番外編(後日談)3 普通の小さな白い鳥

「SOFって言っても特別なことは何もできないんだな。給仕なんて誰でもできるじゃないか」

 木立の向こうから声が聞こえ、モトヤは立ち止まる。建物の裏手に客がいるとは思わなかった。しかも話のネタは自分らしい。

「電子機器が止められるわ」

「それは、『できる』じゃなくて、『してしまう』だろう?」

 男女の忍び笑いは、ひどく耳障りだ。そっと後ずさるモトヤの肩を誰かが叩いた。

「っ!」

 驚きの声を飲み込みながら振り返るとユートだった。この辺りにいるということは支配人に用事があるのだろう。険しい表情で客の二人に近付こうとするユートを、モトヤは腕を引いて止めた。「いいから」と無言で訴えるとユートはしぶしぶ引き下がってくれた。不満げな彼の背を押すように、モトヤもその場を後にする。

 SOFは電子機器を止めてしまう体質、またはその体質を持つ人を指す。体質が効果を及ぼす範囲は、SOFの感情の揺れに呼応していて、正負を問わず大きく気持ちが動いたときほど範囲が広くなる。

 電子機器はあらゆるところにあり、それが止まると大勢の命に関わることもある。そのため、SOFは保護施設に隔離すると決められていた。

 モトヤはSOFだ。十歳のときに体質を発露し、ディーランサ星の四大都市の一つパールハールの保護施設に保護された。保護されてからもう九年になる。パールハールの施設と言っても、都市のドームからは車で一日かかる。何かあって都市の電子機器が止まったら困るからだ。

 SOFが寝ているとき、体質は最小限に抑えられ、直接触れなければ電子機器が止まることはない。だから、SOF範囲が規定を超えるとSOFは睡眠ガスで眠らされる。規定範囲は、状況によって違っていた。SOFに与えられている個室は、天井にセンサーと睡眠ガス発射装置がある。個室から出て施設内を移動する際は、ガーディアンと呼ばれる鳥を模したロボットがSOFの頭上を旋回し、天井の代わりを務めていた。ガーディアンの旋回範囲の方が個室より狭い。

 ここまでは一般的な施設の話だ。

 パールハールの保護施設には『鳥かご』がある。施設で食べる野菜を育てていた広い畑の上に金属の檻を建てて、二重天井の上にセンサー、下に睡眠ガス発射装置を設置して、SOF保護条例をクリアさせた『大きな個室』だ。鳥かごの中ではガーディアンの監視はいらない。個室よりも広いから、よほどじゃなければセンサーに引っかからない。泣くのも笑うのも自由だった。

 それを建てたのが、今モトヤの前を歩くユート・ミツバだった。

 モトヤたちがいる場所は、保護施設のドームに連結して作られたミツバのドームだ。ここにはキツツキ邸というミツバのホテルがある。ミツバ・グループは土地開発から建物の管理運営、観光業などを行う会社で、ディーランサへの移民の際、パールハールの初期開発を担った。今でもパールハールの土地の多くはミツバの所有で、領主や公爵と揶揄されることもある。世界企業なので本社は別だが、ユートはパールハールのミツバの社長令息だった。ホテル部門を任されている。

 本当なら、モトヤはユートと知り合うこともなかっただろう。

 ミツバのドームにはキツツキ邸の他に、フクロウ邸という屋敷があった。こちらは、ユートと彼のパートナーであるマリエの自宅だった。

 ユートはマリエに求婚するため、このドームを建てたそうだ。

 ドームの天井にセンサーがあり、睡眠ガス発射装置のある下天井は森をイメージして植えられた木々の枝にうまく隠されている。平屋の屋敷は室内の天井に発射装置があるが、センサーはドームの天井だ。電子機器の持ち込みは禁止。手動の道具や、物理的に電気回路を繋いだり切ったりして電源を操作する単純な家電が生活道具だ。この中ではガーディアンは不要――ドーム自体が『大きな個室』だった。

