第39話ポプラの木の下で

カチリ、電子錠の解除音で目が覚めた。

スーッとドアが開く気配、ストンと上品な感じでドアが閉まり、ふたたびカチャリと錠が下りたらしい。


直後、漂ってくる強烈なカレーの匂い、

「お夜食にカレーをお持ちいたしました。」


安物のプラスチックの黄色いお盆に載せたそれをわたしのほうへ差し向けてくるが、かぶりを振り、

「いま何時?」

あくび混じりに訊く、


「さぁ、未だ夜は明けてないんじゃないかしら?」


簡易デスクにカレーを並べて椅子を引き、食べ始める美沙の背中越しに、


「それにしてもよく食べるな?え?」

嫌味を浴びせてやる。


「だって、やっぱりさすがにお米の国よね?コンビニで炊きたてご飯を詰めてくれるなんて。」

意に介す様子はなし。


「別にお米の国は関係ないだろ?あのチェーンはたしか、広島が発祥で、たまに向こうでもあって

ちゃんと炊きたてのご飯を詰めてくれるけどな?」


「ふーん、初めてみたわ。」

米は炊きたてだけれど、カレーはレトルトだった。

チェックインする前に、道の反対側にあったそのコンビニで酒やらタバコやら菓子の類を調達し、

ついでに夜食用にとカレーを1個頼んだのだ。

今すぐ食べるのか?関心して聞いたが、ホテルの中にはちゃんと共用の電子レンジを完備しているから

温めて夜食にするのだと言った。


満々に拡がるカレー臭、小腹が空いたような気がせんでもないが、食い気より酒、ふかふかのダブルベッドを出て、

簡易デスク横の冷蔵庫から1本出し、ぷしゅっとやりゴクりとやる。


「また飲むの?これもあとで飲みなよ?朝ごはんに。」

言ってカップの蜆の味噌汁を持ち、ふりふりとこっちへ向けて来る。

横目にみて無視を決め込み、再度、ふかふかのベッドへ。


「このホテル悪くないな。しばらくここに住むか?」


「いいよー。ご飯は毎日、炊きたてのが食べれるなら幸せ。あー美味しかった。

ごちそうさまでした。」


部屋自体は10畳ほどで手狭な感じもするが、オープンして間がないらしく水周りも何から何まで

綺麗だった。

美沙はタバコを吸わないから禁煙ルームをとった。


タバコは1階下に降りると喫煙ルームがあるらしいが、不思議と吸ってはいけない環境を強制されると

大人しく従ってしまい、わざわざ階下まで降りるのも馬鹿らしく、夕方にチェックインしてからは

一本も吸ってはいない。


椅子を反転させてわたしのほうへ向き直り、前かがみに太ももに肘をつき、手の上に顔をのせている。

体型の割りには、小顔なんだなとあらためて思う。


「冗談抜きで、いつまでここに居ていいんだろうか?」

とりあえずっていうことで、5泊分を前払でおさめた。

その後、もう5日延泊することになるかもしれないからと空き状況を確認したが、

十分に空きはあるとのことだった。


兼六園の梅の時期と、雪の降る頃が繁忙期で今はどちらかといえば閑散期なのだと

それこそ百貫デブという形容が見事に当てはまる、40がらみの銀縁めがね、甲高い声のフロント係りが

教えてくれた。


「さぁね。ゲドウ君さえよければずっと居てもいいよ。大体あの店だってわたしやる気ではないのよ。」


「佐知子さんには何か言ったの?」


「岡山キャンセルしたこと?言ってないよー。夕方と12時前に電話かかってたけど無視したし。」


「金沢に居るって知れたら怒るかな?」


「さぁ、とりあえずは言われたとおり関西は出てるわけだし関係ないんじゃない?」


「稲佐田会が追ってる、というようなことは言ってなかった?」


「あー、なんか言ってたかもね。けどほんと馬鹿らしい。あのひと、なにかとそういうのが好きみたい。」


「というと?」


「相手を意のままに動かしたいときとか、かならずその手を使おうとするのよ。」


「実際にそっちのひとと付き合いがあるの?」


「まぁ、不動産屋を地場でやろうと思えば多少の付き合いっていうのもあるだろうけど、あのひとは

利用してもされるようなことはまずないでしょうね。」


「今回の件はどう思う?」


「稲佐田会が君を追ってるかということ?まずそれはないでしょう。

君のような小物を追うほど暇ではないでしょうし、追ったところでなんのメリットがあるというの?」


「そういう依頼があれば動くこともないわけではないんじゃ?」


「依頼ねぇ。あったとすれば相当な見返りがないと動かないと思うよ。

最近のあっちのひとたちも、肩で風切るだけではご飯が食べれないからね。」


「炊きたてのご飯がね。」


言って酒の残りを一気に飲み干して缶をばりばりと握りつぶしベッドを出て、床のゴミ箱へ放る。

椅子の背もたれにかけてあったズボンを引ったくって履く。


「どこ行くのよ?」


「タバコ」


「じゃあついでにミルクティー買ってきて?あっ、これ持ってないとエレベーター乗れないよ。」

言ってテーブルの上に放られたカードキーを寄越してくれる。


「ほかに要るものは?」


「んー、チョコっぽいのが食べたい気がするけど、もう一寝入りしたいから要らないや。

いってらっしゃい。」

ひらひらと手を振りながらあくび。


大きな音が出ないように、ノブを引きながらドアをゆっくりしめたがどうやらノブはノブでしかなく、

錠の部分は電子制御で、ノブとは連動していなかった。


どの部屋からも物音ひとつしない、本当にわれわれ以外にも客が居るとは思えない静かな廊下、

エレベーターの下ゆきボタンを押すと、

「カードキーをかざしてください!」

結構な音量が廊下中に響いた、はいはい、ピっと触れると「しばらくお待ちください!」

エレベーター前にも4つほどの部屋がある。

エレベーター前の部屋じゃなくて良かった。

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