第三章 鳥かごの外で(8)

 一時間もすれば予定していたパンは焼き終わった。「片付けは任せてください」と胸を叩くミドーに送り出され、迎えに来た叔母に連れられて、マリエはバックヤード経由で客室に戻った。まだ会場に出る決心はついてなかったけれど、このあとはコンロや石窯を客が触れるようにブースのガラスの一部を取り払うことになっていた。どちらにしても、マリエはブースから出るしかなかった。

 SOF用に改装された客室は、大広間の一つ上階にあった。表からも、バックヤードからも、階段を使って行き来ができる。客室の入り口にガーディアンの止まり木があり、ポチはばさりと音を立ててそこに舞い降りた。幾何学模様が浮き彫りされた木調の大きな扉にシロフクロウはやけに似合う。

 最新式の鍵なのでマリエはドアを開けられない。代わりに開けてくれた叔母に急かされて中に入ると、部屋の真ん中にトルソーがあった。叔母が用意してくれたドレスは、仮縫い段階で試着はしていたけれど、出来上がったのを見たのはこれが初めてだった。

 濃い緑のベルベットのロングドレス。広めに開いた襟はチヅルの白いレースで縁取られている。襟ほど目立たないのだけれど、絞った腰から裾に向かって流れるようにさらりと上品に広がるスカートにも、螺旋状にレースが飾られていた。ドレスの生地と同色の糸で編まれた植物模様には、よく見ると、きゅうりやトマトが紛れ込んでいた。

「これもチヅルさんのだよね?」

 スカートのレースをチヅルが作っていたのは知らなかった。そう尋ねると、叔母は微笑む。

「そう。秘密にして驚かせたかったんですって」

 マリエは言葉にならない。このレースを編むのにどのくらいの時間がかかったんだろう。そっと触れると、チヅルが抱きしめてくれたことを思い出した。

 チヅルもルウコも、他のSOFも施設の職員も、皆がマリエを応援してくれている。

「披露会に出るでしょう?」

 叔母に聞かれて、マリエは大きくうなずいた。

「うん、出るわ」

 ドレスを着付けてもらって、髪をセットしてもらう。きちんと化粧するのは初めてだった。

「これで大丈夫? おかしくない?」

 鏡を見て、叔母に確認する。

「大丈夫よ。似合ってる。写真撮って印刷してあげるから、チヅルさんに持って行きなさい」

 写真を撮ってもらっていると、内線電話が鳴った。壁に取り付けられているから、マリエはそちらに近づくときはSOF範囲に気を付けるようにしていた。内線を取った叔母が、マリエを振り返る。

「ユートさんがこっちに向かうから、マリエも出て来れるかって」

「うん。わかりましたって伝えて」

 返事をして、美容師のタバタにドアを開けてもらう。長いスカートがふわりと足元で揺れる感触がくすぐったい。踵の高い靴に背筋が伸びる。アップにしてもらったうなじが風を感じるのが新鮮だった。

「叔母さん、タバタさん、どうもありがとうございます。行ってきます」

 室内にそう声をかけてから、マリエは一歩踏み出した。

「ポチ」

 シロフクロウが止まり木から飛び立つのを待つ間、浮足立った気持ちを落ち着かせる必要があった。

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