 キツツキ邸を作ってホテルにしたのは、ミツバ社との兼ね合いらしい。ミツバのドームに連結して空港を作り、パールハールに新設した空港まで一時間。彼は毎日飛行機で通勤している。

「悪かったな」

 小さな黄色の薔薇が香るアーチ門をくぐり、フクロウ邸の敷地に入ったところでユートは振り返った。

「いいえ、旦那様」

 モトヤはキツツキ邸の従業員だ。キツツキ邸は、ミツバの別荘に宿泊するというコンセプトで運営されているため、従業員はユートを旦那様、マリエを奥様と呼ぶ決まりだった。実際、フクロウ邸にはユートがミツバ本邸から引き抜いてきた執事やメイドがいる。どんな実家だよ、とモトヤは思うのだけど、ルウコの実家もメイドがいるらしく、世界は縦にも広いんだなとため息をついたものだ。

 ユートは「普通で構わない」と軽く首を振る。

「以前からの知り合いだから大丈夫だと思ったんだが」

 キツツキ邸は、立地もさることながら、従業員にSOFがいることもあり、SOFに理解のある客を選んでいた。

 モトヤは口調も態度も崩すと、

「直接言わないだけマシだろ」

 保護施設の見学者の中にはもっとひどい人もいる。

「さっき俺が出て行こうとしたのを、なぜ止めたんだ?」

「あの程度でいちいち抗議してたら、面倒だろ」

「些細なことほど注意すべきだと思うが。それに君が聞いて不快に思ったなら、それはもう些細なことじゃない」

「いや、まあ……うん……」

 モトヤは口ごもってしまった。真っ直ぐな気遣いに返す言葉が出てこない。思わず言い訳のように状況説明をする。

「あれは、ホナミ様が俺をちらちら見るのをコサカイ様が嫉妬して、おもしろがったホナミ様が余計に煽って、っていう」

「ああ、なるほど。コサカイ氏はホナミ氏にベタ惚れらしいな」

 モトヤを何もできないと言ったのがコサカイだ。あのあと、君は何もできなくても特別な存在だとでも続けたんだろうか。

 給仕は誰でもできる。

 まあそうだろうと自分でも思う。

 鳥かごができた当初から親しいSOFのうち、マリエはパン職人、チヅルはレース作家だ。ハルオは以前医師の研究の手伝いをしていたのを見込まれ、四大都市の一つカドランダの保護施設で指導員になった。父の影響で幼いころは政治家を目指していたらしいルウコは施設の広報担当になりつつある。皆なんだかんだで「特別」だった。

 一番の特別が目の前にいる。二十五歳の若さながら堂々とした佇まいは、もう生まれからして自分とは違うのだと思わせる。

「いいよなぁ、あんたは」

 思わず声に出してしまうと、ユートは怪訝な顔をした。腕組みをしてモトヤを見る。モトヤも成長して目線が近付いたけれど、ユートの身長には届かなかった。

「何についてだ? まさかマリエか? 彼女は絶対に譲らんぞ」

「そうじゃなくてさ」

 何かと言えばマリエに結び付けるユートにモトヤは呆れる。彼以上のベタ惚れをモトヤは知らない。

「それに、俺はマリエに恋愛感情はないから」

 モトヤにとってマリエは英雄だった。保護されてからの四年が嘘のように、マリエが来てから生活が変わったのだ。鳥かごや調理棟は全てマリエがもたらしたもののように思っていた。

 ユートがマリエに向ける気持ちとは全く違う。

 だから、ユートとマリエが婚約したときは本当に驚いた。

 二人の婚約よりさらに前――マリエがパン職人になるよりも前に、施設の医師ヨシカワが、マリエは新しいSOF保護施策のきっかけになると言ったことがある。同じころに、ルウコも、マリエが成功したら皆が自由になれると言った。施設の皆がそんな風にマリエを特別視していたのだ。

