第三章 鳥かごの外で(9)

 何か言い争っているような声を聞いたのは、階段を下り始めてからだった。マリエはゆっくりと、階下を覗き込みながら下りる。

「ここまで来てやったんだから、俺の相手をするのが筋じゃないのか」

「そちらが勝手についてきたんでしょう? お話なら、父も一緒のときに改めてうかがいますから」

 男性と女性だ。

「いいから来い!」

「やめてください! 触らないで!」

 不穏な流れだった。マリエは慌てて踊り場を回り込む。階段を下りたところ、廊下の突き当たりに非常口がある。その手前に、濃紺のスーツの男性と水色のドレスの女性がいた。披露会の客だろうか。男性が女性の腕を掴んで引っ張るのを見て、マリエは階段を駆け下りた。慣れないヒールとロングドレスに危うく足を取られそうになりながら、二人と非常口の間に滑り込んで、後ろ手でドアノブに触れた。

「ごめんなさい。今、私が触ってしまったので、このドアは開かないと思います」

 電子キーなのだ。停止時は施錠で固定されるはずだった。

 突然割り込んだマリエに、二人とも驚いたようだった。女性は二十歳前後で、男性は彼女より一回りくらい上に見えた。

「腕を離してあげてください」

 マリエが言うと、男性は居丈高に大きな声を出す。

「君には関係ないだろう! そこをどきたまえ」

「嫌です」

 マリエは静かに、しかしきっぱりと言って男性を見上げた。

「それに、私がどいてもドアは開きませんよ」

 ばさりと羽音を立てて旋回するポチに気づいた男性は、唇を歪めて笑った。

「ああ、君がSOFの?」

 その嘲笑に、マリエは固まる。こういう反応があるだろうとは想像していたけれど、実際に向けられるのは初めてだった。身内や施設関係者以外でも、今までマリエが関わった人は全員マリエに好意的だった。

 マリエは即座に感情を抑えた。何も考えてはいけない。ここは鳥かごの外なのだ。

 どうしたらこの場が収まるのか、視線を巡らせると、ユートが見えた。マリエに気づくと、珍しく小走りに駆け寄ってきた。鳥かごで最初に挨拶したとき以来のトラディショナル・スタイルの服装で、やはりよく似合っていると思った。マリエには高級すぎて落ち着かないホテルの内装も、彼は少しの違和感もなく自分の背景にしてしまう。

「ユートさん」

 マリエがほっとして声をかけると、男性は振り返り、顔色を変えた。

「やあ、マリエ。ドレス似合っているよ」

 ユートは走ったことなどみじんも感じさせず、優雅に微笑む。マリエも合わせて微笑んだ。たぶん貼りつけたような笑顔だったと思う。ユートは少し眉を寄せた。それから、男性に目をやる。

「こちらは?」

 聞かれてもマリエは答えようがない。しかし、マリエが何か言うよりも前に男性は自ら名乗った。ずっと掴んだままだった女性の腕からあっさりと手を離し、ユートに握手を求める。

「私は、ガーベルンドラー星を拠点に貿易会社を営んでいますカザマと申します」

「初めまして。ユート・ミツバです。今日は披露会に?」

「ええ、バナールルーウォン社のナナオ氏にお願いして連れて来ていただきました」

「そうですか、どうもありがとうございます」

 ユートはカザマと握手し、女性を見た。

「エリー・トワダさん、お久しぶりですね」

「ええ、こちらこそ、お久しぶりですわ」

 マリエが駆け付けたときは蒼白になっていたエリーは、ぎこちなくも上品な笑みを返した。

「今日は出席くださってありがとうございます。あなたがいらっしゃると聞いて少し驚いたんですよ。お父上の元でお仕事を始められたんですか?」

「そういうわけではないんですが……、実は個人的な興味があって……」

「それでしたら、会場で商品の説明をしましょう」

 そう言ってユートはマリエを振り返った。

「エリーさんは、ヘルスケア機器や止まって困る電子機器を身に付けていますか? できれば会場まで彼女に付き添っていただきたいのですが」

「ええ、もちろん構いませんわ」

 エリーはマリエに微笑んだ。

「マリエ・シライさん、ですわね? 行きましょう」

「はい」

 エリーにうなずいてから、マリエは大事なことを思い出して、ユートに言った。

「ユートさん、私、このドアに触ってしまったんです」

「ああ、警備室から連絡があった。君が離れたら再起動させる手はずだ」

「そうなんですか、良かった。すみません、ご迷惑おかけして」

 マリエが謝ると、ユートは首を振った。

「迷惑とは思っていないが、心配はした。次から気を付けてくれ」

 眉間に寄った皺から、マリエがなぜここにいるのか彼はおおよそ察しているのだとわかった。マリエはほんの少しだけ頬を緩めた。それでも、さっきとは違って気持ちが籠った表情だった。

「心配かけてごめんなさい。でも、ユートさんが来てくれるって知ってたからできたんですよ」

 ユートは目を瞠って、そして、小さく笑った。それは、困っているようにも、痛みを堪えているようにも見えた。マリエは彼の表情の意味を考えないように、即座に頭から追い出した。

「会場の入り口でカオリが待っている。俺は復旧の連絡が来てから戻るから、そう伝えてくれ」

 そう言ったときのユートはもういつもの彼だった。冷静な目がマリエを見つめている。

「また、あとで」

「はい。では、失礼します」

 マリエはユートに少しだけ微笑んで、カザマにいちおう会釈してから、エリーに続いて歩き出した。二人と一緒に会場に戻るか迷っている風だったカザマに、ユートが話しかけて引き止めてくれたのが聞こえた。

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