初日の出

本当に、そんなものが見えるのか。

谷崎は前を歩く、中屋に問いただしたくて堪らなかった。

見上げる空は、厚い雲と木々に覆われ、常時なら足元を仄かに照らしたであろう月明かりすら、見えなかった。それ以上に、徐々に湿っぽいにおいが辺りに漂ってきた。

中屋に叩き起こされ、それからこちら歩き通しだ。交わした言葉といえば、

「どこに行くんだ」

「俺の一番のお気に入りを観に」

「それは、うちにきたときに聞いた。お気に入りとは何かと聞いている」

「紺と朱の混ざる、とびっきりだ」

この程度である。中屋は、それはそれは誇らしげに言うものだから谷崎はその勢いに押され、(今更帰ることもできず)ただその後ろをついて歩いていた。

湿っぽい匂いが、より濃くなり、嫌な予感がしてきた頃。先導する中屋が言葉を発した。

「この先に、休める場所があるから、そこまで急ぐぞ!」

いつになく焦っているような声色であった。その理由はすぐにわかることとなる。

肩で息をするほど必死に付いて駆け上がった山道は、瞬く間にぬかるんでいった。あの土が湿った独特の匂いは、決して沢が近いからだとか、気のせいだとかくだらない理由ではなく、想像していた通り、雨の気配だったのだ。

「山の天気は変わりやすい」この言葉をありありと体感することになるとは、想像もしていなかったが。

そう、隣で頭を抱えている中屋にこの山に連れてこられた時には、月明かりが差し、星も確かに見えていた。それが今は、これだ。中屋に連れてこられた休憩所には屋根があり、その屋根にひっきりなしに打ち付ける雫の音が鳴り響いている。隣にいる中屋と話すのにも、声を張り上げなければならないだろう。実際、さっきから口をパクパクと動かしているが、一言たりとも聞こえない。……当の本人は気がづいていないようだが。らちがあかない。そう思った私は、声を張り上げ中屋に問うた。

「この雨だぞ! どうするんだ?」

中屋は、自分の声が一切届いていなかった事に気がついたらしく、目をパチクリさせると、同じように声を張り上げ、

「もう少し休んだら、進む!」

と言い出した。

「正気か?」

私は、届くか届かないかぐらいの声を発した。中屋は少し目を伏せ、次に開いた時には、その眼に確かな火を灯していた。

この顔になった、中屋はもうこちらが何を言おうと止められない。凝り性で、頑固者で。

それは、普段は長所だと思っていたのだが……。どうやら考え直した方がいいのかもしれない。そんなことを考えているとはつゆ知らず、中屋は荷物を持つと、大粒の雨が叩きつける外へと足を進めた。

私は大きくため息を吐くと、同じように天然のシャワーを浴びた。

やめた方がいいんじゃないか。 なんども言おうと思った。思っていたのだが……地面をえぐるようだった勢いはいつしかなくなり、やがて、仄かな明るさが2人を包んでいた。

「もう少しだ!」

中屋はここに来て、お目当ての物を見つけたようで、心底嬉しそうに叫んだ。

私はその声につられて、足元のぬかるみから目を離す。

中屋越しに光が差しているのが見えた。知らず知らずのうちに、足が早まる。先の雨でぬかるんだ地面に幾度となく足を取られながらも、視界が開ける場所へなんとかたどり着いた。

眼前に広がったのは、谷のちょうど中央に朱の大きな丸が昇ってくるところだった。夕焼けとは違う、澄んだ空気を朱の光で満たして行く。昇ってきた方を振り返ると、濃紺の空が広がっていた。その間は、なんとも言えない不思議な色をしていた。

「本当に、見れるんだな……」

あてもなく呟いた言葉に、中屋は「雨に濡れた甲斐があっただろ」

と自信に満ちた表情で言い放った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

SS・短編集 藤森空音 @karaoto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