 そんなマリエを、ユートはただの一人の女性として見ていた。彼はマリエを笑わせたり怒らせたり、鳥かごの外にいるのに手を繋いだりしていた。SOF体質を発露したあとも十八歳まで施設の外で暮らしていたマリエは、他のSOFより感情表現に気を使わない。それを差し引いても、ユートと一緒にいるときのマリエを見ていると、彼女がSOFなのを忘れそうになる。そのくらい二人は自然に過ごしていた。

 ユートには敵わないと思ったのだ。

「まだ若いんだし、お前はこれからだろ」

 何を勘違いしたのか、気遣うようにユートが言った。

「ルウコはどうだ? 年も割と近いし」

「あんた、それ、マリエに聞かれたら怒られるぞ」

「なぜだ?」

 ため息交じりに指摘するとユートは目に見えて慌てた。彼の不用意な発言がときどきマリエを怒らせているのは、キツツキ邸の従業員の間でも、マリエのパン工房や保護施設でも周知のことだった。

「ルウコだって怒るんじゃねぇ?」

「だから、理由はなんだと聞いている」

 ユートは憮然とする。

「あんたは大勢の中からマリエを選んだかもしれないけど、俺らはそもそも選択肢がないんだよ。そんな状況で、他にいないからルウコで、っていうのは失礼だと思う」

「ああ、そうか。そうだな……。悪かった」

「いや、別に俺はいいよ」

 普段は偉そうなのに、あっさり間違いを認めるところも敵わない。

「もしやマリエは、他にいないから俺を選んだんだろうか……」

「は?」

 不安げに突拍子もないこと言いだすユートに、モトヤは大声で笑う。

「馬鹿じゃねぇの。んなわけないじゃん」

 フクロウ邸のアーチ門には、屋敷の名前を『Maison de chouetteメゾン・ド・シュエット』と洒落た書体で刻んだ金属プレートがかかっている。初めてこれを見たとき、マリエとルウコが「C'est chouette!セ・シュエット」と言って笑い合っていた。『C'est chouette!』は『まあ素敵!』ぐらいの意味だ。それにマリエのガーディアンはシロフクロウのロボットだった。森の中の屋敷というのも効いている。

「良い名前だろ?」

 そのときの、どうだ褒めろと言わんばかりのユートの笑顔は、少年のようでおかしかった。

 結局、鳥かごや調理棟も同じことだ。神秘性も運命性も一切ない、マリエに気に入られたいユートの単なるプレゼントだったと今ならわかる。ただ規模が大きすぎるだけなのだ。


***


「君が望むなら私だってドームくらい建てますよ」

「申し訳ありませんが、お断りします」

「そう結論を急がずに、考えてみてください」

 森の小道でルウコが客のヒシダに絡まれているのが見え、モトヤは早足で近付いた。

 SOF保護条例で決められた学習課程を修了したルウコは、施設の広報と同時に、キツツキ邸の従業員になった。農作業担当の見習いをしている。

「ヒシダ様、失礼いたします。旦那様より彼女を呼んでくるように仰せつかりました。よろしいでしょうか?」

 モトヤが声をかけると、ヒシダは掴んでいたルウコの腕を放した。肩をすくめたのは、許諾の意だろう。腹の中はわからないが、表情は笑顔だった。

「ありがとうございます」

 モトヤは丁寧に頭を下げ、ルウコを促す。つなぎの作業着の上に重ねたエプロンの裾を軽く持ち上げ、ルウコは「それでは、ごきげんよう」と挨拶した。

 ヒシダから十分に離れたところまで来て、モトヤは立ち止まる。

「お前、ごきげんようって何だよ」

「おかしかったかしら?」

 いっそルウコはユートの妹という設定にしたらぴったりなんじゃないだろうか。農作業を手伝うちょっと変わった公爵令嬢の役だ。

 首を傾げるルウコに、「それはともかく」と先ほどの状況を聞き出す。

「求婚されたの。結婚してミルガーヌーグのSOF保護施設に来ないかって」

 ルウコは嫌悪感を隠さずに吐き捨てた。

 ディーランサ星の四大都市の一つミルガーヌーグを開拓した企業がヒシダだ。その三十二歳の若社長ジェイ・ヒシダが、今日のキツツキ邸の客だった。

 四大都市をそれぞれ開拓した四大企業はどれも世襲の同族企業だった。そのうち、ユートとジェイは年が近い。話の端々でジェイがユートをライバル視しているのが見て取れた。しかし、おそらくユートは歯牙にもかけていないだろう。

