第二章 風に乗る羽の一枚(5)

 マリエから野菜を販売したいという相談を受けて、ユートはカオリに連絡を取った。ミツバでもレストランを経営しているが、カオリの『オオヤマ・グループ』の方が手広い。

 ゲートと一体になった管理棟では電子機器が使える。SOFの居住棟や農園はだいぶ離れた場所に位置する。ライフラインや医療機器、検査設備、厨房もこちらにある。職員宿舎と来客の宿泊施設も兼ねていた。

 受付の際に預けた通信端末でカオリに電話をかけると運良く繋がった。簡単に話すと、カオリは「今から行くわ」と言った。

「今から? わざわざ来てくれなくても俺が伝えるが」

「会ってみたいのよ、ジャンヌちゃんに」

「お前、彼女の前でその話は出すなよ?」

「出すわけないでしょ。そうね……明日の夜にはそちらに着けるかしら? 一泊するから施設の人に話つけておいてちょうだい」

「わかった。よろしく頼む」

 ため息を飲み込んで、ユートは返事する。音声だけの通信で良かった。映像のやり取りをしていたら、うんざりした顔に文句をつけられただろう。

 カオリとの通信を切って、今度は秘書に連絡を取る。元々今日は一泊する予定だった。オンラインで処理できる件は、ここで対応すればいい。幸い外せない会議などはなかったため、あと一日休めるように調整を頼んだ。

 事務の職員に、自分たち――運転手と護衛もいる――の連泊とカオリの宿泊の許可をもらう。さすがに渋い顔をされたので、宿泊費を払うことで話をつけた。夕食のために職員食堂に行けば、ヨシカワに「いっそのこと臨時職員にでもなったらどうです?」と嫌味を言われた。

 夜、割り当てられた狭い部屋のベッドに転がり、ユートは大きく息をついた。

 SOFの女の子にご執心と指摘したのはカオリだった。

 ――そうなのだ。自覚がある。

 カオリが来ることを口実に、滞在を伸ばしてしまった。仕事を休むほどのことか、そこまで必死になることか。一人で冷静になるとそう思うのに、マリエを前にすると離れがたい。

 会いに来てくれてうれしいと微笑んだマリエを、閉じ込めてしまいたい。保護施設なんかではなく、自分の手の届くところに。

 自宅の庭に鳥かごを設置する算段を立てそうになり、ユートは頭を振る。嫌われたくない。

 まるで子どもみたいな単純な思いに、情けなくなってまたため息が出た。

 昼間レースのブランド名の件で彼女を怒らせたばかりだ。今までマリエはユートの前では終始にこにこしていた。だからあんなに怒ると思わなかった。痛いところを突かれて、浅はかな発言を反省した。と同時に、新しい表情が見れたことをうれしく思ってしまったのも事実で、ユートはそんな自分に少し戸惑っていた。


 翌日、仕事の連絡をいくつか終わらせて、鳥かごに行くとマリエがいた。マリエ以外のSOFや職員もいた。皆何度か話したことがある。こちらに気づいたトウドウに軽く会釈をし、ユートは、一人で畑の中にいるマリエの元に真っ直ぐ向かった。

「おはよう」

「おはようございます」

 ドームの空調設備から定期的に吹く風が、振り返って挨拶したマリエの髪を巻き上げた。その髪をユートが手を伸ばして押さえると、マリエは驚いた様子で固まる。彼女の反応が楽しくて、ユートはそのまま髪を撫で下ろす。ユートの指が肩に触れる寸前に、マリエは真っ赤になって一歩引いてしまった。

 自分からは平気で人の腕に触れるくせに、とユートは思う。それでユートがどんな気持ちになるのかきっと彼女は知らないのだ。

「あ、あの」

 そうやって困った顔を向けられるとこれ以上は踏み込めず、ユートはマリエの手元に視線を移す。

「何やってたんだ?」

「え、あ、はい。きゅうりの収穫です」

 見るからにほっとしたマリエは、腕にかけているかごの中をユートに見せる。大きく湾曲したきゅうりが何本か入っていた。きゅうりは支柱に網を張って蔓を絡ませてあり、マリエは生っている一本をハサミで切ってユートに手渡した。切り口から青々とした匂いが立つ。とげがちくちくと痛い。

「とげがあるのか」

「そういえば売ってるのはないですよね。すみません、痛かったですか?」

「大丈夫だ」

 マリエの腕からかごを取り上げ自分で持ち、ユートはその中にきゅうりを入れた。他の実を物色するマリエに倣って蔓を見る。萎れかけた黄色い花や指先ほどの小さなきゅうり。写真や映像で見たことはあるが、実物は初めてだ。

