第一章 鳥かごの中にある自由(4)
保護されてから二ヶ月。マリエは最近やっと安定剤なしでいられるようになった。
マリエは、自分のガーディアンにシロフクロウを選んだ。保護施設の教師でカウンセラーでもある女性、メイ・トウドウには、「なんでわざわざそんな大きな鳥にするの?」と言われた。他の人は、手のひらに乗るくらいの小鳥にしていた。どうせロボットなんだから、実在しない色や形にしても構わなかった。
「大きくてもこもこしてるから」
頭上を旋回する鳥を見上げ、マリエは答えた。
「触れないよ?」
医師のヨシカワが、意地悪く笑う。トウドウがヨシカワを睨んだけれど、マリエの気持ちはさほど揺れなかった。遠慮のない言い方をされるのは逆に気楽だ。ロボットに触れないのはずっと前からなのだ。
「わかってますよ」
今日は農園まで散歩することになっている。農園があるのは昨日知ったばかりだ。マリエは今日まで居住棟を出たことがなかった。
マリエは家にいたとき、料理や畑仕事を日課にしていた。辺鄙なところにあったから食材を配達してもらうのが容易でなかったため、野菜などは自給自足していた。父が改良してくれた手動で火力を調節するシンプルな仕組みのガスコンロと石窯オーブンがあり、普段の食事もマリエが作ったし、パンやピザを焼いたりもしていた。しかし、ここではできない。施設の食事は調理されたものが出てくるし、厨房のある管理棟はSOFは立ち入り禁止だし、そもそも一般的な調理機器をマリエが使えるわけもなかった。
トウドウから農園のことを聞いたとき、実家の畑は今どうなっているんだろうと考えてしまって、マリエはすぐに思考を断ち切った。なるべく思い出さないように。そうしないとすぐ眠らされてしまう。
父から手紙をもらったのは、五日ほど前だろうか。家で使っていた道具を量産して売ったり、SOF保護施設に寄付する事業に協力することになったと書いてあった。父の懐かしい字を見て、いろいろ思い出して悲しくなったら、SOF範囲が個室を超えてしまった。それでマリエは半日ほど眠るはめになった。
感情を抑えるのが、うまくできない。だんだん慣れるのだろうか。
今は外だ。個室の範囲よりも、ガーディアンの範囲の方が狭い。気を付けなくてはならない。――そうやって気合いを入れることさえ、控えなくてはならないのかもしれなかった。
ヨシカワの白衣のあとをついて落葉樹の林を回り込むと、前方に大きな金属の骨組みのようなものが現れた。居住棟を出たときから視界には入っていたのだけど、林のせいで全貌が見えていなかったのだ。
四角い巨大な檻か、鳥かご。
二階層になっていて、上層の方が広い。全体としては立方体に近かった。
あれが農園なんだろうか。
「何ですか、あれ? ガラスないけど、温室ですか?」
自然光が使える星では、ガラスで囲った温室で植物を育てることがあると以前読んだ。紙に印刷するのは不経済なのだけれど、電子端末で読書ができないマリエのために父は頼めばいくらでも印刷してくれた。
「温室じゃないよ」
ヨシカワが答える。
「檻? 鳥かご? 何か飼ってるんですか?」
マリエが重ねて聞くと、ヨシカワは笑った。
「だよね。そう見えるよね。もうちょっとましなデザインはなかったのかね」
「私も、さすがにこれはねぇ」
トウドウも苦笑している。
目の前まで来ると、骨組みに囲まれた敷地はかなり広かった。やはり農園のようで、畝に見たことのある葉っぱが並んでいる。あまりたくさんは作られていないようだった。
遠くから見ると檻だったけれど、柱同士の隙間は二メートル近い広さがあり、何かを閉じ込めるためのものじゃないとわかる。そもそも大きすぎて、檻とは思えない。建物を作っている途中だろうか。
「SOFセンサーがついてるから、柱にはあまり近づかないようにね。あ、でも、ここは入り口だから大丈夫」
「はい」
柱は直径二十センチほどの金属製で、入り口はアーチ状になっていた。薔薇を植えて絡ませたら素敵だろうなとマリエは考える。
「ガーディアンはここに」
トウドウがそう言って、止まり木を指した。そういうプログラムが組んであって、マリエが何もしなくてもガーディアンは止まり木に降りる。
「え、いいんですか? 個室の外なのに?」
「そうなの。農園は個室の外だったんだけど、おとといから個室扱いになったのよ」
「え?」
背中を押されて中に入り、農園の真ん中の小道を進む。土の匂いが懐かしい。
「低い方の天井に睡眠ガス発射装置があるんですって。あなたならわかるかしら。上の天井にもセンサーがあるの」
遠くから二階層に見えたのは、水平の柱が檻の途中にもあったからだった。下層の天井は地面から四メートルほど。目を凝らすと、上の天井から下の天井にワイヤーが張られていた。SOFセンサーが反応するというのは、つまりセンサーが停止するという意味だ。ガーディアンも停止する瞬間に睡眠ガスを発射する。
「上のスイッチが切れると、ワイヤーで物理的に下にあるガスの発射口が開く仕組みですか? センサーが全部連動しているんですね」
「たぶんね。まあ、僕にはよくわからなかったけど」
前方にベンチが置いてあった。人が座っている。
「彼がここを個室に変えたんだよ」
ヨシカワが言うと、ベンチの人は立ち上がってこちらを振り返った。
「この檻の範囲内なら、SOFが発動しても問題ないよ。恨み言だって言い放題だ」
ヨシカワのセリフに首を傾げ、マリエは相手を見る。
