第二章 風に乗る羽の一枚(7)

 ユートに紹介されたカオリは、背の高い凛とした女性だった。細身の紺色のパンツスーツにショートカットが似合っている。場所が農園だと聞いていたらしく、足元は動きやすいスニーカーだった。育ちの良さなのだろうか。それとも、重要な仕事をしている自信なのだろうか。雰囲気に圧倒され、マリエは気おくれしてしまう。

 ざっと畑を案内してから、鳥かごの真ん中のテーブルにつく。ベンチを二つ動かしてテーブルを挟んで向かい合わせにして、ユートとカオリ、マリエとトウドウで並んで座った。

 カオリが来る前に収穫したきゅうりとトマトを切って出す。いんげん豆やなすは厨房にお願いしてゆでてもらった。生のままの野菜もかごに盛って並べてある。

「販売できると思いますか?」

 全部を一口ずつ試食したカオリにマリエは恐る恐る尋ねた。

「そうねぇ……」

 カオリは少し考えてから、マリエを見て、きっぱりと言った。

「うちのお店で扱うには、このままじゃ無理ね」

「おい、そんな言い方ないだろ」

 ユートが抗議するのをカオリはうるさそうに手で払う。

「あんたは黙ってなさいよ。相談されてるのは私なんだから」

「ユートさん、私、大丈夫ですから」

 マリエも重ねると、ユートはしぶしぶといった顔で腕組みをしてベンチの背もたれに体を預けた。

「せっかく私のこと考えてくれたのに、すみません」

 謝ると、ユートはばっと姿勢を正した。

「いや、謝らなくていい。また余計なことを言って君に怒られたくない」

「あれは、本当にすみません」

 マリエが恐縮すると、横からカオリが口を挟む。

「怒られたってなぁに? おもしろそうね」

「それは今関係ないだろう。野菜の話をしろよ」

 カオリは笑って、マリエに向き直った。

「理由を言ってもいいかしら?」

「はい。聞きたいです」

「理由は、味ね。――まずいわけじゃないのよ。おいしいと思うわ。でも、このくらいの味ならオートメーション農場で作ったものとそう変わらない。形が整っている、味が一定に管理できるっていう点を考えると、ここの畑の野菜を採用するメリットは低いわね」

「カオリさんの三ツ星レストランみたいな高級なところじゃなくても?」

「カジュアルなレストランは、余計によ。たくさん仕入れることで安くしているの。あなた量産はできないでしょう?」

「はい……そうですね。無理です」

 肩を落とすマリエに、カオリは励ますように続けた。

「センターのバザーで売るのは問題ないと思うわ。必要だったら、冷蔵機能のついた野菜運搬用の車を貸してあげる」

「何日くらい持ちますか?」

 トウドウがカオリに聞いた。

「一週間近くは大丈夫だと思います」

「それだとちょっと厳しいわね。バザーの一週間前には商品がセンターに届いていないとならないの。向こうで手続きがあるんですって」

「あら、そうなんですか? それだったら、ピクルスにするのは?」

「ピクルス!」

 思ってもみなかったことで、マリエは思わず声を上げてしまう。

「あ、そっか。そうですね。ピクルスなら保存できますよね。……なんでか、野菜そのままで売らなきゃって思いこんでたみたいです」

「そうね、私も思いつかなかったわ」

 マリエはトウドウと顔を見合わせた。

「野菜以外の材料と保存瓶、用意しましょうか? 寄付という形で」

「いいんですか?」

「ええ、その代わり、いくつか私に送ってください」

「もちろんです。ありがとうございます」

 トウドウに合わせて、マリエも頭を下げる。

「カオリさん、もし良かったら、レシピも教えてもらえませんか?」

「いいわよ。三ツ星シェフに聞いておいてあげる」

「わぁ、ありがとうございます!」

 手を合わせて笑顔でお礼を言うと、カオリは目を細めた。

「今、ディーランサには、手作業で栽培する農場はないの。私の知っている限りだけど」

「そうなんですか?」

「だから、手作業をウリにすることは可能だと思うわ。限定メニューにするなら、量産できなくても扱える」

「もっとおいしくなったら?」

「ええ。それと、もう一つ。厳しいことを言うけれどいいかしら?」

 カオリがそう言った途端にユートが何か言いたそうにするのを、マリエは微笑んで止めて、カオリにうなずく。

「睡眠ガスね」

 カオリは鳥かごを見上げる。

「これを伏せて販売するのはよくないわ。発覚したときに問題になると思う」

「はい」

「でも、副作用はないし滅多なことがなければ発射されないとアナウンスしたとしても、お客さんは気にすると思うのよ」

「そう、ですよね……」

 SOFにとっては普通のことだけれど、一般の人にとっては違う。マリエだって保護されるまでは睡眠ガスは身近ではなかった。隠れ住んでいるとき、SOF保護のルールを調べて睡眠ガスのことを知って、漠然と嫌だなと思ったこともあった。

「センターのバザーみたいに、SOFが作ったことを前面に出して売るのでない限りは、なかなか難しいわね」

「前面に出したらだめなのか?」

 黙っていられなくなったのか、ユートがそう聞いた。

「だめってことはないけれど、そうしてしまうと、チャリティだと思われるわ」

「チャリティ……。それはちょっと嫌です」

 SOFが作ったからこのくらいの味でも仕方ない、SOFが作ったにしてはおいしい、どちらに取られたとしても嫌だった。できることなら、チヅルのレースのように、SOFとは関係なく評価されたい。社会貢献を抜きにして選んでもらいたい。――やはり、それは無理なんだろうか。

