第二章 風に乗る羽の一枚(1)

 階段のステップは、砂浜に打ち寄せる波をイメージした有機的なカーブを描いている――ディーランサに海はないのだけれど。ホールを見下ろす回廊の幅は、こちらも波のように緩やかに広がったり狭まったりしている。広い部分にはソファと小卓があった。階段を上り回廊に出ると、ユートはソファの一つに座った。

 パールハールの中心地にあるミツバ経営のホテルの一つ『ミツバ・クラシック・ホテル』。ディーランサの観光地区は重厚で装飾的なデザインの建物が多い。石や木でできているように加工し、強度目的ではなく意匠のために建材に厚みを持たせ、直線よりは曲線を用いる。無駄があるのが贅沢、という価値観だ。ディーランサはどちらかといえば富裕層を相手にしているリゾート地だった。

 今夜は、ホテルの常連客やパールハール在住のセレブを招待して定期的に行われるパーティの日だった。ホテルに宿泊すれば誰でも参加できるパーティとは違って、選ばれた人しか招待されないため、参加できることがステータスとなっている。パールハールの社交の場とも言えた。

 胸元が深くカットされたドレスを着た婦人が前を通るのを見ながら、マリエだったらどんなドレスが似合うか、とユートは考える。

 SOF保護施設のマリエ・シライには、あれから二ヶ月のうちに三度会いに行った。カジュアルな服装もいいけれど、ドレスとアクセサリーで着飾った姿も見てみたい。

 ドレスとは違いカジュアルな服装は足を惜しげもなく出すから、マリエの肩は見たことがない一方で、すらりとした細い脚は行くたびに見ることができた。前々回の訪問で、シライ家で使っていた自転車を届けたら、ミニスカートで運転するからハラハラした。ドキドキやワクワクではない、と思う。

 保護施設で安定剤を使われていたときの印象と違って、マリエは他の同年齢の娘よりも少し子どもっぽく思えた。先日会ったときには足に擦り傷を作っていて、どうしたのか尋ねると、恥ずかしそうに赤くなった。

「鳥かごの外を自転車で走ってたら楽しくなってしまって、ポチの範囲を超えちゃったんです。それで眠らされてしまって」

 ポチというのは、マリエのガーディアンのシロフクロウの名前だ。あの外見でどこをどうしたらポチになるのかわからない。ロボットなのに、鋭い目つきをしているかと思えば馬鹿にしたような半目でこちらを見ていたりする。父親のマサアキ・シライ博士の特許の一つがロボットの表情制御に関する技術だと聞いて、彼女がこの鳥を選んだ理由が少しわかった気がした。もちろんポチにはその技術が使われている。

 彼女のはにかんだ笑顔を思い出していると、声をかけられた。

「何にやにやしてるの? 気持ち悪いわね」

 紺色のドレスを着た背の高い女がユートを見下ろして笑っていた。

「カオリ、来てたのか」

 ユートは立ち上がって、ソファの隣にエスコートする。給仕係に合図して、飲み物を二つ持って来させた。

「久しぶりね。四ヶ月前は災難だったらしいじゃない?」

「ああ、油断してたよ。星外ではミツバなんて大した名前じゃないから忘れてた」

 カオリ・オオヤマはユートより三つ年上の幼馴染だ。ディーランサ全土で様々な形態のレストランを経営する会社の社長令嬢で、今は、パールハールのレストランの経営を任されているはずだった。

「SOFの女の子にご執心だって?」

「そういうわけじゃないが……。というより、どこで聞いたんだ?」

「ナイチンゲール? ジャンヌダルク? よく知らないけど、何だか大衆誌で変な風に持ち上げられてたわよ。ミツバの御曹司を助けた聖女って」

「それは知らなかった。あとで確認してみる」

 大衆誌とは言ってもオンラインだから、マリエの目には触れないだろう。シライ博士が万が一見るようなことがあって気を悪くしないといいが、とユートは心配する。ユートが誘拐されたことは報道されたが、マリエのことは公表しないように警察に言ったのに、どこかから漏れたらしい。

「別の女と噂を立てられると困るのよ」

 カオリはそう言って、ユートの膝に手を載せた。遠くから見たら色っぽい仕草に見えるかもしれないけれど、きつく睨む視線はユートを責めるもので、恋愛感情は少しも感じられない。

「まだ隠してるのか?」

「半年後の料理コンクールの世界大会に出場が決まったの。それが終わったら、父に話すことになっているわ」

 カオリは自身が経営するレストランのシェフと密かに交際している。その隠れ蓑として、ユートが利用されていた。

 ユートは昨年まで学術星アカデミアの大学に通っていてディーランサにはいなかったから、カオリと交際していることになっていても大したことではなかった。たまの休暇に帰ってきたときに、パーティにエスコートしたり、食事や観劇に何度か付き合うだけだ。ユートも面倒な誘いを断る口実に、カオリの存在は重宝した。

 去年の七月にディーランサに戻ってから呼び出されたのは一度きりで、カオリと会うのは新年のパーティ以来だ。もう隠れ蓑はいらないのかと思っていた。

「オオヤマのおじさんは今のままでも反対しないと思うけどな」

「私もそう思うわ。でも、彼が気にしてるのよ。何か実績がないとって」

 カオリはため息をついたけれど、そんな悩みすら幸せの一環だと言わんばかりだった。

「俺と仲良くしているって書かれたすぐあとに婚約発表なんてことになったら、都合悪くないか?」

「そんなの全然平気よ。あんたとの仲の良さなんて、彼とのラブラブっぷりに比べたら雲泥の差なんだから。記者会見でもしてやれば一発で伝わるわよ」

「ああ、そう……」

「同時にあんたのロマンスの噂でも流しておけば完璧だわ」

「ねつ造するなよ」

 これのどこが仲が良いんだ、とユートは呆れる。横暴な姉に逆らえない弟の気分だった。

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