかったナナカは、声を上げた。抱えていた本が落ちる。
二人のSOFのガーディアンが羽ばたいた。
ナナカとは対照的にチヅルは無表情だった。
自分より年下の少女は、等身大の人形のように見えた。
ぞっとした。
ぶつかった驚きよりもチヅルのせいで、ナナカのSOF範囲は規定を越えた。
気づいたザイツがチヅルの腕を引いて下がらせた。
「あ」
吐息と変わらない微かな声。顔を上げると目が合った。チヅルは一度だけ瞬きをした。
睡眠ガスを降らせながら、ナナカのガーディアンが落ちてくる。何でもいいというからカササギにした。他のSOFは小鳥だと知ったのはしばらく後だ。
チヅルのガーディアンの赤い小鳥は落ちてはこなかった。
ナナカはチヅルのようにはなりたくないと思った。
別に眠らされてもいい。そのせいで個室の外に出られなくても全く構わない。
感情を押し込めるなんて嫌だ。
それは二十年経っても変わらなかった。
今日は見学日らしい。
いつもと違い、外が騒がしい。落ち着かない空気にいらいらする。
だから、ナナカは窓を開けて力いっぱい叫んだ。
「うるさーい!!!」
それで睡眠ガスが降ってきて、ナナカは今日も眠るのだ。
***
教師とカウンセラーを兼任しているトウドウを呼び出したら、医師のタダヒロ・ヨシカワも一緒に来た。
ヨシカワはナナカの部屋を見渡し、「相変わらず散らかってるねぇ」と肩をすくめた。
「普通でしょ」
本と紙束が大量に積んであるのは確かだけれど。まあ、服も散乱しているかもしれない。
「いや、君の部屋が一番生活感があるよ」
「そりゃあ生活してるんだから」
ナナカは手近にあった小さなクッションをヨシカワに投げつける。
ヨシカワは着任時ずいぶん若かった。ナナカよりいくつか年上なだけだと思う。きっと優秀なんだろう。でもそんな雰囲気は全くしないし、医療面で世話になることも少ないせいで、ナナカは気安く接していた。彼もそれを咎めなかった。
「センセーは何しに来たの?」
「診察だよ」
「あー、火曜日か」
週に一度の定期検診だ。
丁寧に本を除けてから机に道具を並べるヨシカワから体温計を受け取りながら、ナナカはトウドウを振り返る。
「ね、トウドウさん。相談があるんだけど」
「どうしたの? 珍しいわね」
「うん。あのさ、別の施設に移れないかなと思って」
思い切って口にすると、トウドウよりもヨシカワが「えっ!」と声を上げた。
「君がときどき癇癪起こしてるのは知ってるけど、それでもここ気に入ってるんだと思ってたよ」
「まあねー」
暮らしにくいとまでは言わないけど。
「でも、前の方が良かった」
「それは、申し訳ない」
「センセーのせいなの?」
笑って右腕を差し出すと、ヨシカワは何か言いかけて、結局黙って血圧を測り始めた。
トウドウがナナカの前に膝をつく。
「居住棟にはもう見学者を近寄らせないようにするわ」
「近寄らなきゃいいってものじゃなくてさ。なんか、見世物になってるところに暮らしてるってのが嫌なわけ。自分がSOFだから仕方ないってのはわかってるし、他に移ったって施設は施設だって理解してるけど。ああこんな風に思われてるのかって記事読むたびにがっかりしたりいらいらしたりさ。すごく疲れる」
うまくまとまらないナナカの話を、トウドウは静かに聞いていた。
「ナナカは、外の人が書いたものを読んでいたのね……」
「親が送ってくる中に入ってんの。ニュース記事とかノンフィクション小説とか。マリエのシンデレラストーリーも読んだよ」
読まなければいいのだけれど、どうしても読んでしまう。
「SOFってだけで人生終わったみたいな、さ。あれ、なんなの?」
「君は同情も武器にしそうだと思ってたけれど」
ヨシカワがいつもの調子で茶化す。
「自分で言うのと人から言われるのは別」
「ああ、なるほど」
「それなら、自分で発信したらいいんじゃないかしら?」
「え?」
トウドウが弾んだ声で、手を叩く。
「取材はいろいろ大変なのよ。取り上げたいところしか取り上げてもらえなかったり、誤解されそうな書き方をされたり。施設のサイトには職員が交代で書いている読み物ページがあるけれど、片手間だからどうしてもね……。ナナカが施設の生活の実情を書いてくれたら、うれしいわ」
「え? 私が?」
ナナカは戸惑う。
「待って。ていうか、そもそも施設を移りたいって話をしてたんだけど」
トウドウはわざと聞こえなかったふりをして押し切る。
「とりあえず一度鳥かごに行ってみましょう」
「嫌! それは絶対嫌!」
鳥かごは、正式には『共用屋外休憩室』だ。その中では個室のようにガーディアンなしで過ごせる。
設置当初やそれ以降もトウドウは何度もナナカを誘ったけれど、ナナカは頑として拒否していた。
「私、皆と交流なんてしたくない。仲良くもない人と一緒にお茶を飲んで、聞きたくもない話聞いたりなんて、無理。絶対嫌!」
「それ、だいぶ誤解してるよ」
「……知ってる」
呆れたようなヨシカワにナナカはうなずく。設置当初はそう思って拒否していたけれど、最近のマリエやルウコのインタビューで好き勝手に過ごしているのだと知った。
