第三章 鳥かごの外で(11)

 カオリに連れられて大広間に入り、次々に人を紹介された。SOF範囲を広げないようにするため、話はほとんどできないと予めカオリが断ってくれた。だからマリエは微笑みを貼り付けてうなずくだけで良かった。幸い、皆SOFに理解がある人ばかりだった。『M&Sクラフツ』がSOF向けの商品を扱う会社だということと、カオリがそういう人を選んで紹介してくれたのもあるだろう。マリエが会った中で、カザマだけが例外だった。

 パンの評価は上々だった。カオリが『ミネヤマ』の限定メニューで出す予定だと教えると、客は「楽しみだ」「食べに行く」と言ってくれた。

 エリーにも話をしても平気なのかと聞かれたけれど、大部分の人が、SOFはガーディアンの範囲内では何もできないと思っていたようだった。まず、パンを作ったことに驚かれた。それから、マリエが目の前で話を聞いていることにも驚かれた。中には、マリエがSOFかどうか疑い、時計に触ってみてくれと言い出す人もいた。――触るまでもなく手を翳すだけで時計の電源は落ちてしまったので、それにも驚かれた。実際にSOFに会って、その力を見る機会がある人はやはり限られているのだ。

 手品か何かのように感心されるのは複雑だった。それでも、深刻な病気に罹っている患者に向けるような痛ましげな顔で見られるよりはましだった。そんなときは、心の平穏のためにそっと目を逸らした。

 ユートが合流すると、自然と、彼と出会ったときの話が出るようになった。今さら隠しても無駄で、マリエがユートを助けたのは伝わってしまっていた。

「勇敢なお嬢さんだ」

「身を挺して人を助けるなんて、普通じゃできませんわ」

 マリエはひたすら微笑みを貼り付けて黙っていたから、余計に『聖女』のイメージがついたようだった。『悪女』に変わらなかったのが幸いと喜ぶべきか。

 さすがに疲れてきたところで、隣にいたユートが小声で聞いた。

「大丈夫か?」

 マリエは軽く首を振る。

「もう戻ってもいいですか?」

「ああ、構わない。送ろう」

「いえ、一人で戻れますから」

「だめだ。何かあったらどうする。さっきだって」

 言いかけてユートは口をつぐんだ。その場にいた客たちが温かいまなざしでこちらを見ているのに気づく。

「マリエさん、ユートさんに紳士の仕事を全うさせてあげなさいな」

 話の主導権を握っていた年配の男性客が言うのに、周りも賛同して、マリエは従うしかなかった。付け焼刃でカオリに習った淑女らしい礼をする。

「それでは、失礼いたします。今日はどうもありがとうございました」

「こちらこそ、楽しかった。また『ミネヤマ』に食べに行かせてもらうよ」

「はい。ぜひ」

 しばらく固まったままだった表情を解いて素の笑顔を浮かべると、男性客は目を細めた。それからユートの肩を叩く。

「応援しているよ」

「新会社を、よろしくお願いします」

 にこりともせずにそう返したユートは、マリエを促して大広間の入り口に向かう。彼が腕を差し出すのを、マリエは断った。

「通信端末が止まったら困るんじゃないですか?」

「そうだな……。エスコートできなくて、すまない」

「私、一人で歩けますよ」

「そういうことじゃない」

 ユートが苦い声を出すのに、マリエは謝る。

「すみません、難しい話は今はちょっと……」

「ああ、わかっている。聞き流してくれ。……ところで、エリーさんは?」

 ユートに聞かれて彼女のことを思い出す。今まで機会がなかったのだ。

「カザマさんが戻ってくる前にって、帰りました。ユートさんにお礼を言ってました。いきさつは話してもらえなかったんですが、カオリさんが改めてあとで聞いてみるそうです」

「そうか」

 入り口の手前で声をかけたのはマリエの父だった。

「ユート君、ちょっといいか」

「今、マリエを送って行くところなんです」

「すぐだ。彼がもう帰るそうなんで、紹介だけさせてくれ」

 父は隣の男性客を示す。マリエはユートを見上げ、

「大丈夫ですから」

「いいか。ここにいてくれ。絶対に一人で戻らないように。いいね?」

「わかりました」

 子どもに言い聞かせるようなユートにマリエは少し苦笑する。彼が父の元に行き、客と三人で話すのを、マリエはぼーっと見ていた。すると、突然、ばさりとポチの羽音が大きく聞こえた。マリエがはっとして視線を上げるのと、目の前に人が現れるのは同時だった。カザマだ。粘っこい笑顔でマリエを見ている。

「先ほどはどうも」

「はい……」

 マリエは何を言われるのかと身構える。

「ユート・ミツバと話す機会を与えてくれてありがとう。さすがSOFの聖女様だ。パールハールの公爵令息と知り合う機会なんて滅多にないからな」

 嫌味たらしい表現に、マリエは思わず眉をひそめる。カザマはますます楽しそうに、身ぶりを大げさにした。

「君だってそうだろう? ミツバの御曹司だから助けた。違うか?」

「違います」

「いろいろ恩恵に預かったんだろ。SOFのくせに、外にまで出してもらってさ」

 カザマは一度言葉を切ると、会場の奥に向かって顎をしゃくった。その先を見るとカオリがいる。

「カオリ・オオヤマは近々婚約発表するらしい。相手はユート・ミツバだって噂だ」

「え?」

 マリエは驚いてカザマを振り返ってしまう。彼は嗜虐的な目でマリエを見下ろした。

「なんだ。知らなかったのか。はははっ。せっかく助けたのに残念だったな。まあ、どうせお前なんかが公爵夫人になれるわけない。愛人の座でも狙ったどうだ? SOFにはぴったりだろ」

 カザマのセリフはマリエの耳にはほとんど入っていなかった。

 君が好きだと言われたときのユートの燃える瞳。握られた手から伝わる熱。自分の胸から溢れてきた好きという気持ち。彼の腕の中で感じた幸せと悲しさ。

 忘れてくれと言われたけれど、マリエは全然忘れられなかった。

 ユートがカオリと結婚して、マリエのことを忘れて、施設に面会に来てくれなくなっても、マリエはきっと一生ユートのことを忘れることができないだろう。

 マリエの心の真ん中にユートがいる。彼の静かなまなざしを、マリエはいつでも思い出せた。

 胸が詰まる。

 今まで気持ちを抑えていたせいで、余計に振れ幅が大きい。

 泣きたくて仕方がない。

 もう眠らされてしまった方がいっそ楽だと思えた。その間はユートのことを考えなくて済む。

 マリエは涙に潤んだ瞳でポチを見上げた。その表情でマリエが限界だとヨシカワには伝わっただろう。

 カザマが目の前にいたことを思い出して、マリエは数歩下がる。一秒も経たずに、SOFで停止したポチが落下してきて、発射された睡眠ガスでマリエはその場に座り込んで意識を失った。

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