「私まだ十五なんだけれど……。あの人、知っているのかしら」

「広めるなよ」

「わかってるわ。ヒシダのスキャンダルはディーランサ全体に影響しかねないものね」

 ルウコもうなずいた。

「そういう趣味があるわけでも、私に好意を持っているわけでもなさそうだったわ」

「あれだろ、ユートの真似をしたいか、お前の親と縁続きになりたいか」

「そうね」

 ルウコは自嘲を浮かべた。

「あとは、飛べない小鳥を飼いたいか、ね」

「お前、もしかしてユートのこともそんな風に思ってんのか?」

 今でも『ユート様』と呼び、一時期は王子様と慕っていたから驚く。

「まさか! 思っていないわよ」

 ルウコは「何を言ってるの」とモトヤを冷たく睨む。

「ユート様は、どんどんマリエの行動範囲を広げてくれてるじゃない。個室より鳥かご。鳥かごから調理棟。そしてフクロウ邸」

「今のところ職場と自宅の往復だけど、そのうち星まるごと買いそうで怖えよな」

「あら、私はもう計画してると思うわよ」

 ルウコはふふふっと笑ってから、一転顔をしかめる。

「ユート様はマリエの行動範囲に自分から入ってきて、マリエの生活に寄り添ってくれてるけれど、あの人は違うわね。自分の手の届くところに私を置いておきたいだけ」

「ユート様は王子様だしなぁ」

「ヒシダ様じゃ太刀打ちできないわね」

 二人で顔を見合わせて笑った。

「今日はもう帰れよ。ヒシダ様の件は俺から支配人に報告しておくわ」

「ヒシダ様、いつまでいるの?」

「あさってだな」

「明日のじゃがいもの収穫、一日待ってもらえないかってコバヤシさんに聞いてくれない?」

 コバヤシは農作業担当の主任だ。

「了解」

 歩きながら保護施設との連結部分の扉の前まで来る。広い開口部を覆う金属扉の真ん中に、人一人が通れるほどの小さな扉がある。ここが普段の出入り口で、アンティークの雑貨のような鍵で開いた。

 連結部分のトンネルに入ると、止まり木で待機していたガーディアンがすぐさま飛んでくる。

 トンネル内部はガーディアンの旋回を妨げないくらい広いけれど、できるだけ中央を歩くようにしている。扉を含めたドームの端付近に来るときは、SOFは皆、感情のコントロールに気を使っていた。

 ルウコのガーディアンは青い小鳥だった。モトヤは白い小鳥。実在の鳥を模したものではない。デザインが全く同じなのは、二人とも見せられたカタログのサンプルから適当に選んだからだ。青い鳥は例1、白い鳥は例2。例3はなぜかメジロだった。鳥かごで初めてルウコと顔を合わせたとき、その話題で盛り上がったのを覚えている。

 サンプルの最初が青い鳥だなんて、カタログを作ったのはきっとユートみたいなやつだろう。想像したら笑いそうになった。この話をしたら、マリエもルウコもうなずいてくれると思う。

 モトヤは短いトンネルを抜けて、ルウコを保護施設のドームまで送った。

「それじゃあな」

「ええ、よろしくね」

 歩き出しかけたルウコが、ふと振り返る。

「私には無理だけど、あなたは使用人の素質があると思うわ」

「それ褒めてんのか」

「ユート様も褒めてたわよ。このままずっと勤めるなら支配人にすることも考えるって」

 ユート本人からはそんな気配はみじんも感じられなかったから、モトヤは驚く。ルウコが誇張しているだけかもしれないと思い直し、話半分に聞き流そうと努力しても、にやけそうになってしまう。