 カオリに続けて、マリエが言うと、ユートは窺うようにこちらを見た。マリエは苦笑する。

「別に怒ったりしませんから、何か意見あったらユートさんも言ってください」

「そうか?」

「はい」

「それなら言うが」

 くすくす笑うカオリをユートは横目で睨んで、

「昨日、マリエに畑を案内してもらって、野菜が生っているところを見て、収穫を手伝って、おもしろかったんだ。味が一番の食品としてではなく、農作業体験として野菜を売るのはどうだろう? ここを見れば、SOFセンサーが簡単に反応しないのもわかってもらえる」

「施設を見学してもらうってことですか?」

「施設というより、農園だが、まぁそうなるのかな。SOFへの理解にも繋がるんじゃないのか」

「それじゃ、本気でチャリティじゃない」

 カオリが言うのに、ユートは「だから言おうか迷ってたんだろ」ともごもご言い訳する。

 マリエは周りを見渡す。ベンチとテーブルでいつも皆でお茶を飲む。モトヤが自転車の練習をして、チヅルがレースを編んで、マリエが野菜を作る。ここにお客さんが来る?

「ごめんなさい、ユートさん。せっかくなんですが、やっぱりここに人を呼ぶのはちょっと……」

 マリエはユートに謝った。怒らないって言った手前、そう見えないように少し微笑む。

「ここは大事な場所なんです。面会の人ならいいんですけど、不特定多数の知らない人にはあんまり入って来てほしくありません。私だけの鳥かごじゃないですし」

「そうだな。ここは君たちの家みたいなものだな」

「はい。家みたいに楽しくすごせるのはユートさんのおかげです。大好きなんです、ここ」

「ここ……ここが、ね……」

「はい、大切にしたいんです」

「……この鳥かごを?」

「はい」

 言い募るうちにだんだんと眉間に皺を寄せていったユートに、マリエは力を込めて訴えた。

「本当ですよ」

「ああ、わかっている。もう繰り返さなくて大丈夫だから」

 ユートの隣でカオリが肩を揺らして笑いを堪えているのを、マリエは首を傾げて見た。

「カオリさん?」

「ううん、ごめんなさい。何でもないの。……やだ、もう、ユート。かわいいじゃない」

「俺に言うなよ」

 ユートの肩をばしんっと叩いて、カオリはマリエに笑う。

「私もまた遊びに来ていいかしら?」

「わ、また来てくれるんですか! うれしいです!」

 はっきりとものを言うカオリが、マリエは好きになっていた。マリエが笑顔で喜ぶと、調理道具の移動の件を昨日のうちにユートから聞いていたトウドウが、

「それなら、お礼も兼ねて、食事会に招待したら?」

「ああ、そうですね!」

「食事会?」

 マリエはカオリに説明する。

「実家で使っていたコンロや石窯をここに持ってきてもらって、私が料理する約束になってるんです。ユートさんと父と叔母を呼んで。三ツ星に慣れてるカオリさんに出せるようなものじゃないんですが、もし良かったら、来ていただけますか?」

「センターの許可はこれからだが、おそらく通ると思う」

「通す、の間違いじゃないの?」

 ユートのセリフをカオリが揶揄した。

 ユートは昨夜のうちに父に電話してくれていた。父はパールハールに引っ越すことにしたらしく――マリエがSOFを発露する前に住んでいた家は売っていなかった――、調理道具の移動は全く問題ないとのことだった。シャルメルボンのさらに郊外にあるあの家からだと、この施設まで五日近くかかる。パールハールからでも一日だが、ずいぶん違う。八年住んだ家が空き家になるのは少し残念だけれど、父との距離が近くなるのはとてもうれしかった。

「それより、石窯って言った?」

 カオリがマリエに身を乗り出して聞いた。

「はい。室内置きの石窯ガスオーブンです。父が改良してくれて、温度や時間の調節は自力でできるようになってるんです」

「へー、すごいわね。何が作れるの?」

「パンとかピザですね。あとはグラタンみたいなオーブン料理。ローストビーフも作ったことあります」

「パンは手ごねなのよね?」

「そうです。他にやりようがありませんから」

「いいわね。楽しみにしてるわ」

「カオリ、そんなにパン好きだったのか?」

 ユートが不思議そうに聞くのに、カオリは、

「うちのグループのオーガニックレストランで扱ってたパン工場が、職人不足で閉鎖するの。石窯パンだったのよ。さすがに手ごねではなかったけれどね。今、代わりを探しているの」

「もしおいしかったら、私のパンにも可能性がありますか?」

「そうねぇ……」

 カオリは困ったように眉を下げた。それでマリエも思い出す。

「あ、睡眠ガスの問題があるんですね。そっか、食べ物だとどうしても避けられないんだ」

「ええ」

 カオリは一度目を伏せてから、

「ごめんなさい、余計なことを言っちゃったわね。あなたの料理、楽しみなのは本当よ」

「はい、がんばって作ります。取り扱えないのが残念って思うくらいのパンが焼けるように」

 マリエが微笑むと、カオリは軽く目を見開いた。それから、大輪の花のような鮮やかな笑顔を浮かべる。

「俺も楽しみにしているからな」

 見つめ合うマリエとカオリに、横から幾分ふてくされたようなユートの言葉がかかる。女二人は今度こそ、くすくすと声に出して笑い合った。

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