第二章 風に乗る羽の一枚(6)
調理器具の件をトウドウに聞いてみると言ってマリエの元を離れて、人が集まっているベンチの方に行く。
「ユート様!」
ルウコ・ハカマダが駆け寄ってきた。彼女に「様」付けで呼ばれている理由がわからないのだけれど、少女特有の遊びか何かだろうか。
「やあ、久しぶり。元気だった?」
「はいっ!」
大きくうなずいて、ルウコはユートの手を引く。大人しくついて行き、一緒にベンチに座った。
「ユート様は今来たんですか?」
「いや、昨日だ」
「えー、すぐ教えてくれたら良かったのに!」
「それは悪かった。昨日はマリエと話していたんだ」
ユートがそう言うと、ルウコは笑顔を消した。マリエと喧嘩でもしているのかとユートは心配する。傍で見ていると、かなり年が離れているのに、二人は同い年くらいの友だちのように見える。
ルウコは顔を上げると、体を捻って座り直しユートを正面に見る。
「ユート様にお願いがあります!」
「ああ、何かな」
ユートもルウコに向き直り、姿勢を正した。笑顔で促すと、ルウコは意を決したように口を開いた。
「あたしの王子様になってくれませんか?」
「王子様?」
「恋人です。ここにいるときだけでいいの。ここにいるときだけ、あたしと一緒にいて、あたしのことを一番に見てくれたら、それだけでいいの。……だめですか?」
ごっこ遊びの提案でないことは彼女の真剣な表情でわかる。逃げ道を用意してくれない必死さが、ある意味で子どもらしいとも言えた。
ユートは答えに詰まる。顔を上げると、ルウコの背後から心配そうに見ているトウドウと目が合った。ヨシカワも、いつも周りに興味がなさそうなチヅル・コノミもこちらを見ていた。
ユートはルウコの目を見て、ゆっくりと首を振った。
「申し訳ないが、俺は君の王子様にはなれない」
「なんで? やっぱりマリエが好きなの?」
「ああ、そうだ」
ユートはごまかさずに言った。
「俺はマリエが好きだ」
「やっぱりそうなんだ……」
泣かれたらどうしようかと思っていたのに、ルウコは目に見えて落胆したものの、取り乱すことはなかった。不機嫌に唇を尖らせて言う。
「でも、ユート様はマリエの王子様にはなれないわよ」
「どうして?」
「マリエは、いつでもどこでも自分だけの王子様でいてほしいって言ってたもの。ユート様はここにはときどき来てくれるだけだし、マリエは――あたしたちは、ここから出られないもの。いつでもどこでもなんて無理じゃない。あたしだったらそんな贅沢言わないわ」
一度言葉を切ると、ルウコは挑戦するように、
「それとも、ユート様はマリエをここから連れ出せるの? 捕らわれのお姫様を助け出す、おとぎ話の王子様みたいに」
「それは……難しいな」
ユートの返事にルウコは視線を落とす。マリエが好きだと言ったときよりもずっとがっかりした様子に、彼女にとってもユートは「外の世界の象徴」なのだと気づいた。
「それでも、マリエがいいんだ。だから、王子様になれるように努力するつもりだ。彼女がいつでもどこでもと願うなら、できるだけ叶えたいと思う」
ルウコの頭をぽんっと撫で、ユートは口調を明るく変える。
「応援してくれるか?」
ルウコは顔を上げると力いっぱいうなずいた。
「あたし、応援します!」
「そうか、ありがとう」
「だから、ユート様が上手くいったらあたしにも誰か紹介してくださいね!」
「わかった。約束しよう」
あっさり乗り換えられたことにユートは苦笑して、ルウコと指切りした。
それから少し話をしたところで昼食を知らせるチャイムが鳴った。皆で一緒に鳥かごの出口に向かう。SOFはそれぞれの個室で、職員とユートは管理棟の食堂で食事をとることになっている。
出口付近で畑から戻って来たマリエと行きあった。きゅうりやなすやトマトが山になったかごを彼女の腕から取り上げるのを見ていたルウコが、がんばってと言わんばかりに両手を握って掲げ、走り去っていく。出口の止まり木からガーディアンが一羽飛び立って、彼女を追いかけて行った。
「ルウコと何かあったんですか?」
マリエに聞かれ、ユートは首を振って少し苦笑した。ルウコは、マリエの好きな色や柄を教えてくれ、どこそこのブランドの服をプレゼントしたらどうかと具体的な提案をしてくれた。SOF保護施設で十歳も年下の少女にそんなことを言われるとは思ってもみなくて、ユートは楽しく拝聴した。隣のベンチで聞いていたヨシカワは爆笑してルウコを怒らせていたけれど。