濃い茶色のフロックコートを着た二十歳くらいの若い男性だった。深緑のタイにクローバーの形の金のタイピン。トップハットを被って、ステッキまで持っている。政治家やセレブしか着ないようなきちんとしたトラディショナル・スタイルだ。こんな畑の真ん中で見るには場違いな服装だった。
「あの、初めまして、マリエ・シライです」
緊張した面持ちでこちらを見つめたまま何も言わない青年に、マリエは自己紹介した。
すると、青年は眉間に皺を寄せ、ヨシカワを見た。トウドウがマリエの肩を抱く。
「マリエ。彼のこと、覚えていない? 初めて会うんじゃないんだけど」
「え? ……父の大学の方ですか? あ、でもそんなに前ならまだ子どもですよね」
首を傾げると、トウドウもヨシカワを見た。
「記憶の混乱はないはずだけど。うーん……。ていうか、ユートさん、事件のときどんな姿でした?」
ヨシカワは青年に聞く。ユートという名前にも心当たりがなかった。
「あのときは、ひどかったな。十日連れまわされた末だ。変装だか知らんが作業服を着せられて、頭もぼさぼさで、髭も……」
「あ!」
答えながら顎を撫でるユートの声で思い出した。確かに全然服装が違う。
「あのときの人質の人!」
「そうだ!」
ユートは勢いよくこちらを振り返ってから、はっとした顔で、姿勢を改めた。帽子を取った顔をきちんと見ると、切れ長の目の整った顔はあのときの人質の青年だった。
「ユート・ミツバです。マリエ・シライさん、あのときはどうもありがとう」
上半身が地面と平行になるくらい、深く礼をした。
「いいえ」
マリエは、ユートの腕に手を添えて軽く引いた。ユートは促されて身体を起こす。
「私は別に何もしてないです。あれは、なんていうか……犯人の運が悪かっただけじゃないでしょうか」
「しかし……」
「犯人を倒してくれたのはあなたですよ? 私が助けてもらったんです。こちらこそ、ありがとうございました」
マリエは心からの笑顔で、頭を下げた。ユートは一瞬ぽかんとした顔をしたけれど、すぐに表情を引き締め、マリエの手を取った。距離を詰められて、戸惑って見上げると、ひどく真剣なまなざしにぶつかった。事件のときを思い出してマリエは固まる。
「ちょ、ちょっと、何考えてるんですか」
慌てて割って入ったヨシカワがユートを引き離した。マリエは大きく息を吐く。
「何って……」
そう言いながらマリエを見て、ユートははっと顔色を変えた。
「大丈夫か?」
マリエはうなずいたけれど、表情はこわばっていた。
「ちょっと事件のときを思い出して……もう大丈夫です」
「あー、すまない。そんなつもりじゃなかったんだ。とにかく座って」
ユートは掴んだままのマリエの手を引いてベンチに座らせ、自分も隣に腰かける。
マリエは何度か深呼吸した。その間、ユートはマリエの手を握ってくれていた。手袋越しだったけれど温かい手だった。
マリエが落ち着くのを見計らって、ユートが口を開いた。
「君のSOFの最大範囲は半径十五メートルだとシライ博士に聞いた」
「はい」
「この敷地は二百メートル四方ある。このベンチは真ん中だ。天井も十分に高い」
「はい」
「笑うでも泣くでも好きにしたらいい。もちろん、やっぱり俺を罵りたくなったら、それでも構わない」
「ふ、ふふ……はい……」
偉そうに言うのがおかしくてマリエは声に出して笑った。そして、自分のために作ってくれたのだと思ったら、胸が詰まった。
「あの、気にしないでくださいね。私がSOFなのは昔からで、保護されたのはあなたのせいじゃありません」
「それなら、君も気にしないでくれ。これは君のためじゃない。俺のわがままだ。もう一度君の笑顔が見たかったんだ」
冗談にしてくれているのだと思って、マリエは素直にうなずいた。
「それに、シライ博士と約束した。君ができるだけ自由にすごせるようにすると」
父が手紙に書いてきたことを思い出す。自分が助けた相手が四大企業のミツバの御曹司だというのはマリエも聞いていた。彼がつけているタイピンのクローバーはミツバの社章だ。ユートが父に会ったのなら……。
「もしかして父の道具を量産する事業って」
「俺だ」
ユートは短く答えてうなずく。マリエはユートの手を握り返した。笑いたかったけれど涙が出た。
「父が表舞台に戻れる機会を作ってくださってありがとうございます」
大学でロボットの研究をしていたころを今でも覚えている。半分も理解できないマリエや母に向かって、毎晩楽しそうに語ってくれた。隠れてすごした八年間も道具の制作をしていたし、嫌々やっている風ではなかったけれど、父が本当にやりたかったことではなかったと思う。マリエが父を辺境に追いやってしまったのだ。
「良かった……お父さん……」
頬に手をあてられて顔を上げると、手袋をしたままのユートの指がマリエの涙をぬぐった。そして驚く間もなく、すぐに離れた。
「だーかーら! 何やってるんです? 蹴りますよ?」
「このくらいは別にいいだろう」
「いいわけないでしょ」
ヨシカワとユートの言い争う声を、マリエは遠くで聞いていた。トウドウがマリエの隣に座って肩を抱くと、手にタオルを持たせてくれた。
声を上げて泣いたのは久しぶりだった。泣きたくなったらここに来ればいいのだと思うと、ずいぶん気持ちが軽くなった。
マリエは夕食を知らせるチャイムが鳴るまで泣き続け、その間、皆何も言わずにそばにいてくれた。
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