第7話A new residents
西海石(さいかいし)美沙
それが美沙の名前だ。
出逢ってから今に至るまで、直接本名をたずねたのは、初顔合わせのときだけだったが、
「みさ、”うつくしい”に、”さんずい”に、”すくない”で、みさ。さんずいがすくないから、潤いが足らない、
でも、美しい・・・かどうかはしらんけど」
即座に、十分美しい!と応じるべきだったが、「苗字は?」とたずねてしまうわたしのセンスのなさ。
「変な名前だから、いや~、絶対教えない~!」言って、舌を出しべーっとしてくる。
わたしは恋に落ちた。
直接おしえてもらったことこそ無いものの、軽く調べてみたところによれば
西海石姓は、長崎県にそのルーツがあるらしい。
でもそれとなく美沙から聞いたところによれば、肝硬変で他界した父親は、先代もさらにその先代も根っこはD県にあるらしかった。
苗字による出自など、所詮あてにはならないのだとあらためておもう。
炬燵の天板の上には、「重要なお知らせ」をうたった「D縣信用金庫」からの親展の封書と、
某一部上場企業からの「株主優待のお知らせ」という親書が
西海石美沙 宛に届いており、そこに放置されていることこそが、この女が西海石美沙たる由縁であり、
唯一無二の証拠だ。
軒先の門柱にあったはずの表札は、くり抜かれたかたちで放置されたままだったことからも、
美沙が本当に自分の苗字を毛嫌いしていることはいやでも察しつがつく。
「明日は仕事?休み?」
「さっき、予約の客から電話があって、同伴を断られたからキャンセルしたいって言われたー」
美沙はD県随一の歓楽街で、ネイリストとして働いていた。
余程、しくじることがない限り、血を見ることもない。
ターゲットはその立地からも察しがつくように、クラブホステス、キャバクラ嬢にピンサロ嬢、デリヘルにホテトル嬢など、
この世の嬢関係すべてを網羅しているようにおもえた。
(が、ソープ嬢だけはD県の条例でその出店が禁止されており、隣県には生息しているはずだが
美沙はその客を取ってはいなかった。)
数多あるネイルサロンのなかでも、高級店を標ぼうする店に雇われており、
(というのも、わたしの理解は遠く及ばないのだが、なにかのその手のコンテストで、美沙はグランプリを獲得するほどの
高いスキルをほこってるらしく)客層としては、パトロンを何人もはべらせているような上客からの指名が多く、
また、その手の女を囲う男どもは、平日の夜にアフターやら同伴やらをすることが多い。
というのも土日は家族サービスやゴルフに忙しい。
それだから必然的に、美沙の仕事も、土日は閑散日になることが多く、一見の客を必要としないから、休むことができる、
というカラクリらしかった。
「これですか?」
ゴルフか?という意味をこめ、わたしはパットショットをする仕草を真似て聞いてみた。
「ちがうー。奥さんにばれそうになったから、緊急の家族サービスで同伴できなくなったんだってー」
「ふーん。」
またもや気のない返事をしてしまう。
本来、この手の水商売、もしくは水商売系の従業員を相手とした職業には機密保持義務が課せられているはず、
といっても暗黙のルールなのだろうが、美沙からは情報がだだ漏れである。
いちいち確認はしなかったが、その緊急の家族サービスに手をやいている男は、
日本全国津々浦々、本当に万人誰でも知っているであろう、D県を発祥の地とする某宅配便会社の重役であり、
その次期社長とも目される男であり、美沙の客だった女は、その繁華街のなかでも随一の高級店である、
「クラブ Pop 愛」の南多梨十奈(みなみだりそな)嬢、そのひとであることがわたしには察しがついた。
どこぞの銀行みたいな名前だが、25歳というから、むしろ銀行の方が後出しのかたちになる。
この会話だけで、そのひとが南多梨十奈嬢であり、そのパトロンである●●急便の次期社長と目される男が
窮地に陥る数歩手前で踏みとどまろうとしていることを察してしまう自分が好きでもあり、大嫌いでもある。
美沙という女は個人情報という言葉を知らないのであろう。
南多梨十奈、その名があまりに珍しくまたなんとなく気になるところがあって、ネット検索してみたが有益な情報には当たらなかった。
ネット検索が万能でないこともあるのだ。
「クラブ Pop 愛」その名とは裏腹に、決してpopな愛を売ることを生業としているのではもちろんなく、
目が飛び出る(ポップ eye)方の意味での美人揃いと、その値段の高さで有名な、超一流店とされている店であり、
わたしの仕事の同僚の、谷中(やなか)氏が、いつかは豪遊してみたい老舗として名をあげることがあるほどだった。
常連客は、D県を起源とする全国区の有名企業から、全国区ではないにせよ、D県民であれば衆知の会社、その重役、社長、会長、開業も勤務もふくめた医師、
あるいは競馬のジョッキー、はたまたD県を本拠地におくサッカーチームの選手や監督など、
あらゆる高所得者をそのターゲットにする店であった。
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