31.憎悪と敵意の奥の奥

ラックは疑わしげな視線で青年を見やる。

友人の顔をした男は、グレイグルンドと名乗った。魔界で知らぬ者はいない英雄の名前だ。


「馬鹿を言うな。よりによって英雄をかたるとは……恥を知れ!」

「英雄とはなんの話だ?」


無表情を変えないまま、グレイグルンドは問い返す。するとラックと同じく驚きの声を上げたスタージが、一歩前に進み出た。


「反応を見るに、どうやら本物らしいですねぇ」


態度を一変させて頭を垂れる。


「グレイグルンド様とは知らず失礼しました。貴方は今魔界で、命と引き換えに前世の魂を守った英雄として語り継がれているのです」


名を聞くまで犯罪者と同等の扱いをしていた相手に、懇切こんせつ丁寧ていねいに対応するスタージ。彼が態度をひるがえした理由に思い当たり、ラックは怒りを覚えた。


「そいつが本物の英雄だったとして、今は前世の亡霊ぼうれいだぞ!」

「英雄であれば亡霊でなくなりますよねぇ」


わななく唇を引き結ぶ。強く奥歯を噛み締めなければ、怒りが叫び声になって漏れてしまいそうだった。

前世の魂が現世の魂を食らい、肉体の主導権を奪う授受失敗。それは大方一時的な出来事であり、魂が身体に馴染むことで元の人格を取り戻す。だから周りも、元の人格に戻れるように協力するのが一般的なのだ。実際スタージも、グレイグルンドと対立し元の人格を呼び戻そうとしていた……名前を聞き、魂の強さを把握するまでは。


(この男、グレイグルンドの魂を受け入れる気か……!)


フィードの人格を諦め、フィードの肉体をグレイグルンドが乗っ取るのを容認するつもりなのだろう。

英雄グレイグルンドはラックの思いつく限り最悪の前世であった。悪魔という長命な種であり、危険を顧みず多くの者を救う選択のできる人格者。そんなグレイグルンドの魂が脆弱ぜいじゃくなはずもない。


――フィードが殺されてしまう。本来の授受とは立場が逆転し、フィードがただの記憶の一部にされてしまう。


足場が音を立てて崩壊した。暗くて底のない穴に身体が引きずりこまれ、冷たくて痛い不快感が絡みついてくる。


(なぜ……なぜだ?)


なぜ、こんなに悲しいのか。

フィードはラックから未来を奪った元凶であり、恨みと憎しみの対象である。その相手が消えるというのに、なぜ命を惜しんでしまうのか。

答えは、すぐに出た……親友だから、だ。


(そうか……俺は……)


ゆっくりと目を閉じ、ラックは胸に掌を当てる。

ラックの内から湧く憎悪はフィード本人ではなく、フィードが選択しる未来へと向けられているものだった。成人と未成人の間の大きな壁は時に絆をも断つ。だからラックは親友のフィードを成人させず、そばに置いておきたかったのだ。

フィードが消滅するという現実に直面し、ラックは己の真の気持ちに気が付いた。


「……フィード」


けた瞳からつと涙が一筋。頬を伝う。脳裏には幼い頃からの様々な記憶が浮かんでは消えるをくり返していた。


(一緒に馬鹿やって怒られたり、修学旅行の前日に遊びまわって当日寝過ごしたり…………ロクな思い出がないな)


ラックの口元はゆがんだ弧を描く。思い出の中の自分は幸せだった。


(俺は馬鹿だ。遅すぎる)


幸せはすでにラックの手をすり抜けていった後。手元に置きたかった友人はもう……。


「――返してくれ」


本心はいとも簡単に零れ出た。


「フィードを……返してくれ。俺に友達を返してくれっ!」


フィードに生きて欲しい。その思いだけで、ラックはグレイグルンドへ向かって駆け出した。



☆ ☆ ☆



パチパチパチ、とまばたきを三回。それだけでは目の前の状況を受け止められず、両目を手でこする。

真愛は信じられないものを見ていた。


(嘘、なんで?)


この場で誰よりも敵だったラックがフィードを返せと突進して行く。

グレイグルンドのすぐ近くに立っていた真愛は、間近で彼の様子を伺うことができた。歯を食いしばる横顔。覚悟の浮かぶ瞳。本気がありありと見て取れる。


「……なんなんだ、お前はっ!」


ラックがしがみついてくるのを、グレイグルンドは力任せに振り払った。力関係は変わっていないので、ラックが飛ばされ尻餅をつく。


「ラック、貴方なんで?」


急に態度を変えたラックに、真愛は声に驚きを込めて尋ねた。

眉間にシワを寄せたまま、ラックは口元を歪める。


「友人の死を前にして、本当に自分が望んでいたことに気が付いたのさ。愚か者と笑うがいい。危険に追い込んでおいて、自分勝手に傷つく俺には嘲笑ちょうしょうが相応しい」


言いながら立ち上がったラックを、真愛は笑わない。代わりにスカートのすそを翻して歩み寄り、重ねて問いかけた。


「危険に追い込んで? フィードの授受失敗に貴方も関係してるの?」

「授受を成功させるためには、前世の魂を受け止めるだけの強い自我がいる。だが前世の魂をその身に受けた時のフィードは……酷く混乱していて、前世の魂を受け入れる準備はできていなかった。俺が……俺が、追い詰めたからだ……」


声を震わせたラックは、まぎれもなくフィードの友人の顔をしていた。今のラックの顔は、ラックの前世がのばらだと知った時のフィードによく似ている。


「フィード! 聞こえるかフィード!」


ラックはグレイグルンドに向かって吠えた。


「フィードはなにも悪くない。ただ人間の命を惜しんで、お前らしく助けただけだ! それでこそフィードだと、俺は思うよ。俺の前世の魂のことは運が悪かっただけだ。お前が気にすることじゃない。だから……だから! 戻って来てくれ、フィード!」


ラックに言葉を浴びせられたグレイグルンドは、眉根を寄せてラックを眺める。


「この身体のぬしはお前の友達か?」

「あぁ。唯一無二のかけがえのない大切な親友だ」

「――そうか」


グレイグルンドの表情が険しいものから、形容しがたい寂しさを帯びたものへと変化した。


「……え?」


グレイグルンドの変化を目の当たりにした真愛は、瞬間、不安に襲われた。見覚えのなかった彼の表情が、見覚えのある表情になったのだ。

脳裏に玲音の姿が浮かぶ。因果律の掟に抵触して魔界に帰れなくなったと嘆く、玲音の郷愁きょうしゅうにかられた表情とそのまま……重なった。


「玲音くんなのっ?」


頭の中が溢れる情報でぐちゃぐちゃになる。

数秒前までグレイグルンドと名乗った青年が玲音だなんて、思っていなかった。たとえ玲音の身体から出現した魂によって授受失敗が引き起こされたと知っていても、玲音と異なる部分が強すぎて同一人物には見えなかったのだ。

それが今――くつがえる。


「待って、話を!」


命を救ってくれたお礼を伝えたかった。最期のお別れをさせてもらいたかった。

諦めたようにまぶたを伏せるグレイグルンドの身体を光が包む。その光は先ほどフィードが前世の魂を受けた時のものと同様のもの。


(間に合わない!)


ひときわ強い輝きが、異空間にほとばしった。

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