第四章 新しい鳥かご(3)

 久しぶりに面会に来たユートに連れられて、マリエは保護施設の敷地の奥の方に向かっていた。今日は日曜でパンづくりは休みだ。落葉樹の林を眺めながら、遊歩道を歩く。鳥かごはもうかなり後ろだった。ドームの天井に設置されたライトで、足元にぼんやりとした影ができている。

 四月になって、ドームの気温も春になった。薄手の上着を羽織っただけですごせる。

 ユートと出会った事件が一年前の三月。父と二人で暮らした八年に比べて、ずいぶんいろいろなことがあった一年だった。

 今日のユートはなぜかトラディショナル・スタイルの一式で固めていて、マリエはますます一年前を思い出した。彼の腕に手を載せてエスコートされて歩いている自分が全くの普段着なので、なかなかシュールな光景だろう。マリエは少しおかしくなって、密かに唇だけで笑った。

「どこまで行くんですか?」

「もう着く」

 言われて前方を見遣ると、ドームの壁に大きな扉があった。ドームを複数繋ぐときに使われるものだ。

「あれ、この先にもドームがあるんですか?」

 マリエはこちらまで来たことがなく、知らなかったのだ。

「作ったんだよ」

「え?」

 マリエは思わず「また?」と聞きそうになった。

 ユートはマリエを促して、開いている扉をくぐる。開口部は五メートル四方はあった。頭上を旋回するポチがぶつかることもない。

 接合部の短い通路を通って、繋がった先のドームに出る。広い敷地に建物は何もなく、工事用の機械や資材があちこちに置かれていた。

「できあがっているのは、ドームと空港だけなんだ」

「空港?」

 大きな星だと都市ごとに空港や宇宙港があるそうだけれど、ディーランサにあるのはセントラルの宇宙港だけだった。

「セントラルの宇宙港から空を飛んで一時間だ。パールハールとセントラルはハイウェイで三時間だから、パールハールからここまで四時間ちょっとだな。今まで一日がかりだったから相当短縮できただろう。隠れ里なんだから一日二日かけて行くのもありかと思ったんだが、社内でかなり反対されたよ。まあ俺の移動を考えたら空港は必須だったんだが」

 満足げにユートが言っていることがよく理解できない。

「隠れ里?」

「そう。このドームを宿泊施設にするんだ。新しいホテルだ。森深くの集落というイメージで、木を植える」

 ユートは話しながら、ドームの中に歩き出した。マリエは黙って彼について行く。

「母屋を一軒と、客が泊まるための離れを一軒。客は一日一組だけ。空港のゲートで電子機器を預かり、中には持ち込めないようにする。畑を作って、農作業を体験してもらう。生け簀で釣りもできる。ちょっとした家畜も飼おうと思っている」

 農作業体験の話は、鳥かごの野菜を売りたいと言ったときにユートが提案したことだった。

 大きな自然岩まで歩いてきて、ユートはマリエを岩に座らせた。自分も隣に腰かけ、帽子を取ってステッキと一緒に脇に置くと、ユートは両手を広げてドームの天井を示す。

「鳥かごの大きなものを作ろうと思う。ほとんどドームと同じ大きさで、センサーを設置した枠を立てる。睡眠ガス発射装置を備えた下天井は、目立たないようにミラー素材を使う。森の設定だからそれほど開けた空間はないし、木の枝でうまくごまかせると思うんだ。母屋は平屋にしてその天井に発射装置を仕込む」

「えっと、それは……SOFをこのホテルで雇ってくれるってことですか?」

「ああ、それも考えている。『M&Sクラフツ』の工場と迷ったんだが、SOF保護施設の人たちは外の人間と関わりを持ちたいだろうと考えて、宿泊施設にしたんだ」

「ありがとうございます。皆喜ぶと思います!」

「いや、皆じゃなくてだな……。宿泊施設はついでだ。そういうことにでもしないと、俺がこっちに住む許可を『ミツバ・グループ』が出してくれなかったんだ」

「ユートさんが住む……?」

 ユートは眉間に皺を寄せて、マリエを見下ろした。

「わからないか? 前に言っただろう? 恋人らしくすごせる方法を考えるって。母屋は俺たちの家になる――君がこの話を受け入れてくれるなら、だが」

「え……」

「空港の方に俺の仕事場を作って、パールハールに出向かなくてはできないこと以外はここで行う。まあパールハールに行ったって四時間で帰って来れるからな。きちんと毎日帰宅できる。パールハールにも空港を作る計画だから、いずれはもっと短縮できる。君だってパンを作っている間は俺と一緒にはいられないんだから、これくらいは許容範囲だろう?」