「ね、一度だけでいいから。鳥かごに行ってくれたら施設移動の件を検討するわ」
トウドウに懇願され、ナナカは渋々鳥かごに行くことにした。
***
ナナカは検査で必要があるとき以外は居住棟の外に出ない。個室から出るのは同じ居住棟の中にある図書室に行くときだけ。
ヨシカワからは昔から運動を勧められていたけれど、敷地の散策などもしたことがなく、鳥かごまで歩くのは非常に疲れた。感情を出さないように気負っていたせいもあるかもしれない。
近寄って見ると、柱と柱の間隔は広く、柱も太い。この中に閉じ込めるなら、そうとう大きな鳥だ。
ガーディアンは勝手に止まり木に止まる。自分のカササギの他には、何色かの小鳥と大きなシロフクロウ。――マリエがいるのだ。
入り口のアーチに絡まる薔薇は、緑の葉を茂らせている。トウドウの先導で踏み固められた土の遊歩道をゆっくり歩く。植物なのか土なのか、嗅ぎ慣れない匂いがした。
記事で読んだ通り、畑には野菜が植えられていた。ナナカには何の野菜なのか全くわからない。判別できるのは真っ赤に色づいたトマトくらいだ。
「後で収穫してみたらいいわ」
物珍しそうに見ているのがばれたのか、トウドウがナナカを振り返って微笑んだ。
鳥かごの真ん中で遊歩道が広がって、テーブルとベンチが置いてあった。タープが張られ日陰が作られているのは、いつか何かで読んだキャンプの様子を思い出させた。
ベンチには何人か座っていた。テーブルに広げられた焼き菓子とティーセット。なんだか楽しそうな雰囲気にナナカはひるむ。ヨシカワがこちらに気付いて立ち上がったのを見て、ナナカは、
「誤解じゃないじゃない!」
「今日は君が来るって話してあったからね」
「さあ、座って。ね?」
トウドウが有無を言わさずナナカをベンチに座らせる。
「はじめまして」
目の前の女が声をかける。ナナカは彼女を見て、目を瞠る。写真で見た通りのマリエ・ミツバだ。小説の中の登場人物がそこにいることに感動を覚える。
「はじめまして。……マリエ・ミツバ?」
「はい」
マリエがふんわり微笑むと、今度は彼女の隣の少女が「ルウコ・トワダよ。はじめまして」と身を乗り出した。
政治家の父を持つルウコの物語も、もちろんナナカは読んでいる。
「ナナカ」
隣から小声で呼ばれ、ナナカは振り向く。そして、息を飲んだ。
「チヅル!」
二十年前に一度会ったきりの彼女は、成長はしているけれど、印象が全く変わっていない。しかし。
「あんた、しゃべれるの?! なんで? 私の名前どうして」
「前に会った」
「嘘! 覚えてるの?」
チヅルは無表情のまま、軽くうなずいた。
「動いてる! どうしたの? 呪いが解けたの?」
チヅルは瞬きをして、わずかに首を傾げた。
「ちょっと、あなた、落ち着きなさいよ」
ルウコが割って入る。ナナカは思わず、大きな声を出す。
「うるさい!!」
そして気づいた。これだけ騒いでいるのに、睡眠ガスは降って来ない。
とっさに天井を見上げたナナカに、マリエが「大丈夫」とうなずいた。
「うるさーい!!! あはははっ! ほんとだ! 大丈夫なんだ!」
ナナカは立ち上がって叫ぶ。
「今度は何なの。子どもみたい」
ルウコが呆れたようにため息をつくのに、「大人子どもは相対評価なんだよ」と振り返る。
「大声が出せるなら一度言ってみたかった台詞があるんだ!」
ナナカは仁王立ちする。
大きく息を吸う。
「括目せよっ!」
腹の底から声を出すと、チヅルが確かに驚いているとわかる表情でこちらを見ていた。
その顔を見たらすっきりした。二十年分だ。
「もういい。帰るわ」
ナナカが回れ右をすると、
「待って、ナナカ。どうしたの?」
トウドウが慌てて腕を引く。
「また今度一人の時に来るわ」
「今度?」
「うん。そうする」
大きくうなずくとトウドウはほっとしたように息を吐いて、腕を放す。
「一人がいいなら、話しかけないわよ」
トウドウの代わりにナナカの腕を掴んだのはルウコだ。
「こっちにどうぞ」
皆が囲んでいるのとは別のテーブルにマリエが一人分のティーセットを置く。ルウコにひっぱられて座らされるナナカに、「あきらめなよ」とヨシカワが笑った。
すでにチヅルはこちらを見もしないで何かを編んでいる。彼女がレース作家として活躍しているのも何かの記事で読んだ。
チヅルにもナナカにも構わず、マリエとルウコは野菜の話で盛り上がっている。どさくさで挨拶もしていなかったもう一人の大人しそうな少女が、気を使うような視線をこちらに向けるから軽く手を振った。
本を持って来ればよかったと考えながら、ナナカはベンチの背もたれに寄りかかる。
タープの脇から見上げた、鳥かごの骨組みの上にドームの天井。昼間仕様の眩しい照明。鳥かごで夜を過ごせないだろうか。夜明けを見たい。
ナナカは目を閉じる。遠い昔の物語を思う。
骨組みなんてない。ドームもない。透明な空気の層が、深く深く重なり、色を作る。白を滲ませたような雲。夏の日差し。ときどき吹く風がナナカの髪を揺らす。
想像の中の空はいつも広かった。
終わり
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