番外編(後日談)1 緑、黄、赤

「あなたがSOFだってことには意味があるのよ。あなたなら乗り越えられるって思ったから神様は試練を与えたんだわ。あなたは選ばれたの」

 熱く語る母のレナーテからベルタは視線を逸らす。

 広い測定室の真ん中にベルタが座る椅子があり、数メートル先に母が座る椅子がある。部屋の床にはライトが埋め込まれた小さなパネルが敷き詰められていて、ベルタとレナーテの間のライトだけが点灯していた。ベルタに近い方から緑、黄、赤の順に色分けされているため、電子機器を止めてしまうSOF体質の影響範囲の目安になる。

「SOFだからこそできることがあるはずよ」

 俯いているベルタには構わず、レナーテは話し続けていた。

 マイナスでもプラスでも感情が大きく動くと、SOFの影響範囲は広がってしまう。母との面会が始まって十分も経っていないのに、すでに緑の列のライトは消えていた。

「あなたならSOFとして何かを成し遂げることができるわ。マリエ・ミツバみたいに」

「マリエ・ミツバ……」

 ベルタが小さな声でつぶやくのに合わせて、黄色の列のライトも消えた。それに気付いたレナーテは慌てて立ち上がる。最初の面会時に全部のライトが消えてからも話し続けて睡眠ガスの巻き添えを食ったから、今回は用心しているのだろう。

「ベルタ」

 名前を呼ばれると、赤い列の一番手前のライトが消えた。

「ママはあなたのことを信じているわ」

 あっというまに床のライトは全て消えてしまい、ベルタは眠らされ、母との面会は終わった。


***


「ゆっくり呼吸してね。吸って……吐いて……吸って……」

 吐いて。

 吸って。

 カウンセラーのトウドウの声に合わせて、ベルタは呼吸を繰り返す。

「何も考えないように」

 吐いて。

 吸って。

「難しかったら数を数えたらいいわ。一から十までを何度も何度も」

 ベルタがうなずくと、トウドウはゆっくりと数を数え始めた。

「いーち」

「にぃ」

 ベルタも声を合わせる。

「さーん」

「しぃ」

「ごぉ」

 ベルタが微笑むと、トウドウは首を振った。

 そう、楽しくなったらダメなのだ。


 ベルタがSOFを発露したのは生まれ育った星ウィブフスだった。一度はそこの保護施設に入ったけれど、レナーテの希望でディーランサのパールハールの施設に移ってきたのだ。ウィブフスからディーランサまでは遠く、銀河間長距離転送を五回繰り返しても二ヶ月かかった。もちろん移動の間ベルタはずっと眠らされていたから、レナーテから聞いた話だ。そもそも施設の移転も事後承諾だった。ウィブフスでは一度も面会できなかったし、まだ不安定だったから動揺させないためにベルタは何も知らされなかった。

 ここパールハールのSOF保護施設は特別だ。SOFの聖女と呼ばれるマリエと、彼女のパートナーであるユート・ミツバのおかげで、新しいSOF保護のテストケースとしていろいろな施策が進められている。

 ライトが埋め込まれた測定室もその一環だった。バレーボールのコートが二つは入りそうな部屋は、感情の強さと影響範囲の広がりをSOF本人がわかりやすく実感できるようになっている。

「本当は鳥かごで面会させてあげたいんだけれど、ベルタのことをよく知るためにもしばらくは測定室で我慢してね」

 最初の面会のときトウドウはそう謝ってくれたけれど、ベルタには鳥かごでレナーテとお茶を飲む想像をするのは難しかった。

 測定室の様子を隣のモニター室から観察していたらしいトウドウは、二度目の面会のときに、レナーテと会いたいか会いたくないかベルタに聞いた。そして、会いたいと答えたのはベルタだった。

 レナーテは、SOFに関する文献をたくさん――ベルタにはわからない学術論文からマリエのインタビューまで――印刷して持って来てくれた。レナーテは昔からベルタのためにいろいろしてくれた。それなのにSOFのせいでほとんど無駄になってしまった。このままでは母をがっかりさせてしまうと思った。でもベルタは今何をしたらいいのかわからない。SOF範囲を広げないためのメソッドは毎日訓練しているのに、最初の面会よりもライトが消える時間が短かった。


***


「ルウコちゃんはいつから鳥かごで面会できるようになったの?」

 鳥かごの中にある農園でイチゴの収穫を手伝いながら、ベルタはルウコに聞いた。彼女はベルタより二つ年上の十五歳で、十歳からここにいるらしい。農園の世話が趣味でいつか仕事にしたいと言っていた通り、ベルタが行くといつもルウコは鳥かごにいた。

