第二章 風に乗る羽の一枚(4)

 会いたいと思ったのが届いたように、ユートはその二日後にやって来た。

 鳥かごのテーブルにティーセットを並べる。今日は二人だけだった。彼がトラディショナル・スタイルの服装で来たのは最初の面会のときだけで、以降も今日もシャツにコットンパンツという気軽な服装だった。そうしていると普通の青年だけれど、真っ直ぐ伸びた背筋や優雅な物腰は品の良さを感じさせて、マリエは自分の所作を振り返って、何かするたびにいつも少し緊張した。

 近況を聞かれ、チヅルのレースの話をした。

「ブランド名は『ドン・ラ・カージュ』にしたんです」

「『ドン・ラ・カージュ』?」

 ユートは険しい顔をした。笑ってくれるかと思ったのに想像と違う反応で、マリエは慌てて言い募る。

「この農園の鳥かごのことなんですけど、それだけじゃなくて、ゴシックっぽいし、レースの網目とかごの目とイメージ重なるし……って思ったんですけど」

「もっと前向きな名前の方がいいんじゃないか?」

「え、それは……」

 ベンチの隣に座るユートを見上げる。批判しているんじゃなくて、こちらのことを考えて意見してくれているとわかる。しかし、自分でも触れられずにいた心の奥の水盤に、無遠慮に石を投げ入れられたような不快感を覚えた。揺れる水面がマリエの口を動かす。頭に来たのかもしれないし、傷ついたのかもしれなかった。

「確かに『鳥かごの中』って言ってしまうと自虐にも取れます。でも、別に悲観しているわけじゃないです。事実と、少しの皮肉と……そんなものでしょ?」

「ああ、それはそうだが」

 マリエの反論にユートは驚いたようだった。落ち着けと言わんばかりに両手を上げる。しかし、マリエは止められなかった。

「前向きになれなんて、外の人に言われたくない。このくらいのことで前向きじゃないなんて思わないで。鳥かごの中に閉じ込められているって事実を見ないふりして、自由に羽ばたけなんておかしいじゃない。ユートさんが私に前向きであって欲しいって思うのは、後ろめたく思ってるからじゃないの?」

 丁寧語が消えているのにも気づかず、まくしたててから、マリエははっと我に返った。

 ユートの表情が曇っている。眉間に寄せられた皺が痛みをこらえているようで、マリエは慌てた。

「ご、ごめんなさい」

「いや、こちらこそすまない。勝手な思いで軽率なことを言った。俺が口出しすることではなかったな」

「いいえ、あの、せっかくアドバイスしてくれたのに、ごめんなさい」

 マリエはユートが謝罪したことに驚いた。そして、言ってはいけないことを言ってしまったと悔やんだ。

 それに落ち着いてみると、感情的になってしまったことも反省すべきだと気づいた。この場所でなかったらと考えると恐ろしい。ガーディアンの範囲はもちろん、個室でも即アウトだろう。もっと気持ちをコントロールできるようにならなくては。

 ユートは前髪をかき上げると、自嘲するように薄く笑った。

「後ろめたい思いか。……なくはないだろうな。それこそ君が言うように、見ないふりできない事実だ」

「もう大丈夫ですよ? 十分良くしていただきました」

「前にも言ったが、俺のわがままなんだ」

「わがまま? 笑顔を見たいって冗談のことですか?」

 マリエはくすりと小さく笑う。けれど、ユートから返ってきたのは笑顔ではなかった。

「俺が会いに来るのは迷惑だろうか。負担になっている?」

 今まで見たこともない自信なさげな顔で、ユートは聞いた。マリエは思わず彼の腕に右手を伸ばす。

「負担なんて、そんなことありません。会いに来てくれてうれしいです」

 マリエが微笑むと、ユートは目を見開いた。

「私より、ユートさんの方が負担なんじゃないですか? 私、責めたいわけじゃないんです。もし私に会うことで嫌な思いをするんだったら、無理して来てくれなくても」

 マリエが言い終わるより前に、ユートはマリエの手を腕から外し、芝居がかった仕草で指先に唇を寄せた。

 マリエは驚いて、息を飲む。

「後ろめたい思いよりも、君に会いたい思いの方がはるかに大きい。わがままだって言っただろ」

 じっと見つめてくるユートの瞳に射すくめられ、マリエは動けなかった。ユートの手から伝わる熱がマリエを侵食する。

 時間が止まったような一瞬ののち、ユートは力を抜いてふっと笑った。唇を歪めて、少し皮肉げに見える笑顔だ。

「おもしろい顔だな」

「なっ、おもしろいって! か、からかったんですか? もう!」

 マリエは真っ赤になって抗議し、ユートの手から自分の右手を引きぬく。しかし、さっき彼の唇が触れたその手を一体どう扱ったらいいのか。しばし迷って、マリエは左手で右手をぎゅっと包んで、胸元に抱えた。ユートの視線がその手を追っているような気がして落ち着かない。

 紅茶のカップを手に取るふりをして、座り直す。少しだけ距離を開けた。何か別の話題はなかっただろうかと考える。

「そうだ! 野菜! 野菜です!」

「野菜?」

 わざとらしい話題転換に、ユートは目を瞬かせてこちらを見た。

 先日、ルウコと話したことを思い出す。きっと、これ以上は考えてはいけない。彼はマリエの王子様にはなれない。

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