 消去法で選んだ仕事だったのに、認められるとこんなにうれしいのか。

「さっきは助けてくれてありがとう」

 身を翻す寸前にそれだけ言って、ルウコは走っていく。

 モトヤは今度こそ頬を緩ませてしまい、慌てて、感情を閉じる。危ない。ここは鳥かごの外だった。


***


 休日に鳥かごに行くと、ハルオがいた。カドランダの保護施設に移って以来だから、一年近く会っていない。

「おっさん、久しぶりだな」

「お、モトヤか」

 彼は紅茶を片手に何かの書類を読んでいた。ハルオは四十一歳。十二歳で保護されてから二十九年を施設で過ごしている。マリエが来るまでの四年間はモトヤにとって暗黒時代だった。それが二十四年続いたハルオはどんな気持ちなのだろうといつも思う。

「いつ帰ってきたんだ?」

「昨日だよ。どちらにしても寝てるだけだけど、飛行機は速くていいね」

 モトヤは向かいのベンチに座り、持ってきたティーセットを並べる。紅茶の淹れ方はキツツキ邸で教わった。

「モトヤの紅茶、私にも分けてくれないかな」

「いいぜ」

 空になったカップを受け取り、お湯を注いで温める。モトヤの手元を見ながら、ハルオは教えてくれた。

「ヨシカワ先生の前任の医師の研究に私が協力していたって話したかな。その研究を私とヨシカワ先生で続けてたんだよ」

「へえ。知らなかった」

「明日、先生が学会で発表するんだが、私も共同研究者にしてくれたんだ。それを測定室から見ることになってる」

「見るだけかよ。おっさんも発表すりゃいいじゃん。測定室は配信もできるだろ」

「挨拶はすることになってるよ。発表なんてしたら緊張ですぐランプが消えるだろうね」

 ハルオは少し浮かれているのか陽気に笑った。

「録画してもらって、俺もあとで見るわ」

 モトヤは話しながら、カップのお湯を捨て紅茶を注ぎ、ハルオの前に出した。

「仕事は?」

「ああ、がんばってるよ。社会人って意味なら君の方が先輩だな」

「確かに」

 モトヤがキツツキ邸に就職したのは二年前だ。

 他の皆のようにやりたいこともなく、できることもなかった。働くなら、マリエのパン工房か、保護施設か、キツツキ邸のどれかだ。もちろん働かないという選択肢もあった。一番体を動かせると思ったからキツツキ邸を選んだだけだ。

 キツツキ邸は、というよりミツバ・グループはそう簡単に就職できる会社ではない。社会貢献活動の一環で設けられたSOF枠で採用された。落ちた人の中には、自分よりもっと切実にキツツキ邸で働きたいと思っていた人もいたに違いない。モトヤが仕事に真剣に取り組んできたのは、後ろめたさをごまかすためだったかもしれない。

 自分の考えにふけりそうになるモトヤに気づかず、ハルオは続けた。

「先日、貯まった給料で親にプレゼントしたんだ。カドランダの職員に頼んで、オンラインで注文して送ったんだが、ものすごく喜ばれてね。初任給で親に贈り物って聞いたことあるかい? 私も保護される前にどこかで見聞きしたことだったんだけど、それが自分もできるなんて思わなかったよ」

 ハルオは興奮気味に話してから、一度言葉を切った。

「普通のことが普通にできるなんて、今までは考えられなかったなぁ」

「そうだな」

 そうだった。

 自分には特別なことが何もないと気にしていたけれど、以前は普通のことすらままならない状況だったのだ。

 いつのまにか、普通が当たり前になっていた。

 それは、とてもうれしい発見だった。

「お、モトヤの味だ」

 紅茶を一口飲んだハルオが声を上げた。

「紅茶はやっぱり君が淹れたのが一番おいしいね」

 格別だ、とハルオは嘆息した。

「そりゃあ、どうも」

 そう返した声は、少しだけ震えていた。





終わり

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