「この野菜は管理棟に持って行けばいいのか?」
「はい、そうです。あ、でもユートさんに持たせるわけには……って言っても私が持って行けるわけでもないんですが」
マリエは首を巡らせてヨシカワを見た。いつもなら彼が持って行くというわけか。
「いいよ。俺が持って行く」
「それじゃあ、お願いします。ありがとうございます」
抱え込むようにかごを持ったユートに、マリエは少し笑った。そこにちょうどやってきたモトヤ・ヒルカワが、練習中の自転車を降りてユートに手を出した。
「なんだ?」
「きゅうり一本」
「マリエに聞いてくれ」
モトヤが何か言う前に、マリエはかごからきゅうりを取ってモトヤに渡す。
「どうするの?」
「洗ってそのまま食う!」
言いながら彼は出口のアーチをくぐった。すると途端に無表情になるからユートは驚いた。チヅルは元からの無表情で外に出て行く。マリエはユートの様子には気づかず、チヅルを追って行った。呼ばなくてもプログラム制御で飛んでくるガーディアンに彼女はわざわざ「ポチ」と呼びかけて、飛んでくるまで待つ。マリエは鳥かごの外に出ても無表情になることはない。
そういえば、こんな風に鳥かごの外でSOFと関わるのは、マリエ以外は初めてだった。なんとなく観察しながら皆に続いて歩いていると、モトヤの自転車の練習にずっと付き合っていたハルオ・タムラが、ユートに話しかけてきた。
「鳥かごに集まるSOFはいつも私たち五人なんですよ」
「へー。理由が?」
「そうですね、皆、どちらかといえばうまく感情をコントロールできるタイプだからでしょうか」
ハルオは前を歩く人たちに目をやる。先に出て行ったルウコはもういない。
「ルウコは微妙なところですが。まだここにきて七か月くらいだから、鳥かごと自室の中以外は長時間いたくないんだそうです」
「それで走って行ってしまったのか」
「ええ。――チヅルは常に感情を抑えていられる、モトヤはオンとオフの切り替えが得意。だから、鳥かごとガーディアンと自室と、センサーの範囲が異なる場所を行き来してもうまく対応できるんです」
ハルオは鳥かごの外でも穏やかに微笑んでいる。
「あなたは? チヅルさんやモトヤとは違うようですね」
「私は、どのくらいの感情の動きがどのくらいのSOF範囲になるか、なんとなく把握しているんですよ。ヨシカワ先生の前任の先生の研究に協力していました」
「なるほど。それで詳しいんですね」
ヨシカワよりハルオの方がよほど医者っぽく見える。
「門前の小僧ですよ」
首を振ってから、ハルオはマリエに目を向ける。
「マリエも私と同じみたいですね。父親と実験したと言ってました」
「ああ、シライ博士から聞きました。最大SOF範囲を調べたとか」
「そう、それには驚きましたね。私も自分の最大範囲はわかりません。広い場所がないと調べられませんから」
「そうなんですか。知らなかった」
何も考えずに質問したらシライ博士が答えてくれたものだから、保護施設でも普通に調べることなのかと思っていた。
確かに、鳥かご並みの設備がないと、最大範囲は調べられない。シライ家にはSOFセンサーや睡眠ガスなんてないのだから、過去のSOF研究から安全だろうと予測したのだとしても、最悪の場合、実験によってドームの天井にあるライトや空調の制御機能が停止する可能性だってあったわけだ。今考えるとすごい話だった。実際のマリエの最大範囲はそこまでではなかったのが幸いだ。
「大きな施設では調べるところもあるようですが、研究のためですよね。こうやって制限されている以上、最大範囲を調べても意味がないですから、個人のデータとして把握しなきゃならないことではないわけです」
頭上を旋回する自身のガーディアンの鳥――白い文鳥を模していた――を指差して、ハルオは淡々と言った。
「マリエに初めて会って、私と同じようにSOF範囲を意識して生活しているのを知って、正直少しがっかりしました。施設の外で暮らしていたとしても、感情の動くままに自由に生活するのは無理なんですね」
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