第16話ブラは毎日洗わない派

「ぼくね、トレインスポッティングには結構な思い入れがあるんです。

DVDが出てからは百回は観たと思います。

大げさでなく百回は。」


「ふーん、それはどんな?はじめての彼女と観た映画とか?」


BGMは、椎名純平 - 白昼夢 から、椎名純平 - このまま に切り替わった。

わたしは2-3目盛、音量を下げた。


「だったらまた違った感慨があるんでしょうけど。残念ながら。」

ゆっくりかぶりをふり、先刻のイタリアンを出た隣にあったコンビニに寄り調達したビールをプシュっと開け、あおる。


「君、それにしてもよく呑むわね、関心するわ。」

何の感情もこめずにつぶやく。


トレインスポッティング、ユアンマクレガーの大出世作にして、監督はダニー・ボイル、ロンドンオリンピックでは

総合演出を任された。


劇場公開された往時、わたしは高校生であり、渋谷パルコで単館公開されていたそれを、授業を抜け出して白昼堂々、

ツメ襟を着たまんま観に行ったのだ。

観終え、友人と二人で床屋へ駆け込み、レントンになりたくて3mmの丸刈りにした。


なんと驚くことに、臼井氏も渋谷パルコに観に行ったのだという。

大学時代、ご学友の青年と。


「世の中、狭いもんですね。大学は向こうだったんですね。向こうの水には馴染まなかった?」


「ううん、別にわたしはどこでも暮らしていけるひとだから。こっちに特別な思い入れがあったわけじゃないけど。

ま、いろいろあってUターンしたってことね。君こそ、じゃあ関東人なのね?」


「えぇ、ぼくはね、3代続く江戸っ子です。」


「ほう、東京のどこなの?」


「北区の滝野川です。駅だと赤羽とか王子が近いかな?」


大阪市北区といえばいわずもがな、梅田界隈はじめまさに中心地。

でも東京北区といえばダウンタウン、川を超え北上すればもうそこは、だ埼玉。

えらい違い。


滝野川と言ったのは、わたしが愛して止まない西村賢太御代、そのひとが現住してるらしい土地、わたしには縁もゆかりもない。

嘘を言った。

都落ちの黒歴史を今語る必要はなかろう、

そこで咳払い、


「佐知子さんは、どのシーンが一番好きですか?」


「わたしは、そんな何回も繰り返し観たわけじゃないから、マニアの君には申し訳ないと思うけど・・・。」


「マニアだなんて滅相もございませんよ。」

ゲップが出かかるのをおさえ、咳払いでごまかす。


「カット割がどうの、照明の暗さがどうの、語るような映画マニアでは決してございませんことよ?

ただ、トレインスポッティングが好きだという単純なことです。

あの映像と音楽、観るだけで甘塩っぱかった記憶、匂い、感情、すべてがよみがえるといいますかね。」


「わたしは、レントンがダイアンをナンパして、でもそっけない態度でダイアンは出ていっちゃう。

後を追ってクラブを出ると、観音開きのロンドンタクシーがしばらく停まってて、運転手に、乗らないのかいって言われて

慌てて駆け込むところ。」


「ほー、なんとなくわかる気がします。

人生、やった後悔よりやって後悔、チャンスは一瞬しかない。

その一瞬のチャンスに反応できる反射神経は大事だ。」


件のお願いも、わたしにとり千載一遇のチャンスであることを暗に示したいのか。

まさか。


椎名純平 - このまま が終わったので、ダッシュボードからスマホを引き取り、

迷って、SOIL&"PIMP"SESSIONS の Spartacus Love Theme にした。


「君、音楽のセンス、好いかもしれない。統一性というものがまるでないけど。」

乾いて笑う。


「いや、音楽は好きなもの、いいなって思ったものを聴けばいいんです。」


「信楽インター右」の頭上の看板を見てか見ずか、信号の左折レーンに入り、青信号を待つ臼井氏。


「で、これからどこへ行くんです?まさか、イタリアンのダブルヘッダーではないでしょう?」


「ダブルヘッダーの何がいけないの?食べたいと思ったものを食べ、したいと思ったことをする。

何がいけないことなのかしら?」

悪びれる様子は微塵もない。

マジすか?えーーーーー。ホテル街一帯が停電してればいいのに。


「いや、でも今日はダメです。男の子の日ではないんです。今日ぼく。」


「男の子の日?それなに?」


「いやね、なんというか言うのもはばかられるジンクスみたいなもんなんですが・・・」

言いよどんでしまう。

が、Love Immediately が、そのソプラノサックスの甲高い音が背中を押してくれてるような気になる。

また音量を2-3目盛あげてみた。


「今日はピンクのパンツではないからダメなんです。」


「ほー。」

(それで?)と黙して吐くような感じ。

左折の青い矢印が灯り強めの加速、すこし前にのめってしまった。


オブラートに包んでいても仕方がない、

「女性とホテルに行こうという、いや、行くかもしれない、というときはかならずピンクのパンツを

履いて出かけるんです。そうしないとなんか気合が入らないといいますか。」

恐縮して後頭部に手をやり、ポリポリ掻いてしまう。


「わたしだってそんなつもりなかったし、ブラがあれなのよ。」

残念そうにごちる。


「ほー。」

(それで?)と黙し返し。


「君って兄弟いる?」


「え?藪からスティックになんです?姉が二人居ますけど?」


「やっぱりね、わかるものなのよ。上に女性が居るところで育った男のひとって。

君のお姉ちゃんは、ブラ、毎日洗ってた?」


「ほえぇ?」

ずっこけそうになり、声をあげてウケそうになったが笑ってはダメな気がして冷静に、

「よくは知らないですけど、2-3日に1回だったんじゃないですかね。」


それが世間の常識だから大丈夫、背中を後押ししてやるように言った。


正確には全くもって、実姉の下着事情のことは知らない。

わたしはシスコンではない。


でも件のD県でポケットティッシュの広告代理店の営業のようなことをしていたときの、

女性所長が言っていたことが頭を過ぎった。

酒席で、周りは男性所員しか居ないなか、わたしはブラは3日に1回しか洗わない、

洗濯ネットなんて信用ならん、入れて洗ったところで毎日洗えばすぐに毛玉にまみれてしまって、

毛玉が肌に触れるとゾワゾワしてしまってダメなんだと。

酒席でしかもわいわいがやがややっていたところに、突如として放たれたブラ講釈にあっけにとられた

男性所員たちの唖然とした表情は今でも忘れることができない。


「そうよね?やっぱり!わたしだけじゃないのよね?よかったぁ、安心したわ。」

ふーっと息を吐きながら言う、本当に安心したのがよくわかる。


件の女性所長よろしく、ブラ講釈をのべてくれた。

笑ったほうがよかったのだろうが、なぜか笑えない、笑いがこみあげてこない。

仕方なく講釈そのものではなく、あの、突如として放たれたブラ講釈にあっけにとられた男性所員たちの

間抜け面を思い出したら、自然と笑いがこみ上げてきた。

いや、笑ってる場合じゃない、ぜんぜん笑ってる場合じゃないんだけれど。

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