 目を見開いたまま反応できずにいるマリエに、業を煮やしたようにユートが言った。

「まさか本当に忘れたんじゃないだろうな? 俺は、ずっと一緒にいられる方法を考えると約束したはずだ」

 それはそうだった。

「でも、忘れろって……」

「それは、待つのは嫌だと君が言ったからだ」

 ユートは憮然として言ったあと、マリエの顔を覗き込んで心配そうに聞いた。

「……それで、忘れたのか?」

「忘れてません!」

 マリエは大きな声を出してしまい、ここが鳥かごの中ではないことを思い出して、深呼吸をする。心を落ち着けてから、言い直す。その間ユートは黙って待ってくれていた。

「忘れようとしたけれど無理でした。でも、ユートさんがあまりにも変わらないから、あなたは忘れちゃったんだと思ってたんです」

 披露会でカザマから聞いたカオリとの婚約が間違いだったとわかっても、自分に望みがないのは否定しようがなかった。

 それでいて、ユートへの恋心は消せなかった。諦めて、開き直って、この気持ちと一生付き合っていこうと思っていたところだった。ユートのことを考えて胸が痛んでも、それが当たり前だと平静に受け止められるように、マリエは密かに訓練していた。

「俺が忘れるわけないだろう」

 ユートは短く息を吐いた。

「君は俺の真剣さを全く理解していないようだな……。俺は本気なんだ。軽い気持ちで言ってるんじゃない。いくらミツバでも、そう簡単に新しいホテルを作ったりしない」

 マリエの前で地面に片膝をつくと、小さな箱を掲げた。蓋を開いた中に指輪がある。小指の爪くらいの大きさのダイヤモンドが燦然と輝いていた。

「君が好きだ。一生かけて君を愛す。ずっと一緒にいる」

 真っ直ぐに見つめる切れ長の目が、マリエの心を攫う。

「結婚してほしい」

「……私でいいんですか?」

 衝動のまま受け入れてしまいたいのを振り切って、震える声でマリエは聞いた。悪あがきにしか見えないだろうと自分でも思った。

「君がいいんだ。他はいらない」

 ユートは落ち着いた表情で繰り返した。しかし、声には熱意が籠っていた。

「結婚してくれるか?」

「はい……喜んで」

 いろんな感情が渦巻いて、慌てて気持ちを抑えた。鳥かごで言ってくれたら良かったのにと恨まずにはいられない。

「ありがとう」

 ユートは何か堪えるように目を閉じて、そっとマリエの左手を取って薬指に指輪を嵌めた。どうやって調べたのかサイズがぴったりなのが、いかにもユートらしくてマリエは微かに頬を緩めた。

 彼はそのままマリエの指先に口付けた。敬虔な祈りのようで、でも、肌に触れる吐息は熱かった。

 一瞬で唇を離したユートは、マリエを上目使いで見て、照れたように笑った。今まで見たことがない表情に、マリエの胸がきゅっと縮む。

「断られなくて、良かった……」

 ほっとしたように言うユートに、マリエは見惚れていたのをごまかすために、少し睨むようにする。頬が上気していてちっともごまかせていないことを、マリエは気づいていない。

「私も好きだって言ったじゃないですか。忘れちゃったんですか?」

「まさか! しっかり覚えている。何度も何度も思い出した」

 茶化すでもなく真摯に答えるユートに、マリエは言葉を失う。

「もう一度言ってくれるか?」

 ユートはマリエの手を引いて立たせた。マリエは彼の端正な顔を見上げる。ユートがセンサーの範囲に入ったため、ポチがばさりと羽音を立てた。

「好きです。ユートさんが好き」

 マリエは微笑んだ。今の状況でできる精一杯の気持ちを込めた。頬が染まって、少しだけ涙が滲んだ。

 ユートはマリエの手を強く握った。眉を寄せて難しい顔をする。

「君を抱きしめたいんだが」

「だめです」

「キスしたい」

「無理です」

「鳥かごに戻ったら?」

「今は考えられません」

 ユートは一度マリエの手を離して、ステッキと帽子を手に取る。

「それじゃあ、まず戻ろう」

 手袋を外すと、改めてマリエの左手を取って指を絡めて繋ぐ。施設のドームに向かって歩を進めた。ユートの大きな温かい手。そのしなやかな指に直接ぎゅっと心臓を掴まれているようで、ドキドキしすぎてマリエは心配になる。でも、できるなら手はこのまま繋いでいたい。空いている右手で胸を抑えて深呼吸した。

 そんなマリエを知ってか知らずか、ユートは肩まで触れるほど近くを歩く。

「甘い匂いがする」

「たぶんパンの匂いです」

 そう答えると、ユートは繋いだまま手を持ち上げ、マリエの手首に顔を寄せ鼻を鳴らす。

「おいしそうだな。あとで食べさせてくれ」

「パンを、ですよね?」

 そこでしゃべらないでほしいと思いながら、マリエが聞くと、ユートは血管をなぞるように手首に唇を滑らせた。心臓が止まりそうになって、息を飲む。案の定、SOFで停止したポチが降ってきて、マリエの視界は暗転した。

 あとから聞いた話では、ユートも睡眠ガスに巻き込まれたらしく、駆け付けたヨシカワに蹴られたらしい。

 結婚披露宴のスピーチでも言われて、長く笑いの種にされることを、このときはまだ二人とも知らなかった。


終わり

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