「おもしろいな」

 葉の裏を覗き込んで言うと、マリエは微笑んだ。

「食べ物って生活に密接しているじゃないですか。生きるための基本的なことですよね。幸せって、そういうところから始まる気がしません? だから、野菜作ったり料理したりするのって、とても大切な役目を担っている感じがして好きなんです」

「料理もできるのか?」

「パンも焼けますよ」

「それはぜひ食べたいな。作ってくれるか?」

「ええ、もちろん」

 そう言ってから、マリエは目を伏せた。

「ここじゃ無理ですけど」

「ああ、シライ家には特別な調理器具があるんだな? ここに移していいか博士に聞いてみよう。センターにも許可を取らなくてはならないな」

 ユートはすぐさま手順を考える。マリエが慌てたように、

「ちょっと待ってください。そんなにいろいろしてくれなくても、大丈夫です」

「君はまだわかっていないようだから繰り返すが、これは俺のわがままだ。俺は、君の料理が食べたい。それだけだ」

 堂々と宣言してやると、マリエは目を瞠る。

「だいたい、この鳥かごにしろ、面会にしろ、君のためにやってるだなんて思ってる人間は誰もいないぞ。センターの職員もここの施設の職員も、俺がミツバの権力を笠に着て好き勝手やってるとしか思ってないだろう。実際その通りなんだ。君は俺のわがままに付き合ってくれたらいい」

 それから、少し心配になってユートは続けた。

「付き合っていられないというのなら、無理強いはしないが」

「ふふっ」

 マリエは小さく花がほころぶように笑った。ユートは目を奪われる。

「わかりました。お付き合いします」

「え?」

 一瞬違う意味に聞こえてしまって、ユートは焦った。

「私ももう一度料理したかったんで、利害が一致しますね。私もわがまま言っていいですか?」

「あ、ああ。何だ?」

「ユートさんに料理食べてもらうとき、お父さんと叔母さんも招待したいんです」

「さっそく俺を父親に紹介してくれるのか?」

「え? 紹介? 招待ですよ」

「招待か。そうだな。招待だよな。……もちろん構わない。何人でも呼んでくれ」

「ありがとうございます!」

 にっこり笑って頭を下げたマリエは、ユートが伸ばしかけた手に気づかず、くるりと身を翻す。何作ろうかな、と言いながら、またきゅうりの物色を始めた。そういえばまだカオリのことを言ってなかったと思い出して、ユートはマリエに声をかける。

「野菜の販売のことだが」

「はい」

「『オオヤマ・グループ』はわかるか? 『ミネヤマ』や『デュー・バーガー』なんかを経営している会社だ」

 前者はパールハールで唯一の三ツ星レストランで、後者はディーランサならどの都市にでもあるハンバーガーショップだ。マリエは後者でうなずいた。

「そこの社長令嬢が幼馴染なんだ。カオリ・オオヤマと言う。彼女に電話したら、相談に乗ってくれるそうだ」

「本当ですか? ありがとうございます」

「急なんだが、今夜来るんだ。だから、話をするのは明日だな」

「明日ですか? 改めてまたでも良かったんですよ?」

「いや、俺もそう言ったんだが、カオリが今なら暇だからってこちらの話を聞かないから」

 マリエはくすくすと笑った。

「ユートさんにわがまま通せるなんて、すごいですね」

「カオリは姉みたいなもので、なぜか逆らえないんだ」

「仲いいんですね」

 その言葉に嫉妬は含まれていないのか、探ろうとしたユートだったけれど、マリエはすぐに続ける。

「じゃあ、ユートさんは明日までいるんですか?」

「ああ、もう一泊することにした」

 ユートが答えるとマリエは顔を輝かせた。それが絶大な威力でユートの心臓に響く。

「俺の滞在が伸びてうれしいのか?」

 思わず口をついて出た。

「あ……は、はい」

 聞かれて自分の表情に気づいたのか、マリエははっとした。赤く染まった両頬を手で押さえてうなずく。

「どうして、うれしいんだ? いや、それより、君は俺のことをどう思ってる?」

「……外の世界の象徴、でしょうか」

 少し首を傾げてマリエは答えた。先ほどまでの照れた様子はなく、澄んだ瞳が真っ直ぐにユートを見つめている。

 そんな哲学的な問答をするつもりはなかったのだけれど、好き嫌いで返されるよりも多くの情報を得た気がした。

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