「え?」

 ルウコは一瞬首を傾げてから、「ああ」とうなずく。

「今は最初は測定室で面会するのよね」

「今はって、前は違ったの?」

「あたしのときはまだ鳥かごも測定室もなかったもの」

「そうなの?」

「そう。マリエが来てから全部変わったの」

「マリエさん……」

 ベルタはまだマリエと会ったことがなかった。マリエは、昼間は施設の敷地内のパン工房で働いているし、夜は隣接するミツバのドームに帰ってしまう。あまり自由に出歩けないベルタとは会う機会がなかった。トウドウに頼めばマリエに会えるのかもしれない。でも、ベルタはそれを躊躇していた。

「ルウコちゃんは誰と会うの?」

「お姉様よ」

 ルウコの言葉遣いは、ベルタとは違う。ベルタはそれを茶化して、気軽に聞いてしまった。

「お母様とお父様は?」

「一度も来たことがないわ」

 内容のわりに明るい声でルウコは答えた。

「どうして? 遠くに住んでるの?」

 ベルタの父はウィブフスに残ったらしい。最初の面会のときに聞いたけれど、レナーテは話したくなさそうだったから、二度目のときは父のことは話題にしていない。

 自分は事情を抱えているのに、他の人もそうかもしれないと考えていなかったことをベルタは恥ずかしく思った。

「確かにそうだけれど、たとえディーランサに住んでたとしても、お父様はあたしに会いにはこないと思うわ。あたしも会いたくないし」

 きっぱりとルウコが言うから、ベルタは驚いた。

「なんで?」

「お父様に会ったら動揺して一ヶ月くらい寝込んでしまうわ」

 ルウコは冗談めかして笑う。

「お父様が面会に来ても会わないつもりよ」

「え? いいの? パパなのに?」

 ベルタがそう聞くと、ルウコは不思議そうにこちらを見た。

「相手が誰でも、会いたくなかったら会わなくていいのよ。当たり前でしょ」


***


 ベルタがマリエに会えたのは、その数日後だった。

 管理棟に近付かなければ敷地内を自由に歩いていいと許可が下りて、ベルタはさっそくあちこち歩いてみた。そうしたら、偶然、マリエのパン工房に行き当たったのだ。

 正面に金属扉があるだけで窓も見当たらない殺風景な建物は、おいしそうな匂いが漂っていなければパン工房だとは思わなかっただろう。匂いに気付いて、ベルタはすぐに足を止めた。SOF範囲の制御に自信がない自分が近付いて何かあっては大変だ。

 しかし、気になって、ベルタは建物に沿って少し離れたところを歩く。保護施設の敷地はかなり広く、木陰が涼しい林や小さな池もある。パン工房の周囲は芝生が敷かれていたから、離れてもよく見えた。

 裏手に回ったとき、人の話し声が聞こえた。見ると、男女が立ち話をしている。男性が女性を「マリエさん」と呼んだから、ベルタは思わず耳を澄ませた。

「マリエさん、ああいうのは命令していいんですよ」

「でも……」

「僕は最初のころ勝手がわからなかったので、マリエさんのできないことを補佐してました。でも、新人の彼らは違うんですよ。マリエさんができないからやるんじゃなくて、仕事だからやるんです。マリエさんがSOFじゃなくても、あれは彼らの担当なんです。わかりますか?」

「ええ」

「せっかく人を増やしたんですから、マリエさんはマリエさんにしかできないことを優先してくださいね」

「わかったわ。これからは気を付ける」

 マリエは何度かうなずいて、ほんのり笑った。

「ありがとう、ミドー君」

 シロフクロウのガーディアンがマリエの上で旋回している。彼女は、外でも笑えるのだ。

 男性が言ったことがベルタの頭を駆け巡る。

 SOFじゃなくても、マリエにしかできないことがある。

 レナーテの言葉を思い出す前に、ベルタは睡眠ガスで倒れた。SOF範囲が広がりすぎてガーディアンのセンサーにひっかかってしまったのだ。音に気付いたマリエとミドーがベルタを介抱してくれたと、後でトウドウが教えてくれた。


***


 ピンク色の蔓薔薇が咲くゲートをくぐって鳥かごに入ると、ベンチに先客がいるのが見えた。マリエと、医師のヨシカワだ。先日のお礼を言わなくてはと思い、ベルタはベンチに近付く。

「だって、怖いの!」

 マリエが大きな声を上げたため、ベルタは立ち止まった。結果、またしても立ち聞きする形になってしまった。

「生まれてきた子がSOFだったらって考えたら……」

「今のところ遺伝はしないとされているよ」

「でも、子どもを産んだSOFはいないでしょ?」

 ベルタは息を飲む。

「そうだね。君が最初だ」

「まだ産んでないわ」

「産みたくない?」

 ヨシカワは優しく聞いた。

「わからない……」

 マリエは絞り出すような声で答えた。

「僕は医者だし、研究者だから、自分勝手なことを平気で考えてしまうけれど、君には君のことしか頭にない人がいるでしょ?」

「ユートさん?」

「とにかく、彼には話をしよう。君が言いにくいのなら僕から伝える。いいね?」

 マリエがうなずくのが見えた。

 ベルタはゆっくりと後ずさる。少し離れてから回れ右をすると、ゲートの前にトウドウが立っていた。


***


 トウドウに連れられて、ベルタはそのまま測定室にやってきた。彼女はマリエとヨシカワの話の内容を知っているようだった。

「測定室は映像が見れるのよ」

 真ん中の椅子に座らされるのはいつもと変わらないけれど、今日は床のライトは点いていない。照明が落ちると前方の壁をスクリーンにして、映像が映し出された。

「マリエが結婚したころにインタビューを受けたの」

 映像の中のマリエは今よりいくらか幼く見えた。隣に座る男性はユートだろう。にこやかとは程遠い印象だ。背景から鳥かごのベンチだとわかった。

『ご結婚おめでとうございます』

『ありがとうございます』

 画面に映っていないインタビュアーが、二人の出会いやプロポーズの言葉などを聞いていく。レナーテが持って来てくれた記事で読んで知っていることが大半だった。それでも当人たちが話すのを見るのはおもしろくはあったけれど、今これをトウドウが自分に見せようとした意図はわからなかった。

「この後は放映されなかったところよ」

 少し飽きてきたベルタにトウドウが注意を促した。

『マリエさんがSOFなのは、ユートさんと出会うためだったのかもしれませんね』

 インタビュアーは次の質問に移るための簡単なまとめのつもりで言ったのだろう。でも、マリエは即座に否定した。

『いいえ。私がSOFなのはちょっと運が悪かっただけです。大げさな意味なんてどこにもありません。仕方ないから受け入れているんです。歓迎なんて絶対にできません』

 毅然と前を向くマリエのぎゅっと固く握りしめた手を、ユートが大きな手で包み込む。

『マリエがSOFであってもなくても、僕たちは出会っていたと思いますよ。運命を持ち出すなら、そちらの方です』

 ユートがマリエを見る表情は打って変わって穏やかだった。マリエは目を閉じて何度か呼吸をして、ユートの手を握り返したときには微笑んでいた。

 それを見て、ベルタもほっと息をついた。

「マリエは聖女なんかじゃないのよ」

 ベルタの隣で一緒に見ていたトウドウがそう言った。

「あなたと変わらないでしょう?」


***


 三度目の面会はトウドウに反対された。「会って言いたいことがあるんです」と頼むと、トウドウは少し考えてから許可してくれた。

「マリエさんに会ったよ」

 測定室の椅子で向かいあって、レナーテが何か言うより先にベルタはそう報告した。

「本当? 素晴らしい方だったでしょう?」

「ううん、普通の人だった」

 あの後、鳥かごできちんと挨拶して話をすることができた。子どもは産むことにしたそうだ。「不安だけれど皆がいてくれるから」と笑っていた。

「そんなことないわよ。あなたにはわからないのよ。まだ子どもだから」

 ベルタは足元のパネルを見る。消えているのは緑のライトの一列目だけだ。

「マリエさんに弟子入りしたらどう?」

「ママは私にパン職人になってほしいの?」

 いつもは何も言わないベルタが問いかけたことにレナーテは驚いたようだった。

「え? いいえ、別にパン職人じゃなくてもいいのよ」

「マリエさんみたいに有名になってほしいの?」

「有名というのはちょっと違うかもしれないけれど、簡単に言うとそうね。SOFとして皆に必要とされる人になってほしいの」

 緑のライトの二列目が消えた。ベルタは、ゆっくり呼吸をする。心の中で、一から数を数え始めた。

「SOFとして?」

「そうよ。SOFなんだからそれを活かさなきゃ」

 緑のライトが全部消える。

「SOFだからできることがあるはずよ。あなたがSOFだってことには意味があるの」

 吸って。吐いて。数を数える。

「だってそうでもなくちゃ、かわいそうじゃない」

 黄色のライトは一息に消えた。

 顔を上げるとレナーテは涙ぐんでいた。

「誰が?」

「もちろんベルタよ」

 レナーテは真摯にベルタを見つめる。

 ベルタは大きくうなずいた。

「ママ、ありがとう」

 赤いライトは手前から順に消えていく。

「でも、ごめんなさい」

 ベルタは最後に笑った。

「私はもうママには会わない」

 睡眠ガスが降ってくる前にベルタは目を閉じた